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【8/16~8/22の運勢】8月3週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2021年08月16日 12:21  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

1ヶ月ごとの運勢グラフ 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

暗いところで光を探す

今週のおひつじ座は、苦しむためには才能がいるのだということを、改めて実感していくような星回り。

昭和11年に発表された『いのちの初夜』は、当時23歳だった作者の北条民雄が実際にハンセン病施設の全生病院に入院した、最初の1日の出来事を材料に書かれた小説。主人公の尾田は、入院とともに社会での足場を失い、身体が変形し、崩れ落ちたかのような重症患者の姿を、みずからの未来を先取りするものとして見せつけられたことで、絶望が一挙に押し寄せ、自殺を企てるものの失敗します。

そして、そんな尾田の挙行の一部始終をじっと観察していた先輩患者である左柄木という人物が、尾田に対して次のように語りかけるのです。「僕思ふんですが、意志の大いさは絶望の大いさに正比する、とね。意志のない者に絶望などあらう筈がないぢやありませんか。生きる意志こそ源泉だと常に思つてゐるのです。」

あなたもまた、再び立ち上がるための力を内部に蓄えていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

体感と予感の二重写し

今週のおうし座は、自分のもとに飛び込んできた予感に呼応していこうとするような星回り。

「被弾史の一本一草天道虫」(伊丹三樹彦)は、昭和56年に作者が沖縄を訪れた際に詠んだもの。「被弾史」も、銃弾によって多くの犠牲を払わされた沖縄の歴史を指したものであり、作者は島を覆う「一木一草」のひとつひとつが、そうした悲惨な歴史を担っていると感じたのかも知れません。あるいは、消えることなく続く被弾史のさなかにおいても、同じように草や木は生え繁ってきたのだとも読むことができますが、おそらくその両方を言いたかったのでしょう。

そして、過去のつらい人間の歴史と、いつも変わらぬ大きさで人間のそばにあり続けてきた自然の営みに思いを馳せていると、一匹の「天道虫」が作者のもとに飛んできた。その小さな虫もまた、いや沖縄に今生きて在るすべてが、「被弾」という歳月の重みを背負っているのだ、と。そう作者は思ったに違いありません。

あなたもまた、背負うべきものの重みとそれを可能にしてくれるだけの活力とのバランスを、みずからの意志で掴み取っていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

増やすと耕す

今週のふたご座は、仕事を通して何を、どんな思いを増やしていきたいのかを、改めて考え、動いていこうとするような星回り。

漁師の仕事は体力的にキツいものですが、中でももずくの養殖は最もキツい部類に入るそうで、朝七時には海に飛び込んで、長い時はお昼休みも取らずに、夕方の四時、五時まで一度も船に上がらないこともあるのだとか。

とはいえ、自然が相手の仕事ですから、つねにそういうスケジュールということはなくて、集中的に仕事をする一方で、天候次第ではゆっくりできるという意味ではメリハリがありますし、夫婦ふたりの時間だったり、やりたいことについて考えたり話したり動いたりする時間があるという点ではとても恵まれているのだとも言えます。

そういうリズムで仕事をしていると、自然と資源を「獲る」のではなくて、「増やす」ことに意識が向いて、海岸をなるべく自然の状態に維持するべく、サンゴを植えたり、子供たちに関心を持ってもらう体験学習の催しを企画したり、NPOを立ち上げたりといった活動にも繋がっていく。そこでは、そういう風に見られたいからやるというのではなくて、純粋にやりたいからやっているというところから仕事が回っていく訳です。あなたもまた、文明と自然のはざまで自分の生活リズムを整えていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

野良のたましい

今週のかに座は、野趣と無法を組み合わせて、思いきり暴れ回っていこうとするような星回り。

「野ばくちや銭の中なるきりぎりす」は、作者・小林一茶が五十二歳頃の初秋に詠まれた句。「ばくち」とは、さいころでやる丁半ばくちのことを指しています。草むらとか竹藪の中だとか、とにかくそんな野性味溢れる博打を打っていれば、銭(ぜに)の中に「ぎす」だって混ざり込むもの。すなわち、「きりぎりす」が振られたサイコロの入ったツボ皿の中で、“ちょんぎーす”と鳴いているだろう、と。

人間と自然が一緒になって偶然と戯れている。作者はその様子を横から見ていて、野趣と無法の組み合わせぶりに大いに興奮していたし、楽しくて仕方なかった。掲句からは、作者のそんな呼吸の弾みが今にも伝わってくるようです。

あえて、掲句を詠んだ際の作者の心の声を勝手にかぶせてみれば、「なっちょいのちとあそんべーや」といったところでしょうか。あなたもまた、真面目に規則通り進めるだけじゃつまらない、と言わんばかりに、規定の手順や一般的なやり方からはずれた方向へなにかと進みたがるはず。

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illustration by ニシイズミユカ

累からおりる

今週のしし座は、それまでのしがらみや軋轢から解放されて、真っ逆さまに下へ落ちていくような星回り。

「陋巷(ろうこう)」とは、狭い路地、また俗世間のこと。「陋巷に生きる」と言えば似た言葉として「零落する」という言葉も挙げられますが、零落にはそれに伴う快楽があり、「陋巷に生きる」というのもそういう快楽をこそ追求していく生き方のひとつの型を言い表している訳です。

例えば、永井荷風は高名な小説家の身でありながら、自分をひけらかすより、巷のなかに身を隠し、江戸庶民の世界に身を浸そうとしました。とくに、最後は吐血して孤独死をするのですが、それは千葉・市川の小さな一軒家の六畳間で、脇には空になった一升瓶が転がっていたそうです。

長く生きていると社会的地位や肩書きがくっついてしまいますが、人間にはイカロスのようにどんどん高みへ登っていきたいという気持ちと、重心に引かれて下へ下へと降りていきたい気持ちの、両方があります。今のあなたの場合、後者の、何にも持たない生まれてきたときの自分に戻り、大地に還っていきたいという方向性が強まっているのだと言えるでしょう。自分の中にも眠っている、自然との深い互酬関係の中に自分を沈めていきたいところです。

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illustration by ニシイズミユカ

風に敏感になる

今週のおとめ座は、ちょっとした予兆から大きな物語を紡いでいこうとするような星回り。

「秋たつや何におどろく陰陽師」(与謝蕪村)で詠まれているのは、秋がたって風が変わり、天文や占いを司っていた役人(陰陽師)が驚いたという情景。

平安時代に編まれた『古今和歌集』の中に、藤原敏行の歌でよく知られているものがあります。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」。これは風の音で秋が来たと知る。目にはよく分からないけれど、季節の推移に何か異変を感得した、まさにその瞬間を捉えている訳ですが、掲句の場合は、またそれとも驚き方が違っています。

陰陽師が驚いたというのは、ただ夏が終わり秋という季節になっただけではなく、ここには何か政界の動きとか、世の中の怪しい雲行きがあるということで驚いている。風に敏感になるというのも、ただ物理的な意味だけでなく、いろいろな意味がある訳ですが、ここでは風向きや風の音から、これから起きることの予兆を読み取り、占っているのです。あなたも、自分が何に対して驚いているのかを自分なりの仕方で誰かに伝えていくことになるでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

力を抜いて視界をひらく

今週のてんびん座は、身の周りに溢れる恵みを、豊かに受けとっていける自分に戻っていこうとするような星回り。

「地球にやさしく」「環境を守らなければ」と呪文のように繰り返す人に限って、身の周りの自然から受けとることが可能な恵みを最初から過小評価しているか、見えないふりを決め込んで、みずからリアリティを貧しくしてしまっているのではないでしょうか。

要するに、彼らは都市というものを人間の手で作りあげられたつまらない人工物だと妄信しているだけで、地球に生かされて生きているということが見えていないのです。

例えば、大都市で二時間も雨がしっとり降れば、雨水はほぼ真水に近い状態で地上に到達し、不純物を含まない雨水であれば、二か月間は保存がきくようです。また、都市に降り注ぐきつい日差しは、ラジカセや小型テレビをしばらくの間使えるほどの電気量をもたらしてもくれ、簡単に自家発電することできるはず。あなたもまた、自分のこころや暮らしを豊かにしてくれるものをきっちりと見定め、みずから手に入れていく気概を持つべし。

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illustration by ニシイズミユカ

平凡を積み上げた先の非凡

今週のさそり座は、平凡の隣りで非凡に遊んでいくような星回り。

「昼までに少し間のある秋の風」(名取文子)の大事なところは、「秋の風」へのたっぷりとした間合いにあります。もとより、秋は一日一日と日が短くなっていく季節。何やら心急く思いに駆られやすい時期でもありますが、身近な仕事が一区切りついた午前。ほっとひと息ついて、何気なく窓から外を見る、というのが句意。

この「少し間のある」という言い方は、いたって平凡な表現ではありますが、この場合はそれがなんとも絶妙なところに置かれていて、その間合いに作者の言外の思いやたたずまいが見事に表現されているように感じます。秋風とは、そんな時のこころに立つ、さざなみのような姿でもあるのでしょう。

斬新な素材や感覚を駆使して読むものを瞠目させるのも俳句の醍醐味かも知れませんが、こうした句に触れると平凡に隣接しつつ、薄紙一枚隔てて非凡な感受を一作に収めるのも俳句のたのしさなのだということがよくわかるのではないでしょうか。あなたも、なんでもないようなところで、絶妙に周囲を引き込んでしまうところが出てくるかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

人生の句読点

今週のいて座は、そのままでは一直線に進んでいってしまう時間の流れに、句読点を打っていくような星回り。

「VACANCY」と書かれた看板は、日本語に直せば、「空き部屋あります」だろうか。いや、厳密には「空き部屋あり」くらいのどこか人を突き放したような、素っ気なさが肝心なのかも知れない。

すっかり薄暗くなった路上で目にするモーテルのこの表示が、一日の移動に終止符を打たせる。目的地を定めない、気まぐれな移動のさなかにあって、その日その日の安堵を得られるのも、この表示のおかげなのだ。多くの旅人はそうやって移動してきたのであり、いて座にとっての人生の移動も、その途上に「VACANCY」のサインを偶然みかけることで、予想だにしなかった展開を見せることがしばしばだったはず。

どこに、いつ、空き室を探し当てたのか。そこに、祖国から離散したあらゆる旅人たちの、単独性の根拠があり、また、それが物語の乗り換え拠点にもなっていったのではないか。あなたもまた、自分がハマりこんでいる文脈や物語を適切なところで切断していくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

振動とその伝播

今週のやぎ座は、リアリティのオルタナティブが到来してくるような星回り。

それはまるで、「バナナチップス堅し空港がらんだう」(村越敦)という句のよう。カリカリにスライスされたバナナチップスは南国の味ですが、「堅し空港」と続くと途端にそこに肉体的および社会的なリアリティが加わって、「めんどくさそーだなー」と一瞬思ってしまったところに「がらんどう」で面食らい、呆然とする一句です。

空港は地を這うように地続きな私たちの日常的リアリティをぱっきり切断し、遠くへ繋がっていくためのハブともなりますが、さしあたりの体感としてもやはり「がらんどう」なのでしょう。つまり、掲句の「がらんどう」とは、実際に空港に人がほとんどいないのではなく(コロナ禍の今の状況ではむしろこちらが現実的かもしれないが)、体感としていったん“からっぽ”になって、生まれ変わっていくということなのかなと。

なんて言うと断食合宿かよって話ですが、私たちの中で決定的に何かが変わってしまう時というのも、何気なくバナナチップスを食べていて、その乾いた響きが内臓や骨を震わせた時だったりするのかも知れません。あなたもまた、不意にリアリティが入れ替わっていくような実感が湧いてくるはず。

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illustration by ニシイズミユカ

密やかな癒し

今週のみずがめ座は、肩書きの自分こそが、本当の自分であると改めて感じていくような星回り。

ドイツを代表する社会学者であるマックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、「世俗内禁欲」ということを言っていました。これは宗教者が修道院の内側で禁欲するというのではなく、資本家が俗世のなかで商売を営みながら禁欲するということをそう呼んだのです。

つまり、自分の職業に励むのは、金銭的欲求やぜいたくのためではなく、神の思し召しにかなうためであり、そうして真面目に働いていくことで人は救われるのだ、と。しかし、そうした立派な職業倫理について述べた彼自身は、決してその枠内にとどまる人間だった訳ではなく、ある時期に精神異常をきたし、オカルトに走ったこともありました。

おそらく、自分の主張した倫理的な職業人としての“仮の世界”とは別に、ただの人間として在れるような“真の世界”が別にあるとどこかで感じていたのではないでしょうか。あなたもまた、むしろそういうものを打ち破ったところに、自分なりの居場所を見出していこうとしていくはず。

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illustration by ニシイズミユカ

謎と向き合う

今週のうお座は、垂直的な次元にみずからを引き入れていくような星回り。

「秋風や謎のやうなる古酒の壺」(原月舟)で詠まれているのは、目の前にある、酒の入ったひとつの壺。秋風が吹き始めると、頭上にひろがる天も物寂しく感じられてくるものですが、眼前の壺もどこか呆然としていて、つらつらとそれを見ているうちに、壺があたかも一個の謎として立ち現れてきたというのです。

もちろん事実としては壺は壺に過ぎません。それでも、掲句には単なる主観の押しつけと言い捨てることのできない深い余韻があり、ある一定の条件がそろわなければ決して生みだし得なかった思考の余地が広がっていたのでしょう。

幾重にも重なっていくさざ波のような気付きをこの壺は内包しており、古酒の味わいは想像と体感のはざまでいよいよ深まっていく。掲句は、そうしたある種の瞑想体験やその予感について詠ったものとしても解釈できるように思います。あなたもまた、人間関係であれ、社会問題であれ、いつの間にか自分が巻き込まれていた事態をひとつの「謎」として捉えなおしてみるべし。

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