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俳人で歌人でエッセイストで小説家 芥川賞候補・くどうれいんは何者か?

2021年07月13日 18:41  リアルサウンド

リアルサウンド

芥川賞候補くどうれいんは何者か?

 『わたしを空腹にしないほうがいい』。突然投げかけられる要求にぎょっとしながらも気にならずにいられないタイトルのエッセイ集を出しているのが、第165回芥川龍之介賞の候補となっているくどうれいんだ。


(参考:【画像】オンラインでインタビューを受けるくどうれいん


 岩手県盛岡市出身で、現在も盛岡に住み、会社員をしている彼女の執筆活動は多岐に渡る。前述の『わたしを空腹にしないほうがいい』は、タイトルに俳句を据え、主に食にまつわる日々の生活を綴った日記形式のエッセイ集である。次に出された同じくエッセイ集の『うたうおばけ』は、今度はくどうれいんが関わってきた人々に焦点を当てて、色鮮やかに執筆されている。2021年4月には『水中で口笛』という、16歳から26歳の間に詠んだ短歌の中から厳選した316首が収録されている歌集を発表した。そして、この度芥川賞の候補となっているのが、「群像 4月号」に掲載された小説『氷柱の声』である。


 様々なジャンルで活躍するくどうれいんの魅力は何なのか。その最もたるものと言えるのが、彼女の世界に対する解像度の高さである。


 『わたしを空腹にしないほうがいい』では、彼女の「食」に対するスタンスを見ることができる。「食」に誠実な彼女は、最初のエッセイの終わりをこう締める。


■くどうれいん『わたしを空腹にしないほうがいい』(発行: BOOKNERD)


「生きている限り必ずお腹がすいてしまうということを、なんだかとっても不思議で可笑しく思います。菜箸を握ろう。わたしがわたしを空腹にしないように。うれしくても、寂しくても、楽しくても、悲しくても。たとえば、ながい恋を終わらせても。」


 生活をしていく上で「食事」は避けられない。嬉しくても悲しくても、「食」を疎かにしない彼女の強い決意のようなものを感じる。そんな彼女だが、1年後の同じ時期に、食欲不振に陥る。「わたしを空腹にしないほうがいい」と言っていた彼女が食欲を失ってしまったときに、どのように「食」を取り戻していくかという過程は、人間が備えている生命力を見た気がしたのだ。


 くどうれいんが「人」について書いた『うたうおばけ』は、1つ目のエッセイ「うたうおばけ」で、この本の軸が示されているように思う。


■くどうれいん『うたうおばけ』(書肆侃侃房)


「(なーにが友達だよ)と思いながら自分のともだちのことを思うとき、それはおだやかにかわいい百鬼夜行のようだ。」


 『うたうおばけ』の魅力はなんといっても、くどうれいんの日常生活の中に登場する人々の人間味だろう。可愛い喪服を着てラーメン屋に集い、元恋人への気持ちの葬式をするミオや、メールで暗号のやり取りをしていたスズキくん、就活の面接でくどうれいんのことをエリマキトカゲに例えたことを本気で謝るかおりなど、人というものはこんなにも可愛らしい生き物なのかと思わせるエッセイが収録されている。


 工藤玲音名義で出版された『水中で口笛』は、高校生から短歌を始めて今に至るまでの工藤玲音の10年の生きた様を見るようである。


■工藤玲音『水中で口笛』(左右社)


「砂浜に俳句を書けばまっさきに季語を攫ってゆく波の泡」
「死はずっと遠くわたしはマヨネーズが星形に出る国に生まれた」
「とどめを刺すための言葉を粉雪に落としてしまい探さなかった」
「大学ではみんなみたいな歌を聴きみんなみたいな人になりたい」


 短歌から立ち上がる景色は、さながら短編映画を見ているかのように錯覚する。三十一文字に凝縮された彼女の視線は、細やかかつ大胆で、何気ない日常の中からとてつもなく遠い場所まで読者を連れて行ってくれる。


 最後に、今回芥川賞の候補作となった『氷柱の声』はどんな小説なのか紹介したい。


■くどうれいん『氷柱の声』(講談社)


 2011年から2021年までの10年間を描いている今作の主人公は、岩手県出身の伊智花という女性である。2011年、高校2年生であった伊智花は、盛岡の自宅で東日本大震災を経験する。彼女がその後出会う人々は、福島や宮城など、場所は違えどそれぞれ被災しており、それぞれがその時から抱え始めた気持ちを、何気ない会話のきっかけから吐露していく。2021年に突入すると、コロナ禍により、伊智花を取り巻く環境にも変化が生じる。震災をきっかけに、周りから望まない役割を与えられてしまっていた人々が、10年越しに人生を自分のもとに取り戻していく過程を、綿密に描いた作品である。


 人が生きていることの機微を、丁寧にすくい上げるくどうれいんの作品は、一度読むとしばらく自己に密着する。喜怒哀楽のグラデーションを細かく描写した彼女の筆力からは、これからも目が離せない。


(文=ねむみえり)