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寝たきりの人でも働ける「分身ロボットカフェ」に見出す「出会いの未来」 OriHime開発者・吉藤氏

2021年08月09日 08:31  弁護士ドットコム

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外に出られない人、障害のある人もない人も、外出困難であっても働ける場所。それが「分身ロボットカフェDAWN ver.β」(東京都中央区)。


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「パイロット」と呼ばれる働き手は、分身ロボット「OriHime」を遠隔操作して接客する。多くの仲間たちとともに何度もの実験を重ねながら、この6月に待望の常設店がオープンした。



企業や自治体、イベント関連へも活躍の場を提供しながら「寝たきりでも働ける場所」の可能性を広げていく。OriHimeを開発したロボット研究者の吉藤オリィ氏に話を聞いた。(ライター・志治美世子)





●分身ロボットで仲間はつくれるか

《広々とした店内に入ると、そこはちょっとしたショールームスペース。パイロット体験でOriHimeから見える世界も体感できる、説明役はもちろんOriHimeたち。遠隔操作のパイロットが、お天気の話なども交えながら説明してくれる》





――分身ロボットカフェの構想には、寝たきりだった親友・番田雄太さんとの約束があったそうですね



私は小学校5年から中学2年までの3年半、不登校で引きこもっていました。その間は体調を崩しがちだったこともあって、まず自分自身の問題として「もうひとつの体が欲しい」と思いました。



入院していたり、自分の家から出られないような時、学校に帰りたいとも思いましたし、社会参加したかった。友人たちとのコミュニケーションだって取りたかった、そのための分身ロボットを作ろうとしたことが出発点でした。私は外に出られない自分自身のために分身ロボットを作ったのです。



私たちが出会ったとき番田は24歳でしたが、彼は4歳の時に交通事故に遭って、以来20年間ずっと寝たきりの入院生活を送っていて、そんな彼には行きたい場所も帰りたい場所もなければ、学校にも通ったことがなく、居場所もなければ、友達もいない。



健常者であってもなくても、他の人たちがどういうコミュニティに属しているのか、そもそもどうすればコミュニテイに加われるのか、ということも分からないわけです。



でもその感覚は私にも近いところがあって、引きこもっている間に自分が他者とどういうふうに会話をしていたのか忘れてしまっていましたから。



人が集うコミュニティに戻りたい、自分が加わることができるコミュニティを探したい、頼れる先だってもっと欲しかったし、友人とはいったいどうやって作るものなのか、と真剣に悩みもしました。でもそれらは意識した途端、とてつもなく困難で高いハードルとなって目の前に立ち塞がってくる。それを身を以て知っていましたから。



であれば、仮に彼に分身ロボットというツールがあったとして、いったい何ができるのだろうか。どう役立てていくことができるのか。 寝たきりの番田雄太がある意味でのモデルとなって、自分のニーズで作った時には必要があってのものだけれど、その時の私には必要ではなくなっていたOriHimeが役に立つのかもしれない。



「社会参加」というある人たちにとってはごく当たり前でもあることが、ひとたび少しでもつまづきをもってしまったが最後、出口の見えない迷路に迷い込んでしまうことにもなる。



ひとくちに、ただ「社会参加」などと言ってしまえる漠然としたものではなく、番田が、テクノロジーを使うことによって、友達を作ることはできるのか。そのなかで「仲間意識」「チームワーク」を発揮することは可能なのか。さらに「社会から必要とされて、お金をもらうことができる成果をあげることはできるのか」ーー。



この3つを、まったくの寝たきりで教育も受けていない番田が実現することができれば、他の人たちもOriHimeを使って同じように実現することができるはずではないか。



そしてそう思った背景には、たしかに番田という特殊な個性があったと思っています。



●接点は「孤独からの解放」だった

≪カフェは3つのエリアがあって、予約のいらないカフェラウンジ、OriHimeパイロットが接客してくれるOriHimeダイナー、今は開業準備中のBarコーナーもある。時間入替、予約制のダイナーに座った≫





――番田さんと吉藤さんを結びつけたものは何だったのでしょう?



私自身は不登校だった時には何もしたくなかったし、誰かに会うこともほとんど諦めてもいました。「もう人間はいいや」と思って人工知能、AIがあればいいとも考えていました。



でも番田は仕方がないとか諦めよう、とかいうこととはほとんど無縁でした。彼はこう言いました。



「今までの20年は、『明日生きるために何もするな』と言われ続けて生きてきた。外に出たい、という願いすら叶えられなかった。



これって生かされただけで、生きているって言えるのだろうか。入院生活で出会った小さな子供が亡くなっていく時、その子に手を差し伸べることすらできない。だったら自分は何のために生きていて、どうして生かされ続けているのだろう」



「生かされるのではなく、たとえ明日死んでも構わないから自分で生きたい」



彼には明確で強い意志があり、私に出会うまでに6000人もの人にメールを出しているんです。それも手ではなく、顎を使って。私だって6000人なんてそんなにメールを打ったことはありません。



でも彼は顎を使って片っ端からメールを打った。もちろん無視されるのがほとんどで、時にはひどい言葉を投げつけられたり、ごくたまに会いにきてくれる人がいてもコミュニケーションがうまく取れずに面倒くさいやつと相手に感じさせてしまって、その後はメールを出しても返信がなかったり、二度と会いにきてはくれなかったり。



彼と私がつながるまでには、顎を使ってメールを打ち続けていた6000人が私たちの間にいて、それはお母さんからも周囲からも「もうやめておきなさい」と止められながらのことでもありした。なぜなら時には訳のわからない宗教がらみの人とか、危険を感じさせるようなこととか、大変なことが山ほどありながらのことで、それでも諦めなかった。彼の強さです。



そのときの私の研究テーマ「孤独の解消」とも重なって、「では一緒に研究しようか」というかたちで私たちはつながりました。



私が引きこもりになった背景には、複合的ないくつかの理由があります。ひとつは祖父が亡くなったことへの精神的なショック。それが理由というよりも、きっかけとしてあった。そもそもがクラスで浮き気味で、他のクラスメイトたちと話が合わない子どもでした。一緒に遊ぶということができない。



でも私はモノ作りが得意だったので、小さな頃には周囲が私の作ったもので遊んでくれていた。少し距離をおいて、他の子たちが遊んでいることに間接的に関わっていることができたのです。私が作ったもので周囲が喜んでくれている。そこが私にとっての居心地のいいポジションでした。



ところが高学年になってくるとゲームボーイやポケモンが登場してきた。校庭で遊ぶ遊びも高度になってきて、そういう精神と体を含めた成長にまったくついていけなかったのです。そういう意味でのシンプルな心の成長の遅れのようなものがあったと思います。



ではどうやってそこから抜け出すことができたのか。これは著書の『「孤独」は消せる』に詳しく書いたのですが、一番大きかったのが師匠との出会いでした。



「出会い」に出会えるかどうか。私は人間は人との出会いによっていくらでも変わることができる。そう信じています。



きっかけは本当に偶然でしかなかったのですが、その師匠が地元の工業高校で教師をしていた。



●「高速道ではなく、迂回道路を走る。しかも真っ直ぐに」

≪テーブルにいる小さなOriHimeがメニューの説明し、オーダーを受けてくれる。パイロットは関西の大学病院に入院中で、心臓移植の順番を待っている女性だ。入院からコロナ禍のためにもう1年、誰とも面会できないのだという。



「ここで働けるようになって、いろいろな方たちとお話もできて、元気になったんですよ。看護師さんたちも、声が大きくなったねって言われるんです」≫







――師匠であるロボット開発者の久保田憲司先生に出会ってからも、分身ロボットの研究に至るまでには紆余曲折があったようですが…。



私は元々が目的のない努力ができないタイプで、やれといわれても何のためにやるのかが明確に分かっていなければ、頑張ることができない。何のために中学校に行かなければならいのか、とか将来のために今やっておけとか、そもそも何のために学校に行かなければならないのか、とか、不登校の時にはそこからさらに極まって、何のために生きて行かなくてはならないのか、とか。そこに目標ができた。「久保田先生のもとに行きたい。そのためには高校に行かなければならない」という目標でした。そのためにはまず勉強しなければならなかった訳です。



高校に行くためには、学校に行かなければ。そのためにはまず塾に行かなければならなかったので、不登校になった背景にはいじめもあったのですが、それからは「人は人だ」と思えるようになった。



私は決められたルートで他の人と同じことをやってもとても敵わない人間なので、学校のテキストや課題をそのとおりにこなすことができません。そういう意味では人よりもできないことが多いのです。だから他の人と同じことをしていても、それでは上手くいかないということは、それまでの人生の経験で分かっていました。



加えて自分のやりたいことがはっきりした上で大学に入っていたのですが、大学の先生から「やりたいことがあるなら修士とか博士になってからやりなさい」という言葉には従いようもなく、両親からも「まずは大学を卒業しなさい」と言われていて、やりたいことははっきり見えているのに、そこにたどり着くための衝突がかなり大きかった。親を納得させるためにも研究室に入る必要がありました。



そこで「オリィ研究室」というのを勝手に名乗って、自分の住まいに置いて、親には「研究室に入りました」と報告した。もちろん詭弁です。



普通だったら高校受験の次には大学受験して大学に入る。私の場合はAO入学でした。早稲田という大学は普通に入るのならけっこう難しい大学で、入学はしたもののまったく勉強にはついていけない。早稲田の教育もいわば「効率の良い勉強」で、上手く点数を取る方法とか上手くオール評価で80点を取れるような合理性があって、これはこれで「すごい!」と思いましたが。



私の成績といえば、FかA +か、という具合に二極化していて、自分の興味があることについては点数を取れるのですが、それは悲しいかな、どんなに頑張っても100点にしかならなくて、どうしたって150点にはならないのです。で、他は全部落第点になってしまう。私にとって世の中はなんて生きにくいのだろう、と思っていました。



しかも現在のコロナ禍とは事情が違っていたので、休むと単位が取得できない。4回休むと落とすんです。体調の悪かったこともあってこれも私にとってはかなりのハンデキャップでした。どんなに勉強しても休むと単位に結びつけることができない。在宅で単位を取るという選択肢はなかった。5年間在籍し、その後4年間休学したままその後退学しました。



工業高校を出てから一年間高専に入ったのですが、ここは違うと感じて辞めてしまったし、大学に入っても研究室を勝手に作ったりしていたので、卒業しようという余裕まではありませんでした(笑)。



5年生になった時に、「オリィ研究室」というその個人サークルを会社へと立ち上げ、忙しくなったため休学しました。「大学に戻ってこいよ」という声もかけてもらったのですが、「まあ、(大学は)もういいか」と思って辞めたのが2016か2017年だったかな。



私はどちらかといえば独学タイプで、大学での勉強がピンとこなかったというのもありましたが。学部は機械でしたが、こちらもあまり面白くなかった。



2012年に会社を作って、それに前後して仲間も増えていって、とは言っても給料などはとても支払えていなかったのですが、大学の3年生以降は、コンクールに出品して獲得した賞金を研究費に充てていました。モノづくりコンテストなどで10万円から100万円もらえるものまで賞金はいろいろでしたが、他のアルバイトをするよりはずっと効率が良かったですね。何よりも研究しながらでしたし、とにかくお金がなかったので。



元々が就職は苦手なタイプでしたし、かといって大学に残って研究のための研究はしたくなかったし、だから私のやりたかったことー「分身ロボットで孤独を解消する」というテーマに自由に取り組める、それまでの世界にはどこにもない場所を作るためには、自分でやるしかありませんでした。



●「コミュニケーションの質」が人を変える

《大きなOriHimeがオーダーを運んでくる。腕は上げてバイバイができる。首は上下と左右に。ちょっと斜めにも傾げられたら、すごく可愛いだろうな、などと思う》





――コミュニケーションの飛び交う場をつくる



「自分らしい」という言葉がありますが、今私がここにいることなんか実は幻想であって、人は自分らしい、とか自分探しなんてできないし、ましてや自分なんて見つけることすらできない。



自分では自分のことをこういう性格だと思っていても、人から見たらまた違ったように見えることもあるし、私自身が自分というものを上手く扱うことができない。集中しなければならない時に他のことに気持ちが向いてしまったり、好きなことしかできない。



自分で自分が制御できるなら、例えばダイエットのために自分を律することもできるはずだけれど、おおよそ失敗することも多い。



人とは、自分を律することができない生き物だと思うんです。子育てどころか自分育てすらできない。



では何が自分を育ててくれるのだろうか。私はそれが自分の身を置く環境、つまりその場で起こるリアクションこそがコミュニケーションだと考えていて、だからいかにコミュニケーションが飛び交う場に自らを置くかが重要です。それが自分を変えていく、「変質」させる方法だと思っています。



その場のコミュニケーションの質によって人はまったく変わってしまうのです。それが「生きている」ということだと私は思っています。



「自分はこうだから」というよりも、モノ作り少年だったときの小学生だった自分と、不登校の中学生だったときの自分は違うし、師匠の元で黙々ともの作りを続けていた高校生の自分と、まったく人と話さずに人工知能のことばかり考え続けていた高専時代があって、早稲田に入ってからは片っ端からサークルに入りまくって、コミュニケーション能力というものの正体を探していた時期もあった。その後に会社を作ったときには、もう以前の自分とはやっていることも考えていることも、周囲の環境も違っています。



その折々で出会ってきた人が必ずいて、その人たちによって私は「私」になった。でもそれは、引きこもっていた時期に久保田先生に出会えなかったら、きっかけもなくずっと引きこもったままだったら、一生会えなかった人たちだった。



そう考えている中で、今寝たきりの人、さまざまな状況の中で人と会うことを拒否している人、人と会えない環境にいる人、6000人にメールを打つという離れ業をやってのけた番田雄太とも、私が自分自身の人生を変えるきっかけになった出会いだったし、「この人のようになりたい」という憧れにもつながった。



人と出会うことで何かが始まる、という「スタート」を作る。これが私の研究テーマのひとつでもありました。



●「出会いを設定しない出会いの場」という挑戦

《初心者マークをつけたOriHimeたちは発展途上でもある。ときにはコースからはみ出して、よっこらしょとばかりにスタッフに戻してもらうことも。密かにオムレツを焼く練習を重ねているパイロットもいるらしい。「練習中ですがちょっと遊びにきました」。席にふらりと立ち寄ってもくれる。そのうちにパティシエを目指すパイロットが登場するかもしれない》





――このカフェには多くの要素が取り入れられていますが。



カフェの設計も内装も、すべてこだわりをいれさせてもらいました。もちろんチームにはプロのデザイナーにも入ってもらっていますが。 「出会いを設定しない出会いの場」をコンセプトとして、目標としていた自分のやりたかったことはすべてできた、と思っています。



出会いを期待して出会いを求めると、出会わなかった、出会えなかったときにその期待に裏切られてしまう。



私も昔からそうなのですが、友人を作ることも親睦会、懇親会も得意ではなくて、懇親会に参加して懇親できなかったとき、交流会なのに交流できなかったことのつらさが身に染みているんです。さあここで友達を作りなさい、といわれることに対しての違和感があるのです。



確かに世の中には出会い系といわれる場で出会う男女もいる。しかし私はこれまでに出会いたいと思って出会えてきたわけではないのです。たまたま何かしらの用事が重なったときとか、たまたまその人がそこにいたことで偶発的に出会ったことによって、自分の人生が変わっていった。



そこでのやり取りによって「弟子にしてほしい」という思いが育っていったし、一緒に遊んでいる仲間と意気投合して、いつの間にか私の会社に入っていたということもありましたし、取材に来てくれた方と他の取材でも出会ったりしているうちに本当にたまたま意気投合して、このカフェが立ち上がったときにアルバイトをしてくれたり。



そういう「目的ではないこと」をすることによって生まれた出会いから、いつの間にか友人になったということに、私は大きな可能性を感じるのです。



けれども「出会いを設定しない出会い系」を意図するならば、さあ出会ってください、とは別の目的を設定しなければならない訳です。



このカフェで大きなタイプのOriHimeには、「フリーランしていいよ」と言っているんです。だから意味もなく店内をぐるぐる回ったりもします。



テーブルにいる小さなOriHimeもメニューの説明をしてオーダーを聞くためにいるんだけれども、オーダーを取った後のちょっとしたおしゃべり、私はこれを「必要な中の不必要な時間」というふうに呼んでいるのですが、学校だって勉強しにいくばかりではなく、思い返してみれば学校生活の本質は休み時間だったり、友人が私の作ったおもちゃで遊んでくれていたり、校庭での鬼ごっこだったり、友人ができるまでの時間だったり、給食でお互いの机をくっつけあったりという他愛もないことだったりする。



家族との時間であれば、みんなで出かけた目的地ではなく、そこに着くまでの移動時間だったり、目的のために行っている行動の中にある「偶発的な時間」や、目的のためには不必要な雑談がある。



このコロナの時代に、家から出られないパイロットたちは、それこそそんなことはコロナが始まるずっと以前からとっくに気がついていた。



人間同士、仲良くしようと思っても仲良くできないことなんてしばしばある。だから「仲良くなりましょう」ではダメなんです。できなかったときのダメージがあるから。「目的を逸らす」ことの重要さはそこにあります。



時には車椅子のイベントをする。その時に集まってくれる人たちのほとんどは車椅子について何の知識もない。ただ単純に車椅子をエンタメにして、「日本一面白い車椅子体験会」なんてことをやっていると集まってきてくれる人たちがいる。



そこで車椅子に乗っている人を押しながら街を歩いてみたり、街を走行して飲食店にはいてみたり、いつの間にか車椅子に関する様々な情報に触れながら、それが勉強にもなって返ってくる。



1グループ6人で街を歩いてもらうと、その6人がめちゃくちゃ仲良くなって帰ってきたりする。それからはtwitterとかSNSでつながってその、関係が継続していきながら、さらに広がっていく。勉強会というよりもイベントですが、でも勉強会としてもきちんと成立している。それが結果的に出会いとなって、コミュニケーションとして育っていく。



私はそのように関係性が増殖していく、ということを考えていて、このロボット・カフェもそのように考えています。



この緊急事態宣言の中ではストップしていますが、barコーナーで夜の営業も目指しています。みんなで楽しくお酒も飲みたいですね(笑)



カフェはこれで完成ではなく、いろいろな実験を続けています。パイロットがロボットを操作してオムレツを作ることにトライしたり、OriHimeのレンタルコーナーもこの8月にスタートします。



カフェにこられた方にOriHimeをレンタルして、一緒に街を散策しながら、OriHimeの見ている風景やOriHimeとの会話を日本にくることのできない海外の友人や家族と共有したり、重病で外出も面会もできない人と散歩やパーティを楽しんだりできる、そういうサービスもスタートします。



これからも今までできなかったこと、これからやりたいことの実験が次々に始まっていくことになります。楽しみにしていてください。