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矢部太郎が明かす、マンガに活きるお笑いの土壌 ベストセラー『ぼくのお父さん』はなぜ生まれたのか

2021年07月16日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

矢部太郎が明かす、マンガに活きる“お笑い”

 舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍しているお笑い芸人の矢部太郎。『大家さんと僕』では手塚治虫文化賞短編賞を受賞し、シリーズ累計120万部超を記録の今やベストセラー作家でもある。さらに自身4冊目となる単著『ぼくのお父さん』(新潮社刊)を先月発売し、好評を博している矢部に話を聞いた。


 本著は、絵本作家の「お父さん(やべみつのり)」と幼い「ぼく」の日々を、全編オールカラーによる温かなタッチで綴ったコミックエッセイ。近所の森へ出かけて採ったつくしを調理して食べたり、屋根の上から花火を眺めたり、友達とみんなで縄文土器を作ったり……。「ふつうじゃなくて、ふしぎでちょっと恥ずかしいお父さん」との思い出は、個人的な物語でありながら、読む人ひとりひとりの思い出も刺激する。


 本著についてはもちろん、「子どもじゃなくなったら、お父さんが求めているものから外れるんじゃないか」と思ってしまった思春期のこと、東京学芸大学へと進学するも、全国区番組初レギュラーとして体を張った人気バラエティ番組『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)で拉致され、除籍になった当時のこと。そして「モテたい」と同期の芸人に相談した!?というエピソードなどについて話を聞いた。(望月ふみ)


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『ぼくのお父さん』のネームはお父さんが描いた絵日記!?

――作中にあるなしにかかわらず、お父さんとの思い出でまっさきに浮かぶのはどんなことですか?


矢部:何かの出来事というより、お父さんが絵を描いている日常です。動物園に行っても、買い物に行っても、何を思い出してもお父さんはいつも絵を描いていました。本にも出てきますが、お風呂屋さんが取り壊しになったときに、お父さんが絵を描いている隣で、煙突が崩されていくのを見ていたことはすごく覚えています。上から壊すんだなと思って、煙突がどんどん短くなっていって。そのことはすごく覚えていて、今回、漫画を描くうえで、お父さんが送ってくれた日記を見てまた思い出しました。


――3冊あるという、お父さんが幼少期の矢部さんのことを描いていた絵日記「たろうノート」ですね。


矢部:はい、これです。


――うわ、すごい! このまま何の手も加えず、作品として出せますね。デッサン程度の絵日記なのかと思っていましたが、1ページ1ページが完全にひとつの作品として完成してるんですね。


矢部:日々描いていたスケッチは別にあって、それをもとに日記という資料としてきっちり描いて残しているんです。誰に見せるわけじゃないんですけど。あ、でもひとり、詩人の鈴木志郎康さんに、お姉ちゃんが生まれるときに描いたものを見せたら、「続けた方がいいよ」と言ってくれたみたいです。それでお姉ちゃんのノートと、僕のノートと。


――すごく貴重なものですね。


矢部:そうですね。僕もみんなに見て欲しいという気持ちがどこかにあったのだと思います。僕が生まれる日のエピソードなんかは、「たろうノート」からそのまま描いてる感じです。ノートをネームに漫画を描いたみたいな(笑)。絵から伝わってくるものがあるので、ノートを見たときはすごく嬉しかったです。お父さんが絵日記を描きながら、子ども時代を生き直したと言っていましたが、僕も今回、そんな感覚がありました。ただ、お姉ちゃんのノートのほうが圧倒的にすごいんです。ノート自体大きいし、38冊もあって、作品としてもすごいです(苦笑)。


カルチャーギャップで笑いを取るスタンスは『電波少年』で培った

――『大家さんと僕』の大家さんも、お父さんも、少し浮世離れした感じがありますが、矢部さんが突っ込むのとは違って、驚きつつも一緒にいるスタンスが心地よく、読み進めると、大家さんのこともお父さんのことも、どんどん好きになっていきます。


矢部:読んでいる方にも好きになってほしいという気持ちは、大家さんのときにはすごくありました。お父さんについては、うーん。何か残したいな、描きたいなと思ったのは共通点ですね。ただお父さんのほうはいろんな気持ちがあって、ただ好きで終わっていない話も多いです(笑)。


――漫画を描くうえで、最初にお父さんがテーマだったら、描けましたか? やはり大家さんのことを描いたからこそ、客観的に子ども時代を見つめて描くことができたのでしょうか?


矢部:そうですね。大家さんの話を描いて、漫画でこういうものが描きたいんだ、こういうものが描けるんだといったことがいろいろ分かりましたし、大家さんのことを描いていなかったら、お父さんのことを描いても、別のものになっていたと思います。


――お笑いで培ったものも創作のうえで活きていますか?


矢部:活きていると思います。ネタを作ったり、振りと落ちを考えて、ボケてる人と訂正する人を置いたり。『大家さんと僕』も『ぼくのお父さん』もそうした構造になってますし。あとは『電波少年』とかのドキュメントバラエティでの経験も生きています。海外に行って知らない文化に触れて、カルチャーギャップから生まれる笑いがあったこととか。僕の体験したことが、編集されてああいうものになったわけですが、『電波少年』の場合は、カメラも自分でまわして、キャプションも自分で作ってたんです。コイサンマン語とか僕しか喋れないし。


――そうですね(苦笑)。


矢部:通訳の人もいないので、自分で撮影したVTRを見ながら、自分でキャプションを書いて。「ここは村の人の結婚の悩みを聞いてます」とか。そういった事実をキャプションとして書いていく目線は、今も活きているかもしれません。大家さんのときは特に意識して、知らないおばあさんと、世代の違う人との交流を、キャプションを取りながら進めていく感覚がありました。


――俯瞰で捉えながら、見る人、読む人のことを考えるというのはお笑いで鍛えられたところがあるのでしょうか。


矢部:ボケの人と突っ込みの人がいて、でもそこだけじゃなくて、お客さんもいて呼吸ができあがってくる。伝わらないとダメですし。そこは常に意識するので、そうかもしれませんね。


漫画はすべてを描き切らなくても伝わる。読む人を信頼してます


――逆に漫画を描いたことで、こういう伝え方もあるんだと発見したことは?


矢部:書かなくても伝わるんだと感じることは大きいです。僕は読む人を信頼していますし、すべてを描き切らなくても伝わる。たとえば「すごく嬉しかったです」なんて書かなくても伝わる。そこはお笑いとは別の方向性かもしれません。


――今回、どうやったら伝わるだろうと悩んだり、工夫した部分は?


矢部:うーん。結構すらすら描けたんですけど……。色を塗ったことかな。どういう風に塗ったら思い通りになるか、そこはちょっと悩みました。色がなくても想像してもらうほうが好きなんですけど、今回の場合は子どもの頃のことがテーマだから、カラーにしようかなと。お父さんの絵本みたいだし、子どもの頃って鮮やかなイメージがあるし。でも、もともと連載を描いたのは小説の雑誌だったので「カラーで連載とか、無理ですよねぇ」と軽く言ってみたんです。そしたら「あ、どうぞ」となっちゃって(笑)。


――世界観で参考にされたものはありますか?


矢部:谷内六郎さんの絵は、すごくノスタルジーを感じて好きで、最初はああいう感じにしたいなと思ってるときもありました。実際には違うものになりましたけど。


――『ぼくのお父さん』は、淡いパステルカラーの水彩画のようなタッチですね。


矢部:まさに水彩、筆、みたいなツールで描いてます(笑)。僕、iPadで描いて塗ってるんですけど僕が使ってるソフトの色付けのツールで、一番上にある機能なんです。それでやってみたら、いい感じだったので、これでいいかなって。


――いいなと思ったら、ほかをいろいろ試したりとか、迷わないんですね。温かみがあってぴったりですが。


矢部:そう、ぴったりだったんです。だからもうこれでいいなと。これ以上は必要ないかなと思いました。あとは、漫画家のはるな檸檬さんから、あまり色数を使わない方がいいと聞いたので、そこは気を付けました。


お父さんの作るものに反応できなくなっていた思春期


――お父さんの作るものに反応できなくなっていた時期があったと聞きました。思春期とかですか?


矢部:お父さんは子供向けの絵本を描いているし、子どもはみんな面白いという考え方なんです。それで自分が思春期になって、子どもじゃなくなったら、お父さんが求めているものから外れるんじゃないかみたいな気持ちがあったと思います。絵本とかを読んでくれて、感想を聞かれると、お父さんの求めている答えを探してしまったり。子どもっぽい、もっとピュアなことを言わなきゃとか。そういうのはありましたね。あとは単純に経済的に裕福じゃないことへの不満もあったと思います。


――そういった思春期を経て、東京学芸大学へ進まれました。現役ですか?


矢部:そうです。高校3年生のときには予備校に行きました。


――お父さんに進路相談は?


矢部:してないと思います。お父さんは「とにかく好きなものが見つけられたらいいよね」みたいな人なので、そういう意味では、大学へ行けば4年間好きなものを探せるんじゃないかみたいなことは言われたかもしれません。将来のことはそんなに考えてなくて、お笑いは高校のときに文化祭で入江(慎也)くんとやって面白そうだなと思ったり、漫画も読むのはずっと好きでしたが、それを仕事にといった発想はなかったです。


ロケで失敗しても、「できないことはしょうがない」

――大学在学中にお笑いコンビ、カラテカとしてデビューしました。これでやっていこう、やっていってもいいと思えたのは。


矢部:サークル感覚だったというか。最初は劇場で月に2回ライブをするくらいでしたし、だんだん増えたらいいかなくらいの気持ちでした。それが出番がだんだん増えて、オーディションに行かせてもらったりして、テレビに出て、『電波少年』で拉致されたりして、大学にも行けず、いつの間にか除籍になって、もう戻れないなと(苦笑)。


――そこで、腹をくくった?


矢部:お笑いをするんだなとは思いましたけど、腹をくくるって感じでもないです。実家も東京だし。やったるで!みたいなこともないし、すごく苦労した時代もないし。なんかぬるぬるしてるんです。すみません。


――苦労したことや、何かできなくて、自分ってダメだと卑屈になることもない?


矢部:できなくて失敗したことは、もちろんありますけど、でもそれは僕にはできないことなんだからしょうがないよなと思います。お笑いでもロケとかで全然できなくて、マネージャーさんとか入江くんに怒られてましたが、心のなかでは「それは僕に向いていないことだから、無理だよね」と思ってました。


――あはは! 


矢部:人には向き不向きがありますからね。その場合は僕に求めたことが間違いなんです(笑)。


出来上がった結果より、作っている過程に価値を感じる

――現在、成功されている矢部さんですが、物事の結果ではなく、過程に価値を感じるそうですね。それもお父さんからの影響があるとか。


矢部:お父さんと一緒に、いつも何かを作っていた気がするんです。昔から、僕にとっては、出来上がったものよりも、作っている時間のほうが大切だったというか。こうして今、本を出したりして、「増刷が決まりました。おめでとうございます!」とか編集さんから来たりしても、「そうですねー。おめでとうございます」とか返信するくらいで。なんでそんなに冷めてるんですか?とか言われることもあります。けど、実際そんなにそこには興味がないんです。なぜなのか、僕自身、あまり分からないんですけど。


――インタビューなどで質問されてみて、改めて、結果より過程に価値を感じているんだなと。


矢部:そうですね。あと、『大家さんと僕』に関しては、大家さんが亡くなっていることも大きいかもしれません。大家さんがいないのに作品が売れていって、なにか“虚無”になるというか。過程が好きなのはほかの作品や物事に対してもそうですが、『大家さんと僕』に関してはさらに違った思いがありますね。


作品を書いてみて、モテるようになりました


――作品が売れたことによって気づいたことはありますか?


矢部:前に、同期だったカリカの林克治くんがバーをやっていたときに、「なんか、モテたいんです」みたいに相談したことがあって。


――モテたい!?


矢部:あ、女性にモテるという意味より、周囲の人に魅力を感じてもらえるという意味で、です。どうしたらいいんですかね、みたいに相談して。そしたら林くんが、「矢部さんは何か作品を作ったほうがいいんじゃないか」と。僕は自分からあまりしゃべらないし、自分を出すみたいなのは恥ずかしくてできないし。だから作品を書くことで自分を出せるんじゃないかと。漫画とか描く前のことでしたが、作品を書いてみて、よかったなと思うのは、確かにモテるようになったことです。


――おお。すごい。


矢部:でももっと早くモテたかったです。もう遅いなって。


――そんなことないですよ!


矢部:10代とか20代でモテたかったです。


――いわゆる女性からも? でも今、実際にファンレターがたくさん来ますよね。


矢部:でもファンレターはだいたい大家さんのファンですし。今回もお父さんのファンが増えそうです。


――でもそれは矢部さんが大家さん、お父さんの魅力を伝えられたからこそ。


矢部:そう、そうなんです! 


――(笑)。『ぼくのお父さん』が発売されて、読者からの反応は?


矢部:Twitterで感想を書いてくれた人たちに「いいね」をさせてもらっているのですが、僕の個人的なお父さんの話を描いたけれど、みなさん自身のお父さんのことを話してくれている感想が多くて、すごく嬉しいです。自分のお父さんはちょっと変だなと思って書いたけれど、「私のお父さんも変でした」といったものが多くて、あぁ、みんなのお父さんも変なんだなって。そうしたみなさん自身のことに繋がる感想は嬉しいですし、描いてよかったなと思います。


■書誌情報
『ぼくのお父さん』
著者:矢部太郎
出版社:新潮社
価格:1,265円(税抜き)
https://www.shinchosha.co.jp/bokunootousan/