2021年08月01日 10:31 弁護士ドットコム
2021年6月、大阪でカラオケパブを営む女性店主が、常連客の男性に殺害されるという痛ましい事件が起きた。加害者は女性に一方的に好意を寄せ、出入り禁止を言い渡されても通い続けて、凶行に及んだという。
【関連記事:親友の夫とキスしたら、全てを親友に目撃され修羅場 】
筆者は新宿でバーを経営しており、この事件には大きなショックを受けると同時に、モンスター客の恐ろしさを改めて感じた。同業者たちも一様に衝撃を受け、被害者に心を寄せ、我が事として受け止めている人は多かった。客の「好意」とどう向き合うべきか苦慮する店主たちに話を聞いた。(ジャーナリスト・肥沼和之)
バーやスナックなど水商売の客の多くは、人で店を選んでいる。馴染みの店主やママやスタッフや常連客たちと、楽しい時間を過ごしたいからその店に通うのだ。
ただ時折、恋心や下心を抱いた客が、店側の人を口説こうとしたり、セクハラをしたりなど、一線を越えてこようとすることもある。水商売はコト消費のため、支払い後に客に残るのは酔いと記憶だけ。モノは何も残らないため、少しでも元を取りたい、という心理も働くのかもしれない。
実際、バーやスナックなどの水商売で働く十数人の女性に話を聞いたところ、大なり小なりだが、ほとんどが客から誘いやセクハラを受けた経験があった。
「会計のときに手を握られ、止めてくださいというまで離してくれなかった」
「首をなめたい、貞操がゆるそう、などセクハラ発言を延々とされた」
「連絡先を聞かれて断ったが、名前からSNSを調べられて何度も連絡がきた」
「プレゼントを渡され、好きだ、家に行きたいと迫られた」
だが、大きなトラブルや事件になったケースは皆無だった。ここから見えてくるのは、客の多くは分別を持っており、そのうえで「あわよくば」と店側の女性に誘いやちょっかいをかけている、ということ。うまくいけば儲けもの、ダメなら引き下がればいい、怒られたら謝ればいい、というスタンスなのだ。
また店側の多くも、店主とスタッフが要注意の客の情報共有をしたうえで、うまく受け流したり、その分お金を使ってくれるならいいかと割り切ったり、毅然と注意したり、ときに出禁といった強い措置を取ったりして、トラブルへの発展を防いでいる。そして実際、多くの場合、水商売は比較的平和に回っている。
ただ、どれだけ徹底しても、どうしても防ぎきれない事案がごくまれに発生してしまう。
被害にあった大阪のスナック店主も、加害者に「あなたのことが好きではない」「もう来ないでください」ときっぱり告げていたようだが、それでも彼はお店に通うのを止めなかった。そのような分別を持っていない、あるいは失ったモンスター客から、可能な限りお店を守るためにはどうすればいいのか。
新宿のバーの女性店主(30代)は、考えられる限りの防犯・安全対策をとっている。
お店を開くとき、同じフロアに常に営業している店が何店舗もあり、何かあればすぐ駆け込めるような立地・環境を選んだ。おかしな客が来たときに断れるよう、会員制にしている。シフトに男性スタッフを必ず入れているほか、万が一のときに身を守るための護身グッズも常備している。
ただし、「最終的には覚悟しかありません」と話す。
「できる限りの予防や対策をしていますが、お店を出すと決めた時点で、多少なりとも危険やリスクが付きまとうことは覚悟しています。けれどそれは、街を歩いていてストーカーや暴漢に遭うのも同じで、お店をしていないから100%安全かと言ったらそうではない。もし何か起きてしまっても、ここまで対策をしてこんな目に遭うなら、もう仕方ないと思うしかないのかなと」
バーやスナック以上に、客との物理的な距離も近いクラブやキャバクラでは、より注意が必要となる。しかし、そういった店側の用心や対策を、お金の力で突破しようとする客が最近は増えていると、あるクラブのママ(60代)は話す。
これまで客は、気に入った女性スタッフがいたら何度も店に通って、店側と十分に信頼を築いてから口説いてきた。ママも公認のもと、スマートな口説きであれば問題も心配もない。しかし最近は、初めて来た客が金持ちアピールをし、いきなり女性スタッフと関係を持とうとするケースが増えているそうだ。
もちろんお店として、そのような無粋かつルール違反の行為は断固NGで、持ちかけられたらすぐ報告するよう女の子にも伝えているが、勧告は必ずしも彼女らの心に届いていないという。
「お金をもらえるものだから、私に内緒でついていってしまう子もいます。何とも現代的というか、プロではないというか……酒場の義理人情や、文化が失われていると感じます」
パパ活やギャラ飲みといった、お金と引き換えに時間や体を提供する風潮が、酒場にも侵食しているとママは嘆いた。
しかも、お店の目が届かないところで、素性の知れない客とやり取りするため、トラブルに発展する可能性も十分にあり得る。店主とスタッフが、きちんと相談や情報共有できる関係性・仕組みづくりの重要性を感じた。
なお被害に遭うのは、水商売の女性に限った話ではない。
ある男性が働くバーでは、彼の働く曜日に、毎週のように開店から閉店まで居座る女性客がいた。とりたてて深い話はしなかったものの、男性が住んでいる最寄り駅を何気なく口にしたところ、数週間後に女性が同じ街に引っ越してきた。結局何もなかったが、気味の悪さを覚え、それからは個人情報を漏らさぬよう注意しているという。
またあるバーの男性店主は、女性客に好意を告げられたが、丁重にお断りした。するとあてつけるかのように、常連の男性客と片っ端から関係を持ち、去っていった。後に残ったのは何とも居心地の悪い気まずさで、巻き込まれた常連は一人、二人と減っていった。サークルクラッシャーならぬ「酒場クラッシャー」で、店側にとって大打撃である。
筆者自身も、店主と常連客の痴情のもつれで、殺人未遂に発展したケースを間近で見たことがある。
ある地方都市で、ふらりと小さな居酒屋に入ったときのこと。男性店主と常連の女性客がおり、一見の筆者に話しかけてくれた。料理はどれも美味しく、女性客は飲んでいたお酒をわけてくれるなど、非常に温かい空間だった。
数週間後にふと思い出して、居酒屋の店名を検索したところ、報道記事がヒットした。あの女性客が、店主を包丁で刺したとのことだった。互いに既婚で不倫の関係だったが、店主にほかにも女性がいることがわかり、激情して凶行にいたったのだった。
歌舞伎町で2019年、ホストがガールズバーの店員に刺された事件も記憶に新しい。色恋を売りにした営業スタイルや、一時的な欲求を満たすための浅はかな行動は、間違いなくトラブルのもとになりやすい。
いずれにせよ、客側が女性だからといって、店側は安心・安全ということは全くないのだ。
酒場は、店側と客席の間が、カウンターで仕切られている。このカウンターは、実用的なテーブルであると同時に、客と店を区切る境界線の意味合いも持っている、と筆者は思う。
良い意味でこの一線が取り払われれば、店の人と客が結婚したり、生涯の友人になったり、仕事のパートナーになったりと、豊かな人生のきっかけになることもある。ただ、悪い意味で境界が曖昧になると、ずかずか侵入してこようとするモンスター客に、傍若無人を許すことになりかねない。
そのためカウンターのこちら側と向こう側は、物理的にも意識的にも、基本的にはしっかりわけるべきだろう。だが一方で、もし困ったことがあれば、信頼できる常連客や同業者には遠慮なく相談すべきだ。
そして相談を受けた人は、できる範囲でぜひ協力してあげてほしい。虫がいいと思われるかもしれないが、酒場の歴史や空間は、店側だけでなく、客も一緒になってつくられている。運命共同体というと大げさだが、持ちつ持たれつでぜひ好きな酒場を応援してあげてほしい。それが、安全かつ健全な酒場空間を保つための、重要なひとつであると筆者は思っている。
コロナ禍で、多くの酒場が休業を余儀なくされている。「不要不急」「夜の街」などと名指しされているが、酒場は社会に必要な存在だと、筆者は確信している。酒場で過ごすひと時が癒しや活力になり、救われてきた人々は数えきれない(もちろん筆者もそのひとりだ)。
そんな酒場を、店主が安心して経営でき、スタッフが安心して働けて、客が安心して通えるために、それぞれの立場からできることを考え、ささやかで構わないので行動に移していただけたら、これ以上の幸せはないと、酒場のいち店主として筆者は心から思う。
【著者プロフィール】 肥沼和之。1980年東京都生まれ。ジャーナリスト、ライター。ルポルタージュを主に手掛ける。東京・新宿ゴールデン街のプチ文壇バー「月に吠える」のマスターという顔ももつ。