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【7/26~8/1の運勢】7月5週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2021年07月26日 12:01  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

1ヶ月ごとの運勢グラフ 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

自然に生きていく

今週のおひつじ座は、画一的な価値観への同調圧力に鋭く斬り込んでいくような星回り。

「未亡人泣かぬと記者はまた書くか」(佐々木巽)は、昭和12年11月(1936)に発表された句。この年は二・二六事件が起きた年であり、他にも大規模なクーデターや過激な計画を実行する動きが続発し、軍部や青年将校たちが暴力によって腐敗した政治の改変をはかろうとしていきました。結果的にそれらは失敗し、これ以降、思想行動の監視が強化されていく大きな転機となっていったのです。

その意味で、掲句は当時の新聞の雰囲気を知ることができる貴重な証言とも言えます。「お国のための尊い犠牲になったことをむしろ喜ぶべし」とする風潮はすでにこの頃から非常に強く、こうした画一的な価値観への同調圧力が、時代の空気を形成していきました。

その行き着いた先に待ち受けていたものこそが太平洋戦争への無謀な突入であり、空前絶後の犠牲と深い傷を国民にもたらしたことは、2021年の今のタイミングで改めて想起しておくべきことなのかも知れません。あなたもまた、自分自身や周囲の旧態依然とした在り様にいかに「NO」を突きつけていけるかがテーマとなっていきそうです。

続きはこちらから 今週のおうし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

嵐の前の静けさ

今週のおうし座は、「われわれ」の歪みを浮き彫りにしていこうとするような星回り。

この宇宙では、「現状維持」など本当は存在しません。一見落ち着いていて特に変化のないように見える静的な調和すらも、実際には絶えざる動的平衡のもとで成り立っているに過ぎないのであって、逆に言えば、「現状維持でいこう」という態度は、すべからく自分の内部や周囲との動的平衡を破壊していかんとする、宣戦布告に他ならないのです。

このことは、今のおうし座ならばよく分かるはず。まだ際立った人生の変化や、特別なイベントの最中にいる訳ではないにしても、水面下ではギリギリのところまで葛藤が高まっていたり、今にも決壊寸前のダムのように「その時」が迫っていること、そしていったん始まればそれがドラスティックな変化となるだろうことも、うすうす感じとっているのではないでしょうか。

その意味で今週のおうし座は、自分を取り巻く目に見えない力の流れがどこへ向かっていこうとしているのか、頭で考えるのではなくできるだけ四股や肚で感じとってみてください。

続きはこちらから 今週のふたご座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

覚悟を語る

今週のふたご座は、おのれの生き様を浮き彫りにしていこうとするような星回り。

「青空に/青海堪へて/貝殻(かい)伏しぬ」(吉岡禅寺洞 )は昭和10年(1935)に詠まれたもので、多行形式かつ季語が使われていない無季俳句。作者は最初こそ五七五の定型や有季俳句から出発したものの、次第に新興俳句運動に関わるようになっていったために、この翌年には所属していた結社である「ホトトギス」から除名されます。「ホトトギス」がほぼそのまま俳壇を意味した当時の俳句界において、これは大変な出来事でした。

しかし作者は戦後になってさらに文語体や定型俳句との訣別を決定的なものにし、いよいよ口語・自由律・無季俳句を推進していった訳ですが、掲句はそんな作者の波乱の俳句人生を代表する一句と言えるでしょう。

暴力的なほどの青のまぶしさの後の貝殻のくらさが、心憎いほど絶妙なバランス感を放っている一方で、それはまるでセンセーショナルでありつつも、どこか彼のその後の歩みを予見しているかのようでもあります。あなたもまた、この先の人生の歩みを思い描きながら過ごしてみるといいでしょう。

続きはこちらから 今週のかに座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

生きたり死んだりまた生きたり

今週のかに座は、月並な人選を控え、より大胆なご縁の結びつきを図っていくべし。

「イメージは精神の純粋な創造物である。それは比較することからは生まれず、多かれ少なかれ離れた二つの実在を接近させることから生まれる。近づけられた二つの実在の関係がかけ離れ、適切であればあるほど、そのイメージはいっそう強烈になり―いっそう感動と詩的現実性をおびるだろう……」

この発言はシュールレアリストからその先駆と見なされていた詩人ピエール・ルヴェルディのもので、ブルトン自身はこの見解をすぐさま否定して無意識的な「自動記述」を推奨する自説を唱えるのですが、ひとつの詩学としてはルヴェルディの見解の方がよりその面白さを説明できているように思います。

それは言わば「偶然性(意外性)の詩学」とも呼ぶべきもの。「多かれ少なかれ離れた二つの実在」を「かけ離れ、適切であ」るような仕方で「接近させること」というのは、やってみると想像以上に難しいのですが、それでも意識して狙ってやっていかなければ、偶然うまくいくことはあっても、技(アート)として向上していくことはない。あなたのテーマは、「意味のある偶然をあえて狙って仕掛けていくこと」にあり、特に人と人との繋がりのなかでそれを実践していくことなのだと言えるでしょう。

続きはこちらから 今週のしし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

生まれ変わっていくために

今週のしし座は、いったん闇に沈みこむことで、かえって光を鋭く感知していこうとするような星回り。

「海亀の哭く夜か白い汀(みぎわ)は泛(う)く」(高島茂)で使われている「哭く」とは、声をあげて泣き叫ぶの意。海亀は穴を掘って卵を産み落とすのですが、その際に眼の横にある器官から余分な塩水を排出する様をみて、昔から人びとはそこに産みの苦しみによる涙を見てきたのでしょう。

掲句では、作者は実際に目の前で海亀の産卵を見ているというよりも、どこか遠くから、もしかしたら想像の中で思い浮かべているのでしょう。産卵場所は波打ち際より少し上の海水がこないところが選ばれるのですが、真っ暗な夜の浜では、陸側より海のほうが明るく見え、子亀はこれを目印に海へ向かっていきます。

「白い汀」の「白」とは、そんな子亀の視点からみた光ある前途であり、新たな可能性が誕生してくる命の尊さを表しているのかも知れません。ただし、陸側が街灯などで明るく照らされるようになった最近は、子亀が海へたどり着けずに死んでしまうことが多く、海亀の個体数は年々減ってきているのだそう。あなたもまた、自力でがむしゃらに頑張ろうとするのではなく、自らを導いてくれる働きに力を抜いて身をあずけていくべし。

続きはこちらから 今週のおとめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

条件付きの関係から離れて

今週のおとめ座は、夜という時間だけが育むことのできる想像力を、しずかに養っていこうとするような星回り。

まだ夜間の飛行が命がけだった時代、郵便事業に命をかけた者たちを描いた文学作品に、サン=テグジュペリの『夜間飛行』があります。主人公は「嫌われ者の上司に睨まれることで初めて現場の規律は保たれる」という信念のもと、部下に1つのミスも許さない厳しい姿勢をとる上司であり、欧州から南米間の航路を受け持つ責任者であるリヴィエール。

彼は内心の葛藤や孤独に苦しみつつも、それを紛らわすために繰り出した散歩からの帰り道、ふと見上げた夜空の星に何かを感じ取ります。「今夜は、二台も自分の飛行機が飛んでいるのだから、僕はあの空の全体に責任があるのだ、あの星は、この群衆の中に僕をたずねる信号だ、星が僕を見つけたのだ。だから僕はこんなに場違いな気持ちで、孤独のような気持ちがしたりする」

人間にとって夜とは、ある意味で死に近づいていく時間帯であり、だからこそ夜の底に埋もれた宝物を見つけていくことで、改めて生を更新していく契機でもあるのでしょう。あなたもまた、他の誰かのために割かれる時間だけでなく、純粋に自分自身のいのちを養うのための時間を確保していくことをどうか大切に。

続きはこちらから 今週のてんびん座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

ゆるやかに立ち上るもの

今週のてんびん座は、だんだん丸みを帯びていくような星回り。

「団扇振り昼を減らしてゐたりけり」(阪西敦子)で詠まれているのは、日差しのきつい夏の午後に、畳にころりと横になって一休みをしている情景。その際、クーラーのスイッチをポチリと押してテレビでも付けるのが当世風ですが、「団扇(うちわ)」を持ち出すとそこにはまったく違った味わいが出てきます。

はじめは少しでも早く涼もうと、団扇も焦って速く振る人も多いでしょう。けれど、だんだんと塩梅がわかってくると、むしろ「昼を減らす」がごとくゆっくりと力を抜いて団扇を振るようになる。その方が、心臓の鼓動もゆったりとしてきて、かえって心地よく感じられてくるものなのかもしれません。

そしてこれは、単に午後のひとときの過ごし方に限らず、何かを学ぶことであったり、芸を磨いていく上でも通底してくることのように思います。あなたもまた、余計な力みや不要な緊張をだんだん減らしていくことをテーマにしていきたいところです。

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illustration by ニシイズミユカ

再構築とそのためのベース

今週のさそり座は、心身ともに本当に深いところから癒していく上で、必要不可欠なものを探していこうとするような星回り。

マンダラと言えば、9世紀に空海が唐から持ち帰った両界曼荼羅が知られていますが、曼荼羅は宗教的真理を視覚的に描いた美術作品などではなく、あくまで修行のために欠かせない装置でありアイテムでありました。

日本人は、現実の自然そのものをマンダラに見立てるという発想を持っていた訳ですが、これは今でいうプロジェクションマッピングであり、その原点もやはり空海でした。『性霊集』巻一の「山に遊んで仙を慕う詩」には、「汚れなき宝の楼閣、金剛法界宮(ほっかいきゅう)は、堅固なダイアモンドの障壁でかこまれています。配下の仏菩薩や神々は雨のごとく数多ならび、その中央に大日如来が坐しています。」と書かれています。

彼の眼には高野の地をめぐる緑うるわしい山々が、マンダラに寄りつどう、たくさんの仏や菩薩、神々のすがたとして映っていて、彼以降、吉野や熊野、月山など、日本各地の自然がつぎつぎにマンダラに見なされていったのです。あなたも、単に自然に親しむという次元を超えて、より深いところでの癒し体験を感覚的に探究してみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

二元論を超えて

今週のいて座は、実際には見えるはずがないものをあえて見ていこうとするような星回り。

「天の川敵陣下に見ゆる哉(かな)」(正岡子規)は、1894年(明治27年)夏、日清戦争が勃発した年に詠まれた句。翌年、作者は従軍記者として大陸に渡ったものの、上陸二日後に講和が結ばれ、そのまま帰国の途につきました。

広大な大地をまたぐ、さらに壮大な天の川。そして、その下に長蛇をなして陣取る敵軍。尋常ではない緊迫感で身がすくんでしまってもおかしくないはずなのに、その今まで感じたことのないスケール感に思わず身を抜け出して、当時はまだなかったはずの飛行機に乗った鳥瞰へとまなざしが開かれていったのでしょう。おそらく作者は戦況を脳裡に描いた時に、暗い死の気配だけでなく、抑えきれないときめきもどこかで感じていたのかも知れません。

そして皮肉なことに、作者は戦地からの帰国の途上、船中にて喀血して重態に陥り、そのまま療養生活に入り、7年間の闘病生活のあいだに旺盛な創作活動を行った末、34歳の若さで亡くなりました。あなたもまた、自身の将来しかり国の行く末しかり、小さな日常や固定観念を飛び越えてまなざしを大きく広げていくことがテーマとなっていくでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

通過儀礼の挿入

今週のやぎ座は、日常に畏怖と魅惑を取り戻そうとしていくような星回り。

寺山修司が1975年に制作した『犬頭の男』は、阿佐ヶ谷という街を舞台に、三十時間何かが起こっているという状況演劇の一つなのですが、街のタバコ屋さんやパン屋さん、時計屋さんなどにハガキが届くのです。

そこに書かれているのは「タバコの火を貸してくれませんか」という内容で、しかもハガキは字の切り抜きだったそう。それで、実際に火を借りに男が訪ねてきて、タバコの火を貸してくれと言う。要するに、自分の生活空間において、ある期間に本当のことなのか空想なのかよく分からないような状況があちこちで起こるという作品で、そうした状況が平穏な街の日常に裂け目を入れていく。寺山は、そういう作品を通して「劇場」という枠を壊そうとしたのです。

そこでは観客は観客席に座って、舞台で起こっていることから切れ離されてあり、それゆえに、観客席に座ってただ他人事のように傍観しているだけで、何も脅かされないし、終って幕が引けば、またいつもの日常に戻れることが決まっている。それでいいのかと問い直したかったのでしょう。あなたもまた、自分の想定外の事態を通じて日常の在り方を問い直していきたいところです。

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illustration by ニシイズミユカ

不屈のシンボル

今週のみずがめ座は、理念を自分なりの形にして打ち出していくような星回り。

「二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり」(金子兜太)は、昭和43年(1968)の作。前書きに「帯広にて」とありますから、旅先で出会った場面を詠ったもの。この年は全国の放送局のほとんどがカラー放送化した年であり、翌1969年は日本のテレビ生産量が世界一となるなど、急速にカラーテレビが普及し始めていた頃であり、作者は旅先の好奇心も働いて、何気なく家電大型店の店内を覗いてみたのでしょう。

すると、画面のどれにもスタートを切った瞬間の黒人ランナーの姿が大映しになっており、それらがいっせいに二十の映像として目にはいって来たのです。しかもどの顔も黒く輝いている。

掲句は五七五の十七音定型から大きくはみ出していますが、はみ出した音数がそのままランナーの爆発させているエネルギーや、テレビという新しい社会現象の語感と相まって、鮮烈な印象を作り出しています。あなたもまた、生きる力と問題意識を十全に伝えていくことがテーマとなっていくでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

何が身の内に生きているか?

今週のうお座は、根源的な問いかけを自分に向けることで、変容を迫っていこうとするような。

「命がけで突っ立った死体」という言葉は、1960年代から80年代にかけて活動した暗黒舞踏の旗手である土方巽の、「舞踏とは何か?」というテーゼへの答えとして知られるものです。しかし、これは矛盾した不思議な言い方であり、不可能なこと。つまり、これは答えとしてすんなり受けとられて終わるような答えではなく、それ自体が屈折し矛盾した問いかけなのであり、それを通して今まで身体というものを自分たちがどういう風な見方で切り取ってきたのかを訴えかける試金石でもありました。

ラジオ体操や学校の体育教育で一定の規格を与えられた身体、西洋医学的に定義された健康をつねに基準にしている身体、あるいは、そういう通常の生存スケールで切り分けてきた身体ではない、異相や異界を孕んだ深層的な身体性。

土方巽は、おまえは馬だとか、おまえは奴隷であるとか、次から次へと言葉で誘導し、撹乱していくことで既存の身体位相を壊し、変容させるということをやっていった訳ですが、そうした根源的な問いかけあって、その派生として踊りが生まれていったのです。あなたも、すっかり社会に飼い馴らされて回収されてしまった問いかけを再燃させていくべし。

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