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スティーヴン・キングはなぜアメリカを代表する作家になったのか?  風間賢二が語る”ホラー小説の帝王”の真実

2021年07月05日 09:01  リアルサウンド

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 1974年に『キャリー』でデビューして以来、多くのベストセラーを世に送り出し、映像化も多いスティーヴン・キング。ホラー小説の帝王と呼ばれた彼は、ファンタジーやミステリーへ、文学味のある作品へと作風を広げ、アメリカを代表する作家となった。そのキングを長年論じ、作品を訳してもいる風間賢二氏が、『スティーヴン・キング論集成 アメリカの悪夢と超現実的光景』を刊行した。過去30年ほどの原稿に大幅に加筆修正してまとめた大著である。風間氏にキングの魅力について聞いた。(6月8日取材/円堂都司昭)


(参考:【写真】風間賢二


――本にも書かれていますが、スティーヴン・キングとの出会いは中編の「霧」(1980年。以下いずれも原著の発表年)だったそうですね。


風間:僕はかつて早川書房の編集者でSFのセクションにいました。同社で『闇の展覧会』というホラーのアンソロジーを出すことになって(1982年刊行)、担当者から「お前は怪奇幻想が得意なんだから読んでごらん」といわれ、「霧」をゲラで渡されたんです。読んだら非常に面白い。キングの「霧」のおかげでポピュラー・フィクションに開眼しました。


 もう時効でしょうから言いますが、僕が早川へ入社試験を受けた際、面接で自己アピールのために「怪奇幻想が得意です」とベラベラほらを吹いていた。アメリカのポピュラー・フィクションはあまり読んでいなかったのに、読んでいるふりをしたわけです(笑)。


 会社に入ってから「得意ならスティーヴン・キングは知ってるか」といわれ、当時『デッド・ゾーン』の原書が翻訳するかどうかの検討用で置いてあったのですが、警察官の帽子とバッチが本のカバーになっていて地味! クソつまんなそー(笑)と思いました。で、「キングは知らないんですけど」といったら、上司に「面接でいってた話と違うじゃないか」と責められたけど、「現代の作家はちょっと……。19世紀とかもっと渋い作家なら」とごまかしていた。『闇の展覧会』の件はそのあとの話です。「霧」が面白かったから、読まずにいたのはまずかったと思い、『キャリー』までさかのぼって読み始めました。


――一気にキングに引きこまれたんですか。


風間:いや、『キャリー』はまだデビュー作だし、語り口がさまざまな断片の寄せ集めで構成されていて……という感じでイマイチ乗れなかったけど、次の『呪われた町』(1975年)を読んだらオーソドックスな構成で語り口もストレートで、しかも古典的な吸血鬼を現代的にしたということもあって読みやすかった。そして、第3長編『シャイニング』(1977年)がすごく怖かった。海外の翻訳書で本当に怖いと思ったのは、この作品ですね。


 当時は『シャイニング』以降の作品はまだ翻訳が出ていなかったから原書で読むようになり、『IT』(1986年)も翻訳検討用の見本が1,200~1,300頁(日本語版は文庫で4分冊)ありましたけど、版権をとるなら早く答えを出さなければいけないから、1週間で読めと命じられ……。


――うわ、私は大学時代に英語の勉強だと思ってキングのペーパーバックを読んでいましたけど、『IT』には3カ月かかりました……。


風間:頑張って急いで読みましたけど、文藝春秋と争って金額で負けました(笑)。なにしろバブル経済期のことですから、当時としては天文学的な版権料になって、さすがにビビリました。


――キングの小説で最もひきつけられたのは、どんなところですか。


風間:1970年代の初期から『IT』や『ミザリー』(1987年)など1980年代までは、B級感覚、悪趣味であると同時にペシミズム、悲観主義で根暗なところが僕の好みにフィットした。同じようにホラー系でベストセラー作家のディーン・R・クーンツも面白かったんですけど、キングとは真逆なんです。


 クーンツは『ベストセラー小説の書き方』なんて本を出したくらい職人気質で、語り口もうまいしキングより読みやすい。けれども、「最後に愛と正義は勝つ!」みたいな能天気さ——いわゆる〈社会派メロドラマ〉成分が濃厚で、だから人気があるんでしょうけど、僕はそこが気に食わなかった。その点、キングはしっかりとダークな、ブルーな気持ちにさせてくれて僕の性悪な琴線に触れました(笑)。


 編集者時代はSFのセクションにいた後、ファンタジーの文庫をやってモダン・ホラー・セレクションを全部1人でやっていました。クーンツとかロバート・R・マキャモンとか、あんなに面白いんだから売れてもいいのに人気が出なかった。そのうち『リング』(1991年、鈴木光司)で貞子が登場しジャパニーズ・ホラーは盛りあがりましたけど、洋モノはダメ。ホラーはジャンル自体のファンがそれほどいない。


 SFファンがちょっとホラーにも手を出し、ミステリー・ファンも触手を伸ばしといった感じで、純粋なホラー・ファンはあまりいない。そもそも昔から、怪奇幻想ファンは300人しかいないと言われていました。まあ、それが英米のモダンホラー・ブームの影響で3000人に増えたていどです。でも、その数で文庫はキビシイ。まあ、それは例えの話で、実際には2万部ぐらいは動いていたのですが、当時80年代は今と違って海外翻訳ものの景気が良くて、他の文庫は4、5万部は売れてましたからね。


――そんななかでキングだけ別格だった印象ですね。1980年代の日本では、まだ大ブレイク前の村上春樹がキング好きを表明したり、ガルシア=マルケス、フィリップ・K・ディックもラインナップに入った北宋社の作家研究読本のシリーズでキングがとりあげられる(『スティーヴン・キングの研究読本 モダンホラーとU.S.A.』1985年)など、ちょっと文学寄りの受けとられかたもありました。一方、相次ぐ映像化ではB級感覚の作品が多くて、キングが脚本で参加したジョージ・A・ロメロ監督『クリープショー』(1982年)では人間がゴキブリの大群に喰われたり。風間さんは、キングの大衆作家の面にひかれたんですか。


風間:そうですね、僕は基本的にフランス文学畑の出身ですから、文学ではない娯楽小説もこんなに面白いのか、と感心しました。でも、同時代のベストセラー作家にジョン・アーヴィングやアン・タイラーは純文系だけど売れているので批評家からバカにされがちでしたけど、キングと比べるとやはりキャラクター造形や心情の描写、話の深みは彼らのほうに軍配が上がる。キングの場合、基本的にストックキャラクター(ステレオタイプ)を用いて、古来の物語パターンやアイデアを借用しているだけです。ただし、それをいかにうまく今日的な観点から読者に巧みに語ることに長けている。まあ、ストックキャラクターということなら、ディケンズの小説もそうですけどね(笑)。戯画化が巧妙なだけです。


――『スティーヴン・キング論集成』では特定地域へのこだわりという点でキングが、ウィリアム・フォークナーの系譜にあると解説されています。彼は自身の出身地であるメイン州を作品の舞台にすることが多いですね。メイン州は都会でも郊外でもないでしょう。どういう場所なんですか。


風間:田舎です。軽井沢のような避暑地で夏になるとニューヨークやボストンなどの富裕層がきて2、3カ月過ごす。カナダが近くて冬の寒さは厳しいから、その時期にはみんな都会へ帰っちゃう。保守的な田舎だし村社会という感じで僕も2回行きましたけど、街を歩いているのはほとんど白人で黒人や東洋系、ヒスパニック系はほとんどみかけませんでした。『IT』では前半に人種差別、ゲイ差別のエピソードが出てきますね。


――風間さんの本では「強烈な仲間意識と他者に対する拒絶反応」と書かれています。


風間:キングが地元から離れず、ずっとメイン州で暮らしているのは、村社会なのでみんな親戚のようで顔なじみだからかもしれない。キングがスター、VIPみたいな特別扱いではなく、散歩していても「サインください!」ではなく「やあ、キングさん」と挨拶してくるぐらいの感じで、私生活を脅かされることはない。そんな風に自由に外を歩き回れる環境だから離れないんじゃないですかね。


――近年のキングは、トランプ前大統領を批判する発言が話題になりましたし、基本的に政治姿勢はリベラルですよね。


風間:60年代カウンターカルチャーの時期に青春時代を過ごしていますから。ホラーは保守的なジャンルなので作品の大枠はその伝統のままですけど、キャラクターでリベラルな感覚が描かれる。でも、その種の登場人物は悲惨な目にあいがち。リベラルな価値観を認めているけど、現実社会ではすんなりとはいかないよといった内容になっています。キングは基本的に民主党支持者。悪人を描く際に、しばしば共和党員をメタファーに使ったりします(笑)。


――複数の視点から描く長大な小説をキングは多く書いてきましたが、膨大な登場人物のなかにそれほどインテリという人は出てきません。


風間:初期から1980年代くらいまで、その種のキャラクターは作家か教師か、自分が体験した職業くらいしか描いていません。ほかに出てくるのはメイン州に住んでいるような普通の人たち、インテリジェントな都会人は出てこない。アメリカ全体でいえば田舎のそういった人々のほうが圧倒的に多いわけだから、共感を得てベストセラーになるんでしょう。


――キングは大ベストセラー作家ですけど、彼の英文はアメリカの小説では一般的なものといえるんですか。


風間:悪文じゃないですけど、純文学のほうからは卑語俗語、会話体の文体がひどいとバカにされて評価されない。統計専門家ベン・フラットがアメリカのベストセラー作家の文章を採点した本『数字が明かす小説の秘密』では、キングは点が低い。小学六年生レベルらしい(笑)。でも、べつに文学通ではない普通の人には読みやすいし、それも売れる要因のひとつでしょう。


――部分的にゴチックやイタリックを使ったり、文字を大きくしたり、キングは字面が派手というか、デザインされた字で擬音を描きこむマンガみたいなノリがあります。雰囲気を盛り上げる楽しい手法ですけど、そんな文字使いを下品に感じる人もいるんでしょうね。


風間:芸術としてタイポグラフィーを用いた言語実験を行う作家もこれまでいましたけど、キングの場合、1960年代のTV番組『バットマン』で画期的だった表現——格闘シーンで「BANG!」とか「wham!」がアメコミそのままに効果音として擬音語が飛び出すとか、ああいうことを小説でやりたいんでしょうね。また、〈意識の流れ〉を視覚化したいとか。


――ただ、長い間の作風の変化としては、キングもある時期からやや文学寄りになってきた。


風間:自作の出版社をそれまでのダブルデイから純文学系のスクリブナー社へかえた『骨の袋』(1998年)や『アトランティスのこころ』(1999年)から変化して、『リーシーの物語』(2006年)や『悪霊の島』(2008年)などはそっち寄りです。昔から読んでいる僕なんかにいわせると、べつにキングの純文学が読みたいわけじゃないし、それだったらドストエフスキーを読むよって感じになっちゃう(笑)。


――本では、主要作に関する長めの論考のほか巻末でキング全作品を紹介し、映像化についても多く触れています。風間さんにとってのキング映像化作品のベストはなんですか。


風間:それってキングが原作なの? みたいな、非ホラーで一般的にも人気のある『スタンド・バイ・ミー』(原作1982年、ロブ・ライナー監督映画1986年)、『ショーシャンクの空に』(原作「刑務所のリタ・ヘイワース」1982年、フランク・ダラボン監督映画1994年)ですかね。『シャイニング』(スタンリー・キューブリック監督映画1980年)を入れてもいいけど、ホラーの映像化はだいたいダメ。


 キングは1950年代B級悪趣味感覚の人だから、自分が監督した『地獄のデビル・トラック』(1986年)など「ひどい!」といわれ袋叩き。技術を知らなくて本当にひどいのかもしれないけど、それを狙ってる気がしないでもない。1950年代のB級映画ってああいうものだったから。キング作品の映像化だと、『ミスト(霧)』の映画版(2007年。フランク・ダラボン監督)はよかったけど、テレビ・シリーズでは原作が同じ『ザ・ミスト』(2017年)がシーズン1で打ち切り、『アンダー・ザ・ドーム』(原作2009年、テレビ2013年)も途中でうやむやに終り、『キャッスル・ロック』(キング作品に登場する同名の架空の町が舞台。テレビ2019年)はよかったけど制作中止だし、『アウトサイダー』(原作2018年、テレビ2020年)もできはよかったのに打ち切り。


――死屍累々(笑)。ブライアン・デ・パルマ監督の出世作になった『キャリー』(映画1976年)をはじめ、『デッド・ゾーン』(原作1979年、デヴィッド・クローネンバーグ監督映画『デッドゾーン』1983年)、『ミザリー』(原作1987年、ロブ・ライナー監督映画1990年)、近年では『IT/イット”それ”が見えたら、終わり。』(アンディ・ムスキエティ監督映画2017年、続編『IT/イット THE END”それ”が見えたら、終わり。』(2019年)、『ドクター・スリープ』(原作2013年、マイク・フラナガン監督映画2019年)など、ヒット作、評価された作品、話題作もありましたけど、失敗作のほうが多い。それでもキング作品は映像化され続けています。原作に魅力があるからでしょうけど、映像と小説でなにが違うんでしょうか。


風間:ストーリーだけとればありふれたバカバカしい話だけど、キングはそれを日常生活とキャラをリアルに書きこむことで面白く読ませます。でも、映画では精緻な心理描写やキャラのバックグランドをたいして語れない。ほとんどが単なるあらすじ紹介で終わっている。


――巨匠キューブリックが監督したのにキングが忌み嫌っていることで有名な『シャイニング』についてはどうですか。


風間:まあ、べつものと考えたほうがいい。映像美でみせるキューブリック作品だから。物語としては原作のほうが面白い。でも、双子の少女、エレベーターからドバーッと流れる血、廊下のカーペットの幾何学模様、「All work and no play makes Jack a dull boy」(仕事ばかりで遊ばないとジャックはバカになる。「よく学びよく遊べ」の意味)とタイプライターで打ち続ける作家の狂気、ジャックがドアを斧で打ち破って「Here’s Johnny!」という場面など、映画版独自の印象的なシーンが多い。『シャイニング』はそうした原作にはないイメージで一般的には知られている。キングには皮肉なことにね(笑)。


――原作ではホテルの庭のトピアリー(樹木を動物の形に刈りこんだもの)が不気味に動きますが、映画ではトピアリーはなく生垣が迷路になっていてそこを逃げ惑う。ああいうアレンジは上手いと感じました。


風間:キューブリックの作品として映画版をみれば価値はあるんだろうけど、個人的にはどちらが怖いかといえば原作のほう。怖さの面でキングは怒ったのかも。「キューブリックはホラーを理解していない!」といった感じで。


――それでは、風間さんにとってのキング小説のベストワンは。


風間:『IT』と『ザ・スタンド』(1978年)で並ぶけど、好みとしては『IT』かな。なにせ原書を1週間で読んだし(笑)、語り口が面白かったんです。映画版だと過去パートと現代パートが截然と分かれています。一般の人にはそのほうがわかりやすいだろうし、少年時代の話で人気が出たところがある。でも、原作は基本的に中年のおじさん、おばさんたちの話で、かれらの回想として少年時代が語られる。現在と過去が入り乱れつつITを倒す、あの展開が上手いし、七人のキャラクターたちもよく書きこまれています。ハリウッドだから映画はハッピーエンドにしなくちゃいけないけど、原作は結果的にバッドエンド。そのへんも好きです。


――『ザ・スタンド』は、致死率の高いインフルエンザのパンデミックが起きた世界を舞台にしていて、コロナ禍の昨今とつながる要素があります。


風間:去年の暮れにテレビ・シリーズになりましたが、コロナ禍の前から進んでいた企画が偶然、そのタイミングになった。むしろ制作側の念頭にあったのは流行が続くゾンビもので、その感染による終末、破滅後の世界を描いた一群の作品に便乗といった感じでしょう。そもそもパンデミックや核戦争で崩壊した社会を描くアポカリプス(黙示録)ものは昔からあります。


――そのアポカリプスものもそうですが、キングは吸血鬼(『呪われた町』)、幽霊屋敷(『シャイニング』)、超能力(『キャリー』)など、昔からあるパターンの語り口が上手いですよね。『IT』は、映画版では著作権の関係もあって変更されましたけど、原作は吸血鬼、狼男、半魚人、ミイラ男など定番の怪物が登場しつつ、ちゃんと怖がらせてくれる物語でしたし。


風間:だから現代の語り部、ストーリーテラーといわれるわけです。ベストセラー作家はみんなそうですけど、それを長きにわたって持続しているのがすごい。


――『スティーヴン・キング論集成』は、かなり以前から書き続けてきたキング関連の原稿に大幅に加筆してまとめられている。


風間:30年間くらいのものをまとめました。最初はテーマ別にしようかと思いましたけど、今回は伝記に関する文章は入れなかったので、年代順に作品論を並べることで評伝もかねるだろうし、キング初心者の方にも読みものとして親しみやすいだろうと考えました。


――本の後半は風間さん自身が訳した全7部の「ダークタワー」サーガに多くをあてています。この複雑な構造を持った大河ダーク・ファンタジーは、キング・ワールドの中核ともいえるもので彼の他の作品といろいろリンクしている。


風間:そのわりに読まれていないのが悲しい。映画版『ダークタワー』(2017年)が興行的にこけたのが惜しかった。『ハリー・ポッター』、『ロード・オブ・ザ・リング』みたいに長尺シリーズにすべきなのに、文庫本15冊分が1時間半くらいにされちゃって、それだとB級ホラーかディズニーアニメの尺でしょう。単なるファンタジー・アクション映画としてはそれなりに面白かったけど。シュワルツェネッガー主演『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993年)と同系列の作品としてみればね。


 原作は第1巻が従来のキングらしくなくて、話がこんがらがって難しいという人が多い。でも、SFやダーク・ファンタジーのファンならおなじみの世界観だし、第2巻以降はとっつきやすくなって従来のキング節と近い語り口になるので、キング・ファンを自認するならぜひとも読んでほしいですね。


――日本で最近翻訳された作品についてお聞きします。昨年刊行された『眠れる美女たち』(2017年)は、スティーヴン・キングが息子のオーウェン・キングと合作したものでした。訳を読むと、いつものキングとあまり変わらない印象だったのですが。


風間:キングは過去にピーター・ストラウブと『タリスマン』(1984年)とその続編『ブラック・ハウス』(2001年)を合作していて、片方が1章を書いたら相手が続きを書くというようなやりとりをしたそうですが、息子との合作ではオーウェンがほとんど書いてから父が手を入れたようですね。


女たちが眠り続ける奇想は面白いし、人間の残酷なところ、利己的なところが出ていてキングらしいキャラクターが揃っています。でも、小説家としてはオーウェンより、同じくキングの息子であるジョー・ヒルのほうが断然上でしょう。彼は短編でキングとの合作があるけど、短編に関しては父親よりうまいかもしれない。


 ジョー・ヒルがもしモダンホラー全盛期の1980年代に作品を発表していたら、今のキングくらいになっていたかもしれない。それくらいの素質はあると思います。本当かよ、と疑念を抱かれた人には、ジョー・ヒルの処女短編集『20世紀の幽霊たち』(2005年)の一読をすすめます。父であるキングとの合作が収録されている最新短編集『怪奇疾走』(2019年)もよいです。


――キングは今年になって『アウトサイダー』の翻訳が出ました。


風間:キングは、クライム・ノベルで〈ビル・ホッジス〉3部作を書きましたが、『アウトサイダー』はそのスピンオフ。今後も翻訳が期待される中編集『IF It Bleeds』(2020)にも〈ビル・ホッジス〉もののスピンオフが収録されています。そして未訳の長編『The Institute』(2019年)は、『ファイアスターター』(1980年)や『ドクター・スリープ』、あるいは〈ダークタワー〉と通じる超能力者を題材にした内容になっています。さすがに題材はリサイクルしていますけど、御年73歳です。日本でいうと荒俣宏や高山宏と同年の1947年生まれ。ベビーブーマー世代の作家として旺盛な執筆力は衰え知らずですね。


――こうして論集をまとめ、あらためてキングをふり返っていかがですか。


風間:いやー、30年間、キングで原稿料稼いできたんだなと(笑)。この本を読み返すと、21世紀に入ってからの作品、キングがクライム・フィクションとかノワールとかミステリー・タッチのものをやり始めてからの作品についての論考が手薄なので、奇跡的に増補版を出してもらえる機会があれば、ノンホラーものについても考察したいなと思います。でも、まあ、いまは我ながらよくやったんじゃないのって感じの本です(笑)。


――キングはホラーを代表するだけでなく、アメリカを象徴するほどの作家になりました。


風間:時代の流れに乗りましたよね。1970年代のオカルト・ブームの頃『キャリー』でデビューし、1980年代のレーガニズムでアメリカが保守的になった時代にモダンホラー・ブームの旗頭の役割を果たした。彼は、アメリカの悪夢や恐怖をホラーの形で描き続けているポストモダンな語り部です。入植時代からのアメリカン人の集団的無意識となっている原罪や恐怖(たとえば、インディアン虐殺や魔女狩り、人種差別など)を現代のフォークロアーとして語り直してきた。だから、アメリカ人にとって親近感があるし、身につまされるものとして受けとめられるんでしょう。


 キングはかつて『デッド・ゾーン』で大統領選をモチーフにしましたが、『11/22/63』(2011年)ではケネディ暗殺を題材にしている。そういうところでも、やっぱり一般的なアメリカ人の心をとらえるのが抜群にうまい。結果として2014年には、当時の大統領オバマから国民芸術勲章(National Medal of Arts)を授与され、それで完璧に今日のアメリカを代表する作家になりましたね。


(取材・文=円堂都司昭)