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林遣都が“犬目線での演技”を披露? 本格派“犬バカ映画”『犬部!』に覚えた違和感の正体

2021年08月15日 06:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『犬部!』(c)2021『犬部!』製作委員会

 ん? なんだか妙だぞーー林遣都が数年ぶりに主演を務めた映画『犬部!』を観始めてすぐ、なんとも言えない違和感を感じてしまう。筆者だけだろうか? いや、多少なり違和感を覚えた方はいるのではないかと思う。とはいえ、それは鑑賞しているうちにしだいに薄れていく。もちろん、上映尺が114分の本作に触れているうちに、“慣れていく”というのも一つあるとは思う。しかしこの違和感のヒミツは、冒頭でしっかり告げられているのだ。そう、本作は“犬バカ映画”なのである。


 この「犬バカ」という言葉は、大原櫻子演じる佐備川よしみが口にするもの。林が扮する花井颯太と、中川大志演じる柴崎涼介を指してのことだ。むろんこれは彼らへの“dis”ではない。犬を愛し、奮闘する者たちに対する最大級の褒め言葉。この「犬バカ」という言葉が、本作の違和感の理由をも指し示しているのである。


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 行き場のない犬や猫のために人生をかける若者たちの奮闘劇である本作のあらすじを、ざっくりと記してみよう。主人公・颯太(林遣都)は大の“犬バカ”で、捨て犬たちを自宅アパートに片っ端から保護してしまうような青年。「殺処分ゼロ」を目指し、医学部で獣医学を専攻している。しかし彼は、獣医師になるのに必須とされている外科実習(※動物を安楽死させるもの)に対して断固拒否の姿勢を取っているのだ。そんな颯太の周りには、彼と同じように犬や猫を愛する柴崎(中川大志)や佐備川(大原櫻子)、秋田智彦(浅香航大)たち学生が集まってくる。そこで颯太は「犬部」を発足させ、「生きているものは全部助ける」の精神で突き進んでいくのだ。ちなみに「犬部」とは、青森県十和田市の北里大学獣医学部に実在したサークルである。


 さて、この物語のあらすじを見て分かるように、主人公の颯太は動物たちに対してひじょうに愛情深い男である。本作の違和感の要因について筆者は、この颯太役の林の演技にあるのではないかと考えている。とはいうものの、何も彼の演技をくさしているわけではない。林のキャリアを振り返れば明らかだが、どこからどう見ても彼は同世代の俳優たちの中でも最前線に立つ存在だといえるだろう。映画、ドラマ、舞台と、媒体の性質や作品のタッチに合わせて、柔軟かつ的確に演じ分けることができる稀有な俳優だ。そんな林の『犬部!』での演技に関して端的に挙げられるのが、かなりオーバーな演技を“実践”しているということだ。


 林といえば、朝ドラ『スカーレット』(2019年~2020年/NHK総合)にてヒロインの幼馴染みを演じていたことも記憶に新しい。朝ドラとは、ほかのさまざまなドラマ以上に、視聴者の幅が広いものだ。ここで俳優たちは、“あらゆる世代に伝わる演技”を実践しなければならないものだと筆者は考えている。これはある種、“分かりやすい演技”とも言い換えられるもの。観る人によっては「オーバーアクト」だと感じることもあるだろう。颯太役の演技は、どうもこれに近いもののように思えるのだ。共演者の中川や大原と比較してみて、演じるキャラクターの性質の違いは当然あるものの、それでも林の演技は少し(あるいはかなり)浮いているように感じる。これが違和感の理由だ。そこでハッと気がつかされたのが、“犬バカ”の颯太を演じる林は、もしや“犬目線での演技”をしているのではないか? ということだ。


 ときに颯太は、カリカリ(ドッグフード)を食する男である。だからといって犬人間になるわけではもちろんないし、そもそも本作はそんな映画ではない。そして颯太は、犬のことを理解するために積極的にカリカリを食しているわけでもない。犬たちと過ごす時間があまりにも長いため、小腹が空くと、ついうっかり口に入れてしまうのだ。このことを角度を変えて捉えてみたい。そうすると、颯太は人間を相手とする以上に、犬とのコミュニケーションを多く取っている人物だということが分かるだろう。犬好きの人々が犬と接する際の態度を思い返していただきたい。道端だろうと、犬を見かければ人目も気にせずに豹変。普段からは考えられないような高い声を出して話しかけたり、破顔して別人のようになったり。本作において林は冒頭から、セリフの発音も表情も仕草もオーバー気味だ。これは彼が颯太という、“普段から犬目線の人間”を演じている証なのだと思う。颯太の一挙一動が、「犬狂いの人が犬に接するときのアレだ……」と気がつくと、すべて腑に落ちるのだ。


 本作における林のことを、“林遣都=犬”というと言い過ぎかもしれないが、“林遣都≒犬”とはいえると思う。犬を愛でている人の姿というのは良いものだ。その感情は伝播する。そしてその愛情に応える犬との関係性を目にすると、こちらまで破顔してしまう。これと同じことが、本作と観客の関係にはあるのだ。冒頭からしばらく感じていた本作に対する違和感は、やがて心地の良いものとなり、いつしか愛おしさすら覚える。そうして私たちも“犬バカ”の一員となるのだ。そうそう出会えることのない、本格派「犬(バカ)映画」である。


(折田侑駿)