2021年07月04日 09:51 弁護士ドットコム
ツイッターを利用する弁護士は数多いが、歯に衣着せぬ語り口と気取らない人柄で人気なのが、「ローカス先生」の呼び名で親しまれている「lawkus」( https://twitter.com/lawkus )こと、三浦義隆弁護士だ。
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ネットで話題の事件に法的な視点からコメントしたり、家族や愛犬・愛猫たちの様子を伝えたりと、硬軟おりまぜたローカス先生のツイートを追いかけるフォロワー数は3万5000人を超える。
そんな三浦弁護士だが、弁護士になるまでには紆余曲折があった。大学を中退し、アルバイトをしながら独学で司法試験を受けた。合格後は弁護士としてキャリアを積み、千葉県内で開業。現在は2カ所で法律事務所を構える。
ローカス先生はこれまで、どのような道を歩んできたのか。ツイッターの向こう側にあるその素顔に迫った。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
地元の千葉県立幕張総合高校卒業後、早稲田大学法学部に入学したというローカス先生。弁護士になる夢はそのころから?
「いやあ、特にないですね」
法学部に入学したのも「たまたまだった」と話す。
「法学部に入ったから、そういう道もありうるのかなとは、入学時点で多少、頭の隅にはありましたけど、まあそれくらいのレベルの話だったんですよね。それで結局、大学に全然行かないままやめることになったので」
さらりと、聞き逃せないことを明かすローカス先生。
「ツイッターでも時々書いていますが、本当にまったく大学に行きませんでした。最初の1年が0単位、2年目が2単位。で、3年目が0単位で、4年の前期も0単位だったんですよ」
つまり、3年半で2単位のみ。大学に行かず、アルバイトをしては遊ぶフリーター生活を満喫した結果だ。
「早稲田って留年制度もなくて、学年だけは上がるシステムなんですよね。なので、早稲田は8年間、留年しなくてもいられました。
昔は、親に成績通知が行くみたいなシステムもなくて。だから、なんとなく卒業できるようなふりをしていたんですけど…」
しかし、さすがに4年になり、親にも知れることになった。
「うちはもともと決して裕福な家じゃないし、しかも4人きょうだいの一番上なんですよ。一番下が10歳離れていて、まだまだ教育費もかかるからということで、じゃあもう大学は中退やむなし、という話になりました」
しかし、大学中退では就職も限られる。そこで、浮上したのが司法試験である。
「本当に消去法ですよね。ちょうど就職氷河期真っ只中でしたから、大学中退では就職先を探してもないだろうと。
ただ、子どものころから勉強はしなかったけど、やれば人より成果が出るというのは思っていました。どこかでそれを活かすようにしないと、なかなか自分の生きる道を見つけられないんじゃないかなとは、ぼんやり考えていました。
子どものころに親から『弁護士に向いているんじゃないの?』とは言われていたこともあります。そこで、司法試験でも受けようか、ということになりましたね」
ところが、受験には高いハードルがあった。
「当時の司法試験は、誰でも受けることができました。一次試験と二次試験があって、その一次試験は法律の知識ではなく、一般教養の試験でした。
大学1、2年生の単位を取れていてば、一次試験の免除資格を取れるようなシステムになっていたので、早い人だと3年生から二次試験を受け始める、というのが当時のスタンダードだったんですね。
でも、免除なく一次試験を受けようとするとかなり難しくて、狭き門でした。だから、旧司法試験では、ほぼ誰も一次試験は受けませんでしたね」
このままでは、一次試験を受けざるを得なくなってしまう。
「じゃあ、4年の後期と5年で、一次試験の免除に必要な単位を取りたいから、あと1年だけ大学に行かせてほしいと親に頼みました。『じゃあ仕方ない。それは許してやろう』という話になって学費を出してもらえることになりました。
そのあとは、1、2年生に混じって英語の授業とか受けてましたね」
子どものころから勉強をしなかったというローカス先生。「1分も勉強しないで入れる県立高校に入学しました」という。
とはいえ、生徒のほとんどが大学や短大に進学するような高校である。その中で、3年になって気づけば一学年720人のうち、成績は700番台まで落ちていた。
「高校でも遊んでて勉強しなかったんですよね。留年しないギリギリの成績でした。現役合格はもうあきらめて、一浪して良い大学に入ろうと思っていました」
ところが、一冊の参考書と出会い、転機が訪れる。
「高校3年2学期の終業式の日に、友だちが年末ジャンボ宝くじを買いたいと言い出したんです。東京の有楽町に西銀座チャンスセンターという宝くじ売り場があって、そこに一緒に行こうと。
それで、一緒に宝くじを買ってラーメンを食べたあとに、本屋に立ち寄りました。東京駅近くの八重洲ブックセンターだったのかな。その本屋で、参考書のコーナーに行ったら、『大学受験一目でわかる政経ハンドブック』(東進ブックス)という本があって、手にとってパラパラめくってみたんです。
そうしたら、歴史の科目に比べて覚えること少ないし、しかも、ある程度は元々持ってる知識で対応できることに気づきました」
友人に「国語と英語とこれで大学受験できるの?」と聞いたところ、もちろん受験できる大学もあると言われ、とにかくその参考書を買って帰ったという。
「それで、やっぱり大学受けようかなと思いました。ただ、政経で受験できる大学で、試験日ができるだけ遅い大学となると、早稲田大学だけだったんです。それで、受けたら受かっちゃったと…」
司法試験に話を戻そう。大学5年目で一次試験の免除を得たローカス先生は、その後は受験勉強とアルバイトの生活。ほぼ独学で勉強していたという。
ちょうど旧司法試験が廃止され、現在の司法試験へと移行する時期にあたった。毎年、すごい勢いで旧司法試験の合格者は減らされていった。大学を中退しているので、ほかの受験生のようにロースクールに入るという道もない。背水の陣である。
ところが、ローカス先生はマイペースを崩さなかった。
「司法浪人になってからも、実はそんなに根詰めて勉強していませんでした。昔、ミクシィに日記をまめにつけていて、あとで数えてみたら、勉強時間は1日平均1時間半しかやってないんですよね。
勉強を続けていれば伸びるだろうし、まあそのうち受かるだろうみたいな感じでした」
結局、廃止になる2年前の旧司法試験に滑り込みで合格した。5回目の受験、28歳になっていた。約1万5000人受けて合格者はたった92人という過酷な受験だった。
合格後には、当時付き合っていた女性と結婚。じゃんけんで負けて、妻の姓である「三浦」になったという話は、ローカス先生のフォロワーにはおなじみかもしれない。
司法試験合格後は、司法修習を経て弁護士登録。2011年には全国にいくつもオフィスを構えている法律事務所に就職した。その後、同期たちと立ち上げた法律事務所を共同経営し、千葉県流山市の拠点を分けるかたちで独立。現在は千葉県佐倉市と2カ所で事務所を経営している。
いわゆる「マチ弁」と呼ばれる。人々にとって身近な弁護士を続け、離婚事件を手がけることが多い。
「特に流山市では、土地柄すごい急速に発展して、人口が増えている場所なので、子育てしている若い世代の夫婦も多くて、離婚事件も多いです。
原因としては、浮気もあるし、DVもあるし、モラハラもありますね。もちろん、いわゆる性格の不一致のような、どちらか一方に非があるというものではない相談もたくさんきますね」
特に気になるのが、妻側から依頼を受けたDVやモラハラの案件だ。「ツイッターでいろいろな弁護士の先生がおっしゃっていますが」としたうえでこう話す。
「相手方の夫がみんな面白いほど似たようなタイプばっかりなんですよ。絶対に自分が正しいと思っていて、自己の言い分に固執しますし、攻撃的な人が多い。なぜか大抵、弁護士には依頼せず、事務所に電話をかけてきて、延々、文句を言ってきたりします。
結局、今まで奥さんに圧をかけて言うことを聞かせていたから、自分の都合の良いようにしか物を考えられない人で、『話せばわかる』と思ってるんですよ。それなのに、弁護士がブロックしているから、奥さんと直接話すことができないというふうに思い込むんですよね」
一度、離婚調停で行った家庭裁判所で、そういう夫に胸ぐらを掴まれたこともあった。
「いや、私もあれはびっくりしましたね」
そんな泥臭い仕事も、弁護士の面白さのひとつなのだという。
「集団行動は子どものころからすごい苦手で、それが学校が好きじゃなかった原因にもなっていたのですが、友だち付き合いは好きでした。だから、人は好きなんでしょうね」
そんなローカス先生がツイッターを始めたのは、2009年。ツイッターが爆発的な人気となっていた2010年ごろから本格的に使い始めた。途中から使い始めたアカウント名の「lawkus」は、今はもうない「Rawkus Records」という米国ニューヨークのレコードレーベルをもじってつけたという。
「最初は人と交流するというよりも、情報が入ってくるツールなのかなと思っていたところがありました。
だから、著名な人や学者さん、あるいは当時修習生でしたから法曹業界の先輩方とかを一通りフォローしていきました。そうすると、自然と自分も投稿するようになるので、人との交流もできていったりしましたね」
最もフォロワーが増えたのは、2012年から2017年のころ。ツイッターのアクティブユーザーが増えた時代であり、ローカス先生がブログも熱心に書いていた時期だった。
「あのブログはよくバズっていたので。それと連動してツイッターのフォロワーも増えたかなという感じです」
中でもトップクラスに人気のあったブログ記事は、2017年5月の「痴漢を疑われても逃げるべきではない理由」。当時、痴漢を疑われた男性が逃走、ビルから転落して亡くなったという事件をきっかけに書いた。
「『どうせ逮捕された時点で人生終わりだから危険を冒しても逃げたほうがいい』みたいなネット通説は誤りだ」とはっきり書き、きちんと弁護士を呼ぶように助言したブログは、よく読まれた。
そのとき、社会問題となっている話題に対して、ツイッターやブログで専門家として的確な発信をし続けているが、モチベーションはどこに?
「文章を読んだり書いたりすることは、もともと嫌いじゃないし、得意な部類ではあるんでしょうね。
ただ、別にネットで発信したからといって仕事上のメリットはほとんどないです。ツイッター経由で依頼が来ることも少ないです。だから、何かメリットがあってやってるわけではないんですけども。まあ趣味ですよね」
ツイッターを続けていると、思わぬ騒動になることもある。
ひとつは、作家・ブロガーのはあちゅう氏との訴訟だ。ローカス先生はかねてから、はあちゅう氏の言説に対して批判的なツイートをしてきた。その一連のツイートが、はあちゅう氏の名誉感情を侵害するとして、東京地裁に提訴された。
しかし、「不当な人格攻撃はしていません」とローカス先生。「私は弁護士だからまだいいのですが、こうした訴訟はネットの言論を萎縮する効果を持ちます」
そんな自由な姿勢が人気の理由かもしれない。今日も、ローカス先生が仕事の合間を見つけては発信してくれるツイートを追いかけている。
【三浦義隆弁護士略歴】
千葉県出身。千葉県立幕張総合高校卒業、早稲田大学法学部中退。2011年、弁護士登録後、弁護士法人平松剛法律事務所に入所。主に労働事件、債務整理、刑事事件を担当。2013年、弁護士法人おおたか総合法律事務所(パートナー)。離婚、相続、交通事故、労働事件、債務整理、刑事事件等を幅広く担当。2017年、現在のおおたかの森法律事務所を開業。2018年、事務所を法人化し佐倉市に支所を開設。