河村たかし・名古屋市長が8月4日に、東京五輪ソフトボールで金メダルを獲得した「後藤希友選手の金メダルを許可なく噛んだ」という前代未聞の事件。河村市長が出した謝罪コメントの「最大の愛情表現だった」という言葉に違和感を覚える人が続出している。こういった釈明の表現が「ハラスメント加害者の常套句」だという指摘もある。
河村市長が当日夜に出したコメントは、「(かむ行為は)最大の愛情表現だった。金メダル獲得は憧れだった。ご迷惑を掛けているのであれば、ごめんなさい」という内容だった。なぜ「愛情表現」という言葉を、河村市長は使ったのか。
翌日の謝罪会見では…
翌8月5日に開かれた記者会見では、次のようなやり取りがあった。
記者からなぜ噛んだのかと改めて問われると、河村市長は「メダル的なものを獲った時、それを愛情といいますか、噛む時ってあるじゃないですか」「とっさのことでしたからね、これ」「(個人的にメダルに憧れていたので)ああ、これが金メダルか」となどと述べ、深く考えずにやったことだったと説明した。
また、メダルを噛んだ時の雰囲気について河村市長は「あんまり言うとまた感じ悪いけど、あのときの感じは、非常にフレンドリーな感じだったわけですよ」と釈明した。
ある記者は「最初に代表取材でコメントを出した時、なんでもっとちゃんと謝罪できなかったんですか、愛情表現だとかよくわかんないんですけど」とツッコミを入れた。すると、市長はこう答えた。
「まあ理由を、何でやったかということも、何でこうなったかということも、やっぱり言っておいたほうが…。なんでもええで『すみません』というわけにもいかんだろうなと思った」
次のような質問をする記者もいた。「(初対面の後藤選手に対して)『でかいな』『恋愛は禁止なのか』とか、メダル噛む以外にも、いかがなものかと思うような発言もあった。市長は普段から場をなごませるような言葉を使われますが、何を言っても許されるというような、おごりとか緩みがあったのではないでしょうか?」
それに対して河村市長は一瞬考えた後、クビを傾げて「……まあ、それはちょっと無いと思いますけどねぇ」と返答していた。
ブラック企業アナリストで、厚生労働省のハラスメント対策企画委員も務める新田龍さんは8月4日の夜、こんなツイートをした。
《「愛情表現だった」とか「迷惑とは思わなかった」ってのは、ハラスメント加害者の常套句。愛情を感じるか否かは相手が判断することで、その距離感がバグってるから迷惑なんだよ。むしろ「こんなことをしたら相手は不快に思わないだろうか…?」と配慮できることこそ、相手への愛情といえるだろう》
結局、ここに河村市長はピンと来ていないようだ。キャリコネニュース編集部は、新田龍さんにあらためてポイントを説明してもらった。
「相手がどう感じるか」という観点が抜け落ちている
《河村氏自身が「非常にフレンドリーな感じだった」とか、(何を言っても許されるというような、おごりとか緩みは)「無いと思います」と振り返っているとおりで、往々にしてハラスメント加害者に「ハラスメントしてやろう!」という悪意はありません。逆に「無意識のうちに」「良かれと思って」やったことが、結果的にハラスメントになってしまっている、というケースが多い。だからこそ、堂々と「愛情表現だ」などと言えてしまうのです。
たとえば、仮に「叱咤激励」のつもりで厳しい言葉をかけても、相手がその言葉を不快に感じれば逆効果になることがあります。「相手がどう感じるか」という観点が抜け落ち、相手との距離感を的確に推し量れないと、行動や言動がハラスメントとなる可能性が高いのです。
とくに40代中盤以降の管理職の人の中には、今ほどハラスメントに対する意識が高くない時代にパワハラレベルの指導を受けて育ち、「どこからがハラスメントなのか」とか「悪質なハラスメントは組織の評判まで大きく低下させるリスクがある」といったことに関して無頓着な人も多いです。また組織内で相応の地位にいるため、周囲がハラスメントだと指摘できないケースもあるようです。
2020年にパワハラ防止法が施行され、企業内のハラスメント対策が義務化されました。来年には中小企業も対象となります。「相手のためを思った、何気ない行動」がハラスメントとなり、誰かを苦しめ、組織の信用を毀損するリスクがあることを皆で再確認すべきです。相手の気持ちに思いを寄せ、敬意を持って接することが、ハラスメントを産まない環境に繋がります》
この騒動を受けて、名古屋市役所には4000件以上の苦情・抗議が殺到したと報じられている。金メダルを噛んだうえ、それを最大の愛情表現と言い放った河村市長の距離感は、今回かなり「バグっていた」のではないか。