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マタギは“セルフブランディング”がうまかった? 取材歴15年以上、ベテランカメラマンに聞く特殊な文化

2021年06月29日 11:01  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 秋田県北秋田市阿仁地区のマタギたちの猟の様子や生活風景を収録した『マタギ 矛盾なき労働と食文化』と、熊や兎などの獣肉や山菜・キノコ、渓流魚など、マタギたちが実際に食する阿仁の伝統食を紹介した『マタギとは山の恵みをいただく者なり』(共にエイ出版社)を合本して一冊にまとめた『ヤマケイ文庫 完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』(山と渓谷社)。


 著者の田中康弘氏は、15年以上にわたり阿仁地区のマタギたちの猟や生活風景を取材してきたカメラマンだ。白銀の世界で行われる鬼気迫る猟の様子やマタギたちの豊かな食生活、さらには彼らの温かな人間模様までを、丁寧な筆致と豊富な写真で伝えている。


 映画や小説において、度々モチーフとなる”マタギ”だが、実際に彼らが何者で、何を食べ、何を思い生活をしているのか、詳細を語れる人は少ないように思う。そんなミステリアスなイメージに包まれた”マタギ”の生活に詳しい田中氏にマタギの文化・慣習について話を聞いた。(編集部)


マタギ発祥の地といわれる根子集落
マタギとは何者か?

ーー田中さんがマタギに興味を抱いて、取材を始めたのはいつからなのでしょう?


田中:1992年ですね。以来、15年以上にわたって秋田県北秋田郡阿仁町のマタギ文化の取材をしてきました。


ーーなるほど。そもそもマタギとはどういった人々なのでしょう?


田中:一般的な定義として、マタギとは「北東北から長野県北部の集落にいる山猟師」とされています。ただマタギというのは不思議な世界で、歴史的な資料として価値のある文献がほとんどなく、学術的に調べることができないんです。


 そこで一番重要なのは「マタギ」という名称です。それ自体も幕末ぐらいに生まれた言葉なんですが、阿仁がマタギという言葉の発祥地であることはわかっています。阿仁の猟師たちが各地に遠征し、別の場所に住み着く。そうした場所がマタギの集落になっています。一番北の集落は下北半島の畑集落。対して一番南の集落は長野県の秋山郷というところです。


 また、マタギが各地に遠征し山人たちにマタギの技術を伝え、さらにその山人たちがマタギと名乗り、また他所に遠征してその土地に根付くということもあります。私が取材したなかで知っているのは、富山県の羽生という集落で、そこの人は「マタギに猟を教えてもらった一番南の人間だ」と言っています。


 でもこういった話は研究者からは聞いたことがありません。それはつまり文献や資料がないからなんです。


 なので実は「マタギとは何か?」という問い自体が厄介です。正直な話、私は「マタギとは何か?」という問いには答えられないですね。北は秋田、南は西表島、行った先の土地で猟師に話を聞いてみると、彼らの技術というのはごく当たり前の猟師の作法であって、マタギ独特のものは、逆にほとんどないという結論に行き着きました。


 例えば「マタギ装束」と呼ばれるものがありますが、あの格好は山人共通の物です。山仕事をしている人はみんなあの格好なんです。それから、狩猟で得た獲物を平等に分ける文化・慣習で「マタギ勘定」という言葉があるんですけど、これはイヌイットの人々にも同じ慣習があります。なのでマタギ勘定はマタギだけのものじゃないんですね。


 あとマタギの話をするときに一番話題になる『山達根本の巻物』。マタギの由来と権威を記した秘伝書で、昔は狩りで山に入るときは必ず身に付けたとされていますが、さっきも少しお話ししたように歴史的な価値がないというのが定説なんですよ。『山達根本の巻物』は、自分たちがこういう出自の人間であるとか、天皇からこの地域の魚はこれだけ獲っていいというお墨付きをもらっているんだ、ということを書き記した河原巻物の一種です。


『山達根本の巻物』


 瀬戸内海の漁師もそういうものは持ってるわけで、珍しい物ではないんですね。なので河原巻物としての研究は成立しますが、史実ではないのです。


 みんな「マタギは特殊な狩猟集団」というような言説が好きなんですが、マタギだって日本の普通の山人なんですよね。ただその一方でマタギの特殊性もあります。それは彼らが「マタギ」という言葉を作り出し、セルフブランディングしてきたこと。マタギは「俺たちはハンターじゃねえ、マタギだ」とみんなが言うわけです。マタギを名乗ることで、マタギとしてのアイデンティティを確立してきました。


マタギはセルプロデュースがうまかった

ーー他の山人と違って、セルフプロデュースがうまかったということですね。


田中:そうですね。でもそういうことができるだけ幸せだなと思います。マタギといっても、みんながみんな猟をやっていたわけではない。でも獲物が獲れると、猟に参加していなくても、お礼に砂糖を持って行ったりして、肉を分けて貰えたりするんです。そういう経験がみんなあるし、獲った獲物を解体して、それをみんな見てから食べるわけじゃないですか。そうやってマタギとしてのアイデンティティが育つ。マタギを語るうえで、そういった慣習が重要なんだけど、今の時代はそういった慣習が少なくなってきています。


ーーマタギが特別、猟に秀でているわけでもなかったんですか?


田中:それはないと思います。やはり大事なのは「マタギ」という名前。名前があってこそ、共同体の認識も生まれるし、外部の人たちが、マタギに何かストーリー性をもたせることが簡単になります。そうすると、自分たちで何か広報をしなくても、周りがメディア化してくれるじゃないですか。


 近代化の波にのまれるマタギ社会のゆるやかな崩壊を描いて直木賞を受賞した、志茂田景樹さんの『黄色い牙』という作品がありますが、それをもとに映画が作られたり、漫画化されたり、再生産を定期的にやるわけです。そうすることで「マタギ」という名前が売れる。みんなマタギについてよくは知らないけど、マタギという言葉と、北の方で猟をやっている人ぐらいの認識はある。そういう風に名称を多くの人に覚えてもらって、イメージが浮かぶというのは、マタギの特殊性だと思います。


マタギの猟について

ーーマタギと同行する中で印象に残っている猟はありますか。


猟の様子

田中:どれも印象深いですが、冬の猟は思い出に残っています。何mも雪が降り積もった山に入っていくっていうのは想像以上に大変ですが、あんなに面白いことはなかったです。雪がたくさん降るときというのは、天気が目まぐるしく変わります。吹雪いたかと思ったら、パッと日が照ったり、ピタッと風が止んで、一瞬静寂に包まれたり。無音の世界で、ジーっと兎を待つとかね。そういうのは普通の生活ではありえないことなので、すごく面白かったですね。あと熊猟はひたすらきつかった(笑)。


ーー熊は仕留めた後、おぶって下りることができないのでその場で解体するとか。


田中:60kgぐらいまでは担いで下りるって言うけど、それ以上になると難しいのでその場で解体しますね。


ーー写真で見ましたが、すごい迫力でした。


田中:そうですね。特に同行したときの熊は130kg級で大きかったので。でも阿仁周辺にいる熊だと平均50~60kgですね。100kg超えるというのは、あのあたりでは本当に少ない。


ーーなるほど。「ジャガク」と呼ばれる幻の漁も印象的でした。


田中:半凍結した川の中に雪を放り込んで、踏み固めて魚を追い込む漁法ですね。これは私が同席した漁で最後になってしまいました。なぜかというと、今は暖冬で川が凍らないので、その方法が通用しなくなってしまった。


氷の割れ目に雪を運んでは投げ入れる投げ入れた雪を感じきでしっかり踏み固める。これで作業の第一段階は完了。その後川下に下って魚の追い込みが始まるヤマメ(右)とハヤ(左)

ーー環境の変化に伴って、貴重な漁の文化が失われてしまったんですね。魚の数も減少しているという話でした。雪が降らないと猟にも影響があるんですか?


田中:特に春の有害駆除で実施する熊猟で影響が出ます。毎年5月の半ばに実施するんですが、もう雪は溶けて新緑が芽吹いている。昔だったら雪は残っているし、木々が芽吹いていないから遠くがよく見えて、狩猟に最適なんです。ところが今はもう雪がないし芽吹いてるから、熊の姿が見えません。特に熊の場合、巻狩りをやるには、たくさんの人手が必要なのに対して、人が集まらないので、猟ができなくなってしまっています。


山は天然のフードストッカー

ーー本書はマタギの文化に迫った内容だけではなく、グルメ本としても魅力的です。山菜から始まり、キノコ類、マイタケ、なめこ、しめじ……さらに兎、熊、そしてマスなどの魚。ありとあらゆる食材の宝庫が山に詰まっているんだなと思いました。


田中:山はいわゆる天然のフードストッカーでして、そこに人が住んでるようなものだと。マタギやその家族は、どこに行けばどういう食べ物があるかというのを熟知しているので、冷蔵庫を開いて食材を手に取るみたいな感覚なわけです。


ーー山が巨大な貯蓄庫というわけですね。


田中:そうですね。マタギはその中でも一番難しい猟を行う。もちろん熊だけではなく、ウサギなど小さい獣も狩猟の対象です。昔は子供も学校行く前に罠を仕掛けて、罠にかかった獲物を焼いておやつの代わりに食べたりしていたみたいです。


ーーマタギというと狩猟のイメージが強いですが、川釣りも達人のようですね。


田中:毒猟と言って、昔は毒撒いて魚を獲っていました。昔はたくさんサクラマスが川を上ってきていたようです。


ーー阿仁には本当に豊かな食文化が詰まっているんですね。


田中:本当にそう。ただ食文化というの受け継がれていくものだから、途切れてしまうともうダメなんです。昔のように山での作法を教えてくれる人がいないので、今の子供たちは山に入っていくこともしません。移住してくる若い人もいて地元の人たちに教わって、ある程度はできるようになるんですけど、難しいですね。


ーー肉の種類によって、調理法が変わるというのも面白いですね。兎は内臓も骨も全部鍋に入れて食べるとか。


田中:そうですね、全部入れます。それもまた地区によって少し差がある。いわゆる阿仁町の人たちは兎を食べるとき、内臓を基本的に捨ててしまうんだけど、大阿仁と呼ばれる地域の人は内臓入れて食べます。


ーー腸に詰まっているフンのエキス入れるという衝撃的な話もありました。


田中:そうそう。それも人によってやり方が違って、簡単に腸からフンをシュッって絞り出すだけで、そのまま入れて食べてしまう人もいれば、中をよく水で洗ってきれいにして食べるという人もいる。


兎100%の煮込み料理


ーー阿仁は過疎化が進んでしまって、あと20年すれば、熊を撃てる人がいなくなるという話がありましたが、現在の状況はいかがですか?


田中:もうそれに近い状態です。今現役のマタギは3人ぐらいしかいないのかな。免許は持っているけど実際は猟に行ってない人が多い。自治体から補助金も出ますし、若い継承者を探す取り組みはしているんですけど、なかなか増えないのが現状です。


 ただ現在、日本全体として狩猟免許持っている人は増えているんです。そのせいで地域差はありますが鹿、猪の個体数は減ったと聞きます。有害駆除という名目で、実質一年中猟ができるようになったのも要因として挙げられますね。長野県のとある村では補助金として、1頭につき、2万8000円ぐらい支払われます。自治体によって地域差はありますが、補助金の額が1頭につき1万5000円ぐらいになってくると、狩猟が活発になるんですね。狩猟で200万稼いだ人もいますよ。ただ、そうなってしまうと鹿や猪の個体数がすごい減ってしまうわけです。適切な個体数を維持することということは、なかなか難しいのかもしれません。


■書籍情報
『ヤマケイ文庫 完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』
著者:田中康弘
出版社:山と渓谷社
定価:1045円
発売日:発売中