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祖先は若者の憧れ? トヨタ「GR 86」のルーツを探る

2021年08月11日 11:31  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
トヨタのスポーツカー「86」がフルモデルチェンジし、2代目となる「GR 86」に生まれ変わる。そもそも、数字の「86」(ハチロク)という変わった車名を持つこのクルマは、どのようにして誕生したのか。新型モデルの登場を前にルーツを確認しておこう。

○起源「AE86」のもっと前は?

かつてトヨタには、「AE86」という型式番号を持つ2台のクルマがあった。「カローラレビン」と「スプリンタートレノ」だ。これらのクルマが現行86のルーツとなっている。

「AE86」は、1983年にデビューした5代目「カローラ」と「スプリンター」のスポーティーモデルとして登場したクルマだ。5代目カローラはセダン系がFF(前輪駆動)であったのに対し、クーペ系はFR(後輪駆動)という2種類の駆動方式を持つのが特徴だった。ハンドリングなどのFRの運動性能を優先したクルマであり、当時のトヨタが標榜していた「Fun to Drive」を体現したモデルであったといえる。

AE86に関してはこれまでも多くが語られてきているので、ここでは、その始祖に目を向けてみたい。

まずは少しだけ、カローラの歴史から。このクルマの誕生には、1966年4月に日産自動車が発売した「サニー」が深くかかわっている。サニーは排気量1,000ccの大衆車で、現在の「ノート」につながるクルマだ。サニーの登場を受けて、トヨタが満を持して発売したのが排気量1,100ccの初代「カローラ」だった。そのほかにも「スバル1000」が登場するなど、1966年はまさに「大衆車元年」だったといっても過言ではないだろう。

初代カローラ発表の翌々年、1968年に発売となったのがカローラ スプリンターだ。カローラ2ドアセダンをベースにスポーティーなファストバックスタイルをまとったモデルで、スポーツ嗜好のユーザーをターゲットにしていた。つまり、カローラは発売当初からスポーティーなモデルをラインアップしていたのだ。更に付け加えると、当時はコラムシフトが主流であったのに対し、カローラには積極的にフロアシフトを採用するなど、トヨタ自体もスポーティーなイメージを育てていたのである。

カローラが2代目に進化したのが1970年。その後は1971年に商品改良が実施され、その約半年後の1972年3月14日に「カローラレビン」「スプリンタートレノ」が発表になった。型式番号は「TE27」だ。

この2台はそれぞれの2ドアクーペSRを基本とし、「セリカGT」「カリーナGT」にラインアップされていた「2T-Gエンジン」を搭載するとともに、駆動系、足回り関係を強化したモデルで、最高速は190km/h、0-400m加速は16.3秒(5人乗車時、ハイオク仕様)を記録した(トヨタ発表)。2T-Gエンジンは1,600cc4気筒DOHCで、最高出力115ps/6,400rpm、最大トルク14.5kg・m/5,200rpmを発揮。トルクはNm表記だとおよそ142Nmほどになるだろう。

駆動系はクラッチ、プロペラシャフト、デファレンシャルなどを強化。オプションでLSDも用意されていた。足回りは前後のばね常数を高くするとともに、ショックアブソーバーの減衰力を大きくし、またスタビライザーなどの径を大きくすることでハードなセッティングが施されていた。

エクステリアでは専用のエンブレムを装着していたほか、モール類、ストライプ類を大幅に削減し、175/70 13インチタイヤを採用。それに伴い、前後にオーバーフェンダーが追加された。フェンダーミラーは流線型の大型のものとなった。

内装は大型フルコンソールボックスを搭載。インパネ中央部にアンメーターと油圧計、油温計を組み込んだ6眼式メーターを採用した。新設計のシートを備え、フットレストも取り付けられるなど、機能性とフィーリングの向上が図られるとともに、安全性も向上していた。前席には3点式シートベルトのほか、ヘッドレスト、ディスクブレーキ、タンデムマスターシリンダーなどが備わっていた。
○若者でも手が届く存在

レビン/トレノの登場により、カローラおよびスプリンターは「1200SL」「1400SL」「1400SR」と合わせて4種類のスポーツモデルを持つことになった。当時の価格は81.3万円(東京渡し)で、当時の若者でもぎりぎり手の届く範囲に収めてあった。販売目標台数は500台/月だ。

モータースポーツにも活躍の場を広げたレビン/トレノは、さまざまなレースやラリーで優勝するなど知名度を上げていった。このあたりは現在の86やGR 86などに通じるところもありそうだ。

その後のレビン/トレノは排気ガス規制などをクリアしながら、少しずつ重く、大きくなっていったものの、各世代のスポーツモデルを象徴する形で生き残った。そして1983年、AE86がデビューする。

AE86は長きにわたって使ってきた2T-Gエンジンに代えて、「4A-GEU型」の1.6リッターDOHCを搭載した。エンジンが変わり、走る楽しさに一段と磨きのかかったAE86は若者にも人気で、発売当初のレビンはカローラシリーズの中で3割を超える勢いだったという(当時、カローラの乗用車はセダン、リフトバック、2BOXのFX、リフトバックにレビンの計5種類だった)。こうして、今に続く86の歴史がスタートしたのだ。

GR 86はコンパクトなFRスポーツカーだが、その始祖となった「TE27」もコンパクトなボディに元気のあるエンジンを搭載し、かなり走りに振った若者に人気のあるクルマとして存在をアピールしていた。若者でも手が届く、走らせて楽しいクルマ。これこそが、TE27から始まりGR 86へと続くアイデンティティだと思う。

内田俊一 うちだしゅんいち 1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験をいかしてデザイン、マーケティングなどの視点を含めた新車記事を執筆。また、クラシックカーの分野も得意としている。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員。 この著者の記事一覧はこちら(内田俊一)