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アメノイロ。、anewhite、Ochunism、クレナズム、なきごと……気鋭バンドが集結 『ロッキン・ライフ in ライブハウス』レポ

2021年08月13日 13:11  リアルサウンド

リアルサウンド

なきごと(写真=aoi / アオイ(@thnks_th))

 ライブイベント『ロッキン・ライフ in ライブハウス vol.2』が、8月8日に大阪・阿倍野ROCKTOWNにて開催された。本稿では、リアルサウンドでもライターとして活動し、同イベントを主催した筆者(ロッキン・ライフの中の人)自身が当日の模様を振り返る。


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 アメノイロ。、anewhite、Ochunism、クレナズム、なきごとという持ち味のそれぞれ違う、新進気鋭の5バンドが集結したこの日のライブイベント。


 最初にステージにあがったのは、アメノイロ。だった。自身のインストソングである「懐古」をSEにして、ゆっくりとステージに向かう。SEを流し切ると、寺見幸輝(Vo)が「良い音楽を届けに来ました」と言葉にして「海岸通り」の演奏を始める。アメノイロ。というバンド名の通り、青色主体の照明が印象深くステージ上を瞬く。その照明と混ざり合うかのように、透明感ある寺見のボーカルが、ノスタルジーな世界観を作り上げていく。しかし、単純に綺麗なだけで終わらないのがアメノイロ。の凄さである。続く「メリープ」ではアップテンポなビートで会場の空気を大きく変えていく。ロックバンドとしての躍動感を生み出し、アグレッシブに会場を盛り上げていくのだ。その上で、アメノイロ。は、何気ない出会いや別れ、心の中で生じた小さなわだかまりを丁寧に歌ってきたバンドでもあり、この日のライブでもそんな一面を覗かせることになる。今回の筆者との出会いが、ブログ内の記事で取り上げられたことを振り返り、「たまたま」の出会いの大切さを噛みしめるように歌を歌っていたのが、どこまでも印象的であった。


 二番手としてステージに上がったのは、Ochunism。“ジャンル不特定6人組バンド”という呼称で活動しているのは伊達ではなく、「rainy」「freefall」「SHOUT」とカラーの違う楽曲を鮮やかかつスタイリッシュに演奏していく。心地よいギターのカッティング、踊るようなベースのライン、幻想的なキーボードの音色、ドラムとサンプリングの洒脱なビートメイクと、オシャレな印象が残る切れ味鋭いアンサンブルを展開していく。しかし、その上でさらにバンドとしての力強さが顕わになっていく場面を目撃することになる。「SHOUT」では、凪渡(Vo)が手を宙に挙げると、それに呼応するかのようにオーディエンスも手を挙げて音に合わせて踊っていくのだ。洒脱なだけではなく、ダイナミズムにライブが展開されていく。凪渡の伸びやかなハイトーンボイスも“SHOUT”を連発していき、ライブの中にどこまでも躍動感が生まれていく。おそらく今回のパフォーマンスで、良い意味で音源のイメージから変わった人も多かったのではないだろうか。そんな変幻自在のライブを展開したのだった。


 三番手はanewhite。活動開始から2年ほどのバンドでありながら、ギターロックバンドとしての完成度はすでに高い。それを示すかのように、今回のライブでは曲と曲の繋ぎで毎回見せ場を作り出していく。冒頭に披露したアッパーなロックテイストである「群像劇にはいらない」から次の「metro」の繋ぎでは、速いテンポを殺すことなく、ドラムが巧みにダイナミズムな動きを作り出して、そのまま次の楽曲へとなだれ込んでいく構成に。爽やかさを持ち合わせつつも、ロックバンドとしての激しさも彼らの持ち味であることを感じさせるパフォーマンスだった。また、「カヤ」と「ソワレの街で」の繋ぎも圧巻で、「カヤ」の終わりからリズミカルなベースソロで会場を沸かせたあと、「ソワレの街で」のイントロに華麗に接続していく流れは鳥肌ものであった。「ソワレの街で」のサビのメロディラインは痛快で、そのメロディに合わせてオーディエンスが手を掲げる姿は感動的なシーンであった。曲一つひとつが美しく、キャッチーで魅力なのは言うまでもないことだが、楽曲単体で聴かせるのではなく、ライブだからこその演出で魅せるあたりに、このバンドの美学と凄みを体感させられた。


 四番手でステージに上がったのは、クレナズム。ここで会場の雰囲気は大きく変わる。SEにMy Bloody Valentine「Only Shallow」が流れる中、萌映(Vo/Gt)とけんじろう(Gt)はフェンダーのJazzmasterを抱え、自分たちのルーツである音楽をここにぶちまかしにきた、と言わんばかりにステージに立つ。そして、初っ端から音で痛烈にそれを示すことになるのだった。最初に披露した「白い記憶」は1分以上イントロがある曲だが、ボーカルレスの部分でメンバーはステージ上で自在に身体を動かし、美しい轟音を会場内に満たしていく。けんじろうに至っては、その場に転げ回りながらギターをかき鳴らす場面も。クレナズムはシューゲイザーの系譜を辿りながらも、そこだけに留まらないバンドで、ある種のポップさを内包させているのも特徴のひとつである。「ラテラルアーク」や「ひとり残らず睨みつけて」では、そのような美しさもきっちりと見せつけながら、自分たちのライブを展開していく。それまでのバンドは青色の照明が印象的であることが多かったが、クレナズムの照明はオレンジが印象的に輝く。このライブイベントも終盤に迫っているのを示すかのようだった。新曲「積乱雲の下で」では夏ソングらしい爽やかな印象を魅せたかと思えば、最後は「青を見る」で再び、会場内にひずんだ轟音をぶちかましていく。ラスト1分のボーカルレスな部分では、白い照明が点滅していき、どこまでも幻想的にステージの景色を作り出していくのだった。


 このイベントのトリを務めたのは、なきごと。パフォーマンス前、サポートを含めたステージに立つ4人のメンバーがドラムの近くに集まり、それぞれを顔を見合わせ、気合いのような掛け声を出す。その後、メンバーが定位置に付くと、水上えみり(Vo / Gt)一人にスポットライトが当たり、最初に披露されたのは「忘却炉」。ソリッドなバンドサウンドでストレートに歌の世界を生み出していく。岡田安未(Gt / Cho)の攻撃的なギターソロも健在で、トリらしい圧巻のステージングを展開していく。続く「知らない惑星」でも、アグレッシブなサウンドが怒涛に繰り広げられる。新曲「D.I.D.」では、水上がハンドマイクでステージに立ち、低音が強めに響くリズムアプローチの中、ディープな空気感の楽曲を披露した。新曲を通じて、なきごとのカラフルさを改めて実感することになる。そんな新曲を披露したあと、少し長めのMCへ。そこで、水上は表現者としての複雑な感情を吐露する。曰く、「バンドに対して書かれたくないことがある」「違うんだよなと思うことを書かれることがある」。言葉の感覚や手触りに敏感な水上だからこその想いがそのMCに表れていた。だからこそ、その言葉の中に潜む音楽愛にも敏感で、筆者がライターとして紡いだ言葉に確かな愛を感じたと明かし、感謝の気持ちを述べたのが印象的だった。ひとしきり言葉を紡いだあとで、水上は「誰もに寄り添える音楽を届ける」とこのあとの決意を口にする。ここで披露されたのは「癖」。なきごとの感情の高ぶりや意志の強さを表現しているかのように、冒頭のイントロでは、この日一番ではないかと思えるほどの轟音を響かせる。いつだって誰かの“なきごと”に寄り添い、自分の“なきごと”にも真摯に向き合ってきたなきごとだからこその表現がそこにはあった。最後、水上は「最後は羊の安楽死の歌を」という一言で、なきごとの始まりにおいても重要な一曲「ドリー」を披露する。前身バンドのメンバーが辞めるとなったときに書いた歌であり、岡田はこの歌(とこの日のライブでも披露された「メトロポリタン」)を聴いて、水上とバンドをやりたいと思えたというエピソードも。こぼれ落ちるかもしれない存在を確かに肯定するその歌は、この日のライブハウスの中で、どこまでも幸福感に満ちて響いていたのだった。


 ライブハウスは不思議な場所だ。いつだって日常でありながら、非日常の世界が生まれている。事件のような出来事が当然のように起こっている不思議な場所である。この日の阿倍野ROCKTOWNでもまた、そんな不思議な光景がずっと展開されていた。きっと未来の音楽シーンで今以上に存在感を示すことになる若手バンドが紡いだそのバトンは、確かな輝きを放っていた。「今日だから良かった! このライブだから良かった!」。きっと誰かの記憶の中に、そんなふうに残り続ける景色が、この日のライブの中で、眩しい光を放ちながら、幾度となく展開されていたのだった。(ロッキン・ライフの中の人)