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『建築知識』編集長に訊く、バズる専門誌の作り方 大きな転換点となった“猫のための家づくり”

2021年08月08日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『建築知識』編集長に訊く、バズる専門誌
三輪浩之氏

 1959年に創刊、2021年7月号が通巻800号に達した建築専門誌『建築知識』。創刊以来さまざまな企画を発信し、専門家のみならず多くのファンを作ってきた。


 近年は、正統派でありながら楽しくてタメになる企画も多く、2019年10月号が専門雑誌でありながら5刷を記録するなど、ときに重版がかかるほどの人気となっている。


 そんな同誌の強みとは何か。従来の読者層を大切にしながら分野の壁を越えてファンを増やし成長してきた軌跡、企画・編集にまつわるエピソードについて、編集責任者の株式会社エクスナレッジ取締役副社長、三輪浩之氏に訊いた。(木下恵修)


「猫好き」がきっかけでバズる企画が生まれた

ーーまずは『建築知識』について簡単にご教示ください。また2021年7月号で通巻800号を達成したことについて、率直なお気持ちはいかがでしょうか。


三輪浩之(以降、三輪):『建築知識』は建築士や施工関係をはじめ、不動産、金融、確認審査機関など、建築にまつわる人々に役立つ知識をご提供することを基本としています。


 ところが、創刊号(1959年1月号)を手に取ってみると、「専門家に限らず一般の方にも読んでもらえるような内容にしていきたい」といった主旨の言葉が記されていました。近年人気を博した「猫のための家づくり」特集や、建物や風景を描く際に参考となるような特集は、いわば「専門的な建築の知識を求める(建築系ではない)一般の方」にもしっかり興味を持ってもらえたことの表れかと。創刊の精神がようやくかなったような気がして非常にうれしく思いました。


 いま雑誌が厳しい時代にあって、60年以上続いている老舗雑誌の舵取りはプレッシャーもあります。私が『建築知識』に携わってから20年ほどですが、私の代で終わらせることはしたくありませんし……。おかげさまで、スタッフも優秀なので、ここ何年かはずっと部数を伸ばしてきました。既存の読者を大切にしつつ、新たな企画で新規読者の獲得を試してみたり、片付け・収納の専門家や料理研究家に家を語ってもらうなど新しい書き手を発掘してみたり、様々なアプローチを試みました。話題になった人気企画がある一方で、たくさんの失敗もあります。そうした中での800号達成は、本当にうれしく、ありがたいことだと思っています。


800記念号(「建築知識」2021年7月号)


ーー三輪さんはこれまでどのように『建築知識』に関わって来ましたか?


三輪:2002年、31歳のときにエクスナレッジに入社してすぐ、『建築知識』編集部に配属されました。当時のエクスナレッジは、まさに雑誌社という感じで、雑誌メインでときどきムックや書籍などを制作していました。2008年頃、すでに編集責任者として働いていたのですが、書籍事業の強化という会社の方針により、『建築知識』編集部から一度離れることになりました。


 書籍の部署では建築の専門書だけでなく一般実用書も手がけてきました。中でも『解剖図鑑』シリーズはこれまでに40冊以上出版していますが、その多くを担当しました。『日本の神様 解剖図鑑』や『日本の戦争 解剖図鑑』『百人一首 解剖図鑑』など、建築とは関わりのないタイトルがいくつもありますが、実はいずれも『建築知識』と同じつくり方をしています。家を建てるには、平面図・断面図など一つの建物をいろんな角度から見た図面が何枚も必要になりますよね。『建築知識』や『解剖図鑑』シリーズも、「図版を多用して分かりやすく解説する」「あらゆる事象の平面・断面を切り出し、新たな視点を与える」ことを念頭にしているのです。といっても、書籍を始めた当初はつくり方があまり分かりませんでしたので、がむしゃらにやっていました。


 建築分野から離れつつも、同じ手法が通用することが分かったことは、『建築知識』においても分野を横断するという新たな特集のきっかけとなりました。2015年に『建築知識』の担当に戻ってからは、こうした経験が良い意味でフィードバックされたと思います。


ーーそうした背景で「猫のための家づくり」を含めた人気特集が生まれたのですね。


エポックな企画の出発点となった「猫のための家づくり」特集(『建築知識』2017年1月号)

三輪:そうですね、2017年1月号の特集「猫のための家づくり」は、大きな転換点だったと思います。この企画は私や私の上司が猫好きで、猫を飼っていたから、ということもありますが……。当社は猫関係の本を多く刊行しており、猫の完全室内飼いが一般化していることを知りました。その一生を家で過ごすのであれば「雑誌の特集でもいけるのでは」と漠然と考えたのです。それが大ウケしました。たとえば間取りに関しては、猫にとって「窓際のキャットウォークは幅何ミリならくつろげるのか」「キャットステップの段差は何ミリなら無理なく上れるのか」「猫用ドアはどのくらいの寸法なら太めの子でも出入りできるのか」などミリ単位で寸法まで示したことがよかったみたいです。また動物行動学の専門家による監修で猫の習性なども紹介しました。


 この特集は、一般の方も時には単なる家の知識だけではなく、細かな寸法や素材、さらには生態に基づく設計手法など少し尖った方面の知識を求めているのだと気づくきっかけになりました。企画段階では、編集部員からは「マジすか!」「できません!」と抵抗に遭いましたが(笑)、でもそんなスタッフの1人が取材先で出会った猫を飼い始めるなど、いろいろな意味で新たなフェーズに進めた号だったと思います。


ーーやはり動物を扱った企画は読者の反応もいいですか?


三輪:同じ年の10月号でやった「犬のための家づくり」はさほど売れませんでした(笑)。猫も犬も、家庭で飼われている数は1,000万頭程度と同じくらいなので、満を持して特集を組んだのですが、犬は猫と違って立体的な動きはあまりなく、間取り等の工夫があまり必要ではないのです。犬でも階段を上り下りしやすいように勾配を緩くする、もしくは斜路にする、足腰を痛めないための床材な何がよいのか、散歩帰りの洗い場をどうするかなど考えるなどはありますが…… どうやったら犬が暮らしやすい家になるのか、猫のときと比べて私の執念と愛情が不足していたのかもしれません。


擬人化でバズった「建築基準法キャラクター図鑑」(『建築知識』2017年12月号)

 かわいい系ですと、同年12月号で組んだ「建築基準法キャラクター図鑑」という特集がバズりました。建築基準法の内容を美少女キャラクター化したものですが、複雑で理解しにくい法律がキャラの性格やキャラ同士の関係性によって分かりやすくなりました。この擬人化はシリーズ第2弾を2018年10月号で実施。「建築構造BLキャラクター図鑑」と銘打って、難解といわれる建築構造をBLの美少年キャラにしました。


 こうして猫の企画も含め、専門性を維持しつつ、より広い分野の方が知りたいと思っている建築の知識を楽しく紹介していくカタチが出来上がっていきました。なお表紙に関しては、創刊当時から著名なデザイナーに装丁を依頼し、イラストにもこだわってきました。最近は、デザイナーに名和田耕平さん、イラストを去年は大川ぶくぶさん、今年は吉田誠治さんにお願いしています。専門誌として一定のステイタスを保つために、表紙からしっかりと作り込むという姿勢を継続しています。


これからの家づくりを展望しながら新たな企画を考える

ーーイラストレーターなど絵を描く人々に向けた企画も人気ですね。


三輪:はい、きっかけは2018年12月号の「一生使えるサイズ事典 住宅のリアル寸法」特集でした。この号がなぜか絵描きさんたちにもすごくウケたんです。それで建築の寸法知識とパースの基本を融合した『いちばんやさしいパースと背景画の描き方』(中山繁信著)という書籍を作り始めました。でも雑誌の特集として、建築の寸法知識にさまざまな絵師さんのテクニックを融合するのもありかもと考えたのがきっかけです。私には元ジブリのアニメーターで『最速でなんでも描けるようになるキャラ作画の技術』の著者である室井康雄氏とのお付き合いがありました。彼から、いま漫画やイラストの世界はアニメの影響を受け、立体をしっかり意識してキャラクターや背景を描くようになっていることを知り、その需要の高さを予測することができました。漫画やアニメ、ゲームなどの分野では、背景のリアルさが作品の出来を左右するらしいのです。


 世の中には絵画の技法書はたくさんあるので、市場性はあくまで『建築知識』のフォーマットの延長線上にあると考えました。リアルさを出すための絵の描き方を解説している部分ももちろん大事なのですが、『建築知識』ならではの「建物の資料集としていかに充実させられるか」をより重視しました。誌面では、住宅の部位名称や寸法などを部屋別に掲載しました。また階段の段数や蹴上げ踏面の寸法を割り出す計算などは、設計者なら知っていて当然の話ですが、そうでない方にも分かりやすくまとめています。そのほか建物を描くときに、その中に人がいれば比例関係やサイズ感がつかみやすくなります。通常の『建築知識』では入れることのない人のシルエットをイラストや図面に配置したりして、寸法感が伝わるように工夫しています。


5刷を記録した「パースと背景画の最新技術」(『建築知識』2019年10月号)

 こうした編集姿勢が、5刷を記録した2019年10月号「パースと背景画の最新技術」特集や重版した2021年6月号「最高の建物と街を描く技術」特集にもつながっていると思います。「最高の建物と街を描く技術」は、家の中だけではなく外に出てみようということで企画をしました。実際に町を高いところから眺めてみると、駅前や幅の広い道路の近くには高い建物が並び、そこから離れていくと建物は低くなり、さらに外側には工場が建っているというふうにパッチワーク状に町並みが切り替わることに気づきます。これは都市計画法や建築基準法によって、そこに建てられる建物の規模・用途が決められているためです。そのルールを絵を描く方々にも分かりやすく解説することで、町の構造を読み取れるようにしています。


 そのほか神社や寺、町家、看板建築など古い建物も掲載しています。アニメや漫画の時代設定は現代ばかりではないですから。たとえば昭和的な「ニュータウン」なら、歩車分離などのニュータウンならではの特徴があります。さらにさかのぼると、古い港町には雁木や常夜灯、いくつもの町を特徴づける施設があります。城下町や宿場町も同様です。こうした町を特徴づけるものを知り、それを描くことで、絵のリアリティ・クオリティがぐっと高まると思います。


 空想の町を描くにしても、現代の法規制を知っておくことで「らしさ」が生まれると思います。誰も見たことがない、まったく新しい発想で建物や町を描くと、見る側がそれを建物や町と認識しづらいからです。


ーー800記念号の特集は「最高に楽しい間取り」ですが、従来と比較して近年の間取りや家づくりの発想が変化している部分はありますか?


三輪:間取り特集にしたのは、建築の中で一般の方も含めみな興味を持てるテーマですし、ここでもう一度住まいについて考えてみたいと思ったからです。新型コロナ禍が始まって1年が過ぎ、それを背景として家での過ごし方や家の役割が変わってきたと感じていました。


 一番の変化はテレワークの普及により「家=仕事場」になったことです。ダイニングの片隅を仕事場にしてもよいのですが、会議や商談がオンラインだと音の問題だけはクリアできません。とはいえ小さくて落ち着く書斎も、毎日長時間こもっていると精神的につらいですよね。さらに家の中では仕事をしながら家事・育児も同時並行で行われます。そんな家の中の仕事場についての悩み事を解決する間取りを紹介しています。


 また、家で仕事をして、外出も自粛を求められていますので、家がより癒し・リフレッシュの場としても機能する必要があります。そこで軒下や庭などの外部空間を活用した例や、サウナや薪ストーブなど癒しの設備を上手に間取りに取り入れる方法についても解説しています。感染対策上では、玄関を入ってすぐのところに手洗い場を設けた家が増えているように感じました。さらに和室(畳の間)の復権にもふれています。家に求められる用途・機能が増えた分、和室のように寝食はもちろん仕事にもごろ寝にも活用できてしまう汎用性の高さが再認識されたのだと思います。


ーー新型コロナ禍がまだ続いていますが、今後のイメージはいかがでしょうか?


三輪:現在編集部には14名のスタッフが在籍しており、奇数月・偶数月の2班に分かれてそれぞれ3号分、計6本の企画を同時に進めながら制作にあたっています。編集部はリモートワークを採用しており、スタッフには基本的に週に一度出勤をしてもらっています。うまく機能しているのですが、不安もあります。スタッフ間のコミュニケーションについてです。雑談の中で新たな企画や発送が生まれることってありますよね。もちろんオンライン会議システムやグループチャット機能なども用意しているので問題ないと思うのですが、直接顔を合わせてのコミュニケーションや、仕事なのか仕事じゃないのか分からないような時間を過ごすことも大事だと思っています。考え方が古くてすみません。


 たとえば私は、休日に30キロくらい歩いています。その時間って、何も考えてないようでいていろいろ考えますし、自然や町並みを見て何かしらヒントを得ていたりもします。そうした意味で、「無駄な時間」って編集者にとってはすごく大事なものだと思うのです。逆に、一人デスクに座って他社の書籍や雑誌などを見てヒントを得ようと思っても、何も浮かんで来ないですよね(笑)。


 これからも、従来にはない企画を実施した最初の特集、2017年1月号「猫のための家づくり」のように、書籍との発想の連動も含め、『建築知識』らしい企画を発信し続けたいと思います。


■三輪浩之氏プロフィール
愛知県生まれ。明治大学文学部卒業後、2002年エクスナレッジに入社。現在まで多数の書籍・雑誌の編集に携わる。


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