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妻を讃える「ツマー教」の北周士弁護士、型にはまらない仕事の流儀

2021年08月14日 09:01  弁護士ドットコム

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「ツマーを讃えよ。ツマーの他に我が神はない」。ツイッターのフォロワー数2万というアカウントで、ツマへの愛を惜しみなく発信して、「ツマー教」を布教する――。北周士(きた・かねひと)弁護士だ。


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弁護士としては、中小・ベンチャー企業の支援をおこなうほか、「コインチェック被害対策弁護団」の団長としてメディアで注目を集めてきた。無断キャンセルに悩む飲食店のため、キャンセル料の回収代行をおこなう「ノーキャンドットコム」を運営していることでも知られている。



しかし一方で、ライバルであるはずの同業の弁護士たちを応援する。開業や経営について助言する本を書いたり、YouTuberとして、ほかの弁護士の仕事や人柄を動画で紹介したりしている。その人脈は、法曹界随一と言っていいかもしれない。



北弁護士をみていると、その型にはまらないスタイルにいつも驚かされる。八面六臂の活躍をみせる北弁護士はいったい、どのような弁護士なのか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)



●家族を助けてくれた弁護士

弁護士の仕事に興味を抱いたのは、小学6年生のころだったという。父が病気で急逝し、相続トラブルに見舞われた。母が法定代理人となり、自身と弟を原告として裁判することになったが、家族を支えてくれたのが代理人の弁護士だった。



「当時、母には大変なストレスがかかっていたのですが、途中で弁護士の先生が替わったら、それが軽減したように見えました。そのとき、『なるほど、弁護士という仕事もあるのか』と思ったのがきっかけですね」



その後、長野県の県立高校に進学した北弁護士。高校2年の進路相談で、「気になる職業は?」を聞かれ、「弁護士になりたい」と答えた。もともと、理系科目のほうが得意だったが、法学部を受験するためにあえて文系コースに進んだ。



「英語がとにかく苦手で(笑)。たとえば、5科目のテストを受けて、失点の8割が英語みたいなレベルでした。それで文系コースに進むということは、適正ルートから外れた感じがありましたね。だったらもう絶対に法学部に行って、弁護士になるしかないなと」



そうして入学した中央大学法学部。母子家庭で決して余裕のある学生生活ではなかった。奨学金を4つ併用、月の食費が1500円というときもあった。下宿先は、県人会の寮だった。



「男子大学生が110人も押し込められている寮で、『不夜城』みたいなところでしたね。毎晩酒盛をやってる部屋もあれば、全自動雀卓が24時間動いてる部屋もあるみたい感じで…。



あそこにいなければ、もう2年くらい早く司法試験に受かってた気がします(笑)」



とはいえ、大学在学中に司法試験には合格。卒業後、弁護士としての道を本格的に歩き始めた。



●企業法務へシフトした理由

駆け出しのころは、いゆわる「町弁」として、がむしゃらに働いた。法テラスの仕事を年間120件、受けていたときもある。何が北弁護士を衝き動かしていたのか。



「うちの家族の裁判は、お金がないことが原因の一つでした。お金のないことがトラブルの原因にあるなら、経済的に困難な状況にある人の助けになれるような弁護士に、というのが最初のイメージでした。



法テラスも当時は人気がなくて、手を挙げればいくらでも仕事ができました。毎日、5、6時間寝ればなんとかなるだろ、みたいな感じでしたね」



当時、北弁護士は20代なかば。独身で体力もあったからできたとふりかえる。しかし、5年目のあたりで、別の方向へとシフトすることになる。



「理由はいくつかあります。一つは『キリがないな』と……。



先ほど、年間120件と言いましたが、普通は頑張って年間100件が限界です。それを50年やるとしたら、5000件です。日本全人口の1億2000万人に比べれば、やはり少ないですよね。



それから、たとえば、依頼者の女性がDV夫となんとか苦労して別れられても、また似たような男と結婚したり。それはもう環境なんですよ。人間の行動のほとんどは環境要因なので、そういう男しか周りにいないし、選べない。



なんかキリがないな、その環境を変えないとどうしようもないな、と感じました」



そこで、北弁護士が注力していったのが、企業支援だった。30代にさしかかろうとしていたときだ。



「企業支援をすれば、雇用が生まれる。雇用が生まれれば、彼らにお金がまわるようになればいいじゃないか」



あるとき、北弁護士はそう気づいたという。



「たとえば、1人で直接100人を手助けすることは限界がありますが、1社を手助けして、50人の雇用が生まれるのであれば、50社で2500人になります。そのほうが、環境を変えることができるのではないかと思いました」



●若手弁護士のために書いた本

2011年4月には自身の事務所を構えた。その2年後には、初めての著書を上梓する。タイトルは、『弁護士 独立のすすめ』(第一法規株式会社)。弁護士の独立開業や経営について、具体的に書かれた本だった。



なぜ、このテーマを?



「自分が読みたかった本、ですね。開業するときに、若手弁護士が参考にできるような本がありませんでした。



いわゆる開業本はありましたが、豊かだった時代の開業しか解説されていなくて、正直あまり参考にならなかったんです。やはり、今の時代とは金銭感覚が違っていて、そのまま参考に開業すると、事務所の広さや家賃など、自分には明らかにオーバースペックになっているところでした。



若手にとってリアルな独立事例の本がないなら、じゃあ自分で作るしかないよなと思って、出したのが1冊目の本です」



この本は、企業法務にシフトしていった理由ともつながったという。



「1社を手助けすれば、最終的に50人を手助けることになるとお話しました。次は、弁護士の先生が1人、経営が成り立つようになれば、この先生が50社を手助けしてくれるようになるかもしれない。



私が1人でやっても50社だけですが、ほかの弁護士の先生50人を元気にしたら、2500社の会社を元気にしてくれて、最終的には10万人の手助けになるかもしれない。そっちのほうが、より大勢の人たちに届くんじゃないかと思ったこともありました」



この本をきっかけに、開業についてセミナーで講演してほしいという依頼が押し寄せた。当時、若手弁護士にとっては就職難の時代。事務所に就職できても待遇が悪いという悩みを抱えていた。



「以前は、事務所に就職して、何年か経験積んだら自然にお金も貯まって、お客さんもついてきて、じゃあそろそろ自分の城を、というのが当たり前でした。いきなり独立しても、地域の先生方が助けてくれる時代でもありました。



しかし、それが崩壊し始めて、先行事例が見つからなかった。みんな早く独立したいけど、具体的に何やっていいかわからない。それだけに、本への反響はありました」





●消去法でベンチャー企業支援?

そうして始まった弁護士の経営支援とともに、北弁護士は現在、ベンチャー企業支援にも注力している。その理由を尋ねると、意外な方向に話が飛んだ。



「事務所を経営していたのですが、大変お恥ずかしい話、私は人に働いてもらうのが下手だったんです。アソシエイト(パートナー弁護士の下で働く弁護士)が立て続けに3人、辞めてしまいまして…。



すごい長時間労働を強いているとか、お給料がすごい低いとか、私が怒鳴りつけるとか、そういった理由はまったくなかったのに離職率が高いのは、私が自覚していないやばい何かがあるのではないかと…。



そのうち、事務スタッフが体調を崩してしまい、この状態を続けるのは難しいと判断しました」



30代後半になり、長時間労働でカバーするのは体力的にも厳しかった。



「まず、時間をとられるので長距離移動ができない。長電話もできません。大量の書面を印刷することもできない。1日の実労働時間は8、9時間ぐらいしかないので、1本の電話で30分かかっていたら、下手すると10数%が取られてしまうわけです。



じゃあこの状態でできる仕事ってなんだ、と考えたときに、近距離の都内で、電話ではなくチャットなどのツールの連絡がメインで、訴訟もそれほどないというクライアント層をみていったら、結論としてベンチャー企業だったんです。



彼らの新しいビジネスの話を聞くのも楽しかったということも理由としてはありましたが、実は消去法でしたね。今は、もう少し広がっていますが、ベンチャー企業を中核に据えることで、ストレスはかなり減りました」



仕事の方向性が決まると、今度は事務所を構える必要性がなくなっていった。



「もともと、ある程度の人数が入ることを前提としていた広さの事務所でしたが、2018年には私とパートナー2人だけしかいなくなってしまっていました。クライアントもチャットでコミュニケーションが取れるので、事務所に来ることもない。広い事務所に事務所に1週間に1人しか人が来ない、ということもありました」



電話もかかってこないし、さて、事務所をどうするか。考えていたときに、現在の事務所の代表から「一緒にやらないか」と声がかかった。代表3人はいずれも同期だった。



「 はい、よろこんでと返事していました(笑)」



●ライバルである他の弁護士を応援

少しだけ北弁護士の素顔が見えてきたところで、これからは手がけてみたい仕事を尋ねてみた。



「今までお話した通り、基本的には流れで来たものの中から仕事を選ぶというスタイルなので、すごい展望とかはないんですよ。



すごいいろいろやってるように見られていて、『やりたいこといっぱいあっていいですね』とか、『すごい楽しそうですね』みたいなことをよく言われるんですけど…」



自分一人で引き受けられる仕事量にも限界がある。そのため、ほかの弁護士を支援して、業界全体を盛り上げていきたいという気持ちがあるという。



たとえば、メディアにもよく登場する田村勇人弁護士や佐藤大和弁護士とともに、YouTubeにチャンネルを持ち、ほかの弁護士を紹介する動画をアップしている。



「やっぱり、弁護士はすごい人がいっぱいいるんですよ、本当にいろいろな知識を持って、専門的な仕事をされている。ただ皆さん知らない。それがすごいもったいないと思っています。



それから、仕事がつらいという弁護士もいる。でも、自分が得意な仕事にしぼってやれば、そこまでつらくなくなるはずです。



そう考えると、弁護士が得意とする仕事をどんどん紹介したほうが、その分野のクライアントと出会える機会が持てるし、業界全体が盛り上がると思っています」



●「ツマー教」はこうして始まった

北弁護士は弁護士としての顔のほかにも、「ツマー教教皇」という「別名」がある。北弁護士によると、ツマー教とは、自分の妻が大好きであることを隠さず、公の場でほめたたえようという活動で、北弁護士は教皇を名乗り、布教している。なぜ、ツマー教の「信者」に?



「これには、きっかけがありました。私より先に結婚した公認会計士の友人がいるのですが、ちょっと面白くて、自分の奥さんのことを『大天使』と呼んでいたんです(笑)



アークエンジェルとかすごい!と笑っていいましたが、それが刷り込みになっていたようで、気がついたら自分も結婚後に『ツマーは神』『ツマーを讃えよ』とか言い出してましたね」



北弁護士に対して、「自分も北先生に負けないぐらい、妻が大好きです」と打ち明けてくる人もいるという。しかし、公の場では恥ずかしいのか、文化的になじみがないのか、あまり聞かない。



「そういう『隠れツマシタン』がけっこういると思っています。ですので、コロナ以前は、妻が大好きな人たちを集めた会を開いたりしていました。



自分で主催しておいて言うのもなんですけど、本当にすごいんですよ。既婚男性だけで集まって、3時間ひたすら自分の妻がいかに素敵かということを語ります。人の話は聞いていません(笑)。



そして、一次会が終わったら二次会はせずにさくっと帰ります。みんな妻が好きなので、自宅に早く帰りたいんですよね」



弁護士の仕事のかたわら、ツマー教の布教は今も熱心に続けられている。



【北周士弁護士の略歴】 静岡県出身。長野県立上田高等学校卒業。中央大学法学部法律学科在学中だった2006年に司法試験に合格。司法修習を経て、2007年9月に青山総合法律事務所入所、安藤武久法律事務所を経て、きた法律事務所を設立。その後、北・長谷見法律事務所に変更した。2018年9月からは、法律事務所アルシエンに参画して現在にいたる。コインチェック被害対策弁護団 団長、不当懲戒請求被害回復原告団。著書に『​​弁護士 独立のすすめ』(第一法規株式会社)、『弁護士 転ばぬ先の経営失敗談』(同)など、共著に『弁護士「セルフブランディング×メディア活用」のすすめ』(共著)など多数。趣味はファッションやアート、読書など。二・二六事件で理論的指導者とされる北一輝は、教育家であり多摩美術大学創立者だった祖父、北昤吉の兄にあたる。