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『うらみちお兄さん』は現代人の救世主? 子どもドン引きな“大人の闇”に背中を押される理由

2021年06月28日 11:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『うらみちお兄さん(6)』

 どんな人にもきっと、努力がなかなか報われずに「苦しい」「しんどい」「逃げ出したい」と吐き出したくなる時があると思う。ただこれらのネガティブな感情は、愚痴や不満と捉えられ、逆に責められることも少なくない。ネガティブな本音に蓋をする人もいるだろう。


 しかし、人にはそんな“心の奥にある闇”をただ吐き出す瞬間も必要だと感じさせてくれる漫画がある。『うらみちお兄さん』(久世岳/一迅社)だ。「第3回 次にくるマンガ大賞」Webマンガ部門と「WEBマンガ総選挙2017」インディーズ部門で第1位を獲得。最新6巻が刊行された2021年6月時点での累計発行部数は150万部を突破し、7月からはテレビアニメの放送も始まる。


関連:【画像】『うらみちお兄さん(1)』表紙


■子どもにも包み隠さない大人、表田裏道


 教育番組「ママンとトゥギャザー」の体操のお兄さん“うらみちお兄さん”こと、表田裏道(おもたうらみち)。キラッキラな笑顔を振りまく姿からは、体操のお兄さんに選ばれるべくして選ばれた好青年っぷりが伝わってくる。


 そんな主人公にふさわしい人物に見える彼だが、その実態は子どもたちに見せるのをためらってしまうような“現代人の闇”を抱えた大人だ。その目からは生気が失われ、瞳孔の奥には漆黒の闇が広がっている。


 それも無理はない。うらみちお兄さんには日々、目も当てられない数々の理不尽が降りかかるからだ。


 共演者から目を背けられるほど強烈な衣装。「エンドレス猛暑」という曲にもかかわらず、真冬に敢行されるミュージックビデオロケ。“強制参加”というルビが見える、慰安旅行。突然持ち込まれる、仕事という名の無茶振り……。これら元凶のほとんどは、目上の人間の指示であり、社会の序列である。意味が理解できなかろうと従わなければならない理不尽の数々に、うらみちお兄さんは心を殺し向き合い続けている。


 そんな彼に追い打ちをかけるのが、子どもたちの屈託のない正論や疑問だ。大人は、純粋な子どもの質問が自分たちにとって回答しにくいものだった場合、とりあえずその場しのぎのきれいごとで返すことも少なくないと思う。


“しんどい 辛い 何もしたくないって人 
は―――い…………お兄さんだけか…”
(『うらみちお兄さん』1巻第1話より引用)


“みんなにも将来どうしても元気が出ない日がきっとあるはずだけど そんな日に押し付けられる「ポジティヴ」という聞こえのいい 言葉の皮を被った「現実逃避」「責任放棄」 そんなものに惑わされてはいけないよ…”
(『うらみちお兄さん』1巻第2話より引用)


 しかしうらみちお兄さんは、子どもたちの表情に陰りが見えようとお構いなしに、“等身大の大人”のままぶつかっていく。


 現代人の闇を垣間見せるというよりダダ漏れにしているうらみちお兄さんは正直、褒められた大人ではないようにも思える。ただ不思議と彼には、現代人の心を救うヒーローのような感覚を覚えるのだ。


■うらみちお兄さんの闇とともに伝わってくるもの


 理不尽なことや納得いかないことを、望んで受け入れる人はいないだろう。おかしいと思ったことに対して、声をあげることが大切だということも分かっている。しかし大人の世界ではそれをしてしまうと、めんどくさい人間のレッテルを貼られてしまうことも珍しくない。場の空気を乱すようなことは避けたほうがいいと、納得いかないことに目をつぶる場面も多かれ少なかれあるだろう。この判断が大人としての正しい振る舞い、強さだという風潮も、まだまだ残っていると思う。


 本作はそんな、理不尽な世界に揉まれながらも毎日を必死に生きる「大人たちのリアル」をありありと描く。うらみちお兄さんが大人の生々しい闇を包み隠さず吐き出すのは、しんどいことだらけの世界を生き抜く彼なりの処世術なのだ。


 ただ彼の闇からは、陰うつな印象を受けない。その理由はきっと、“教育番組に出演する人々の日常”という一般の人からは遠い世界で起こるコメディとして昇華されているからだろう。


 子どもたちに夢や希望を与えることを期待される体操のお兄さんが、情けない大人の一面を堂々とさらけ出している……。その姿からは、「しんどいと感じる度合いは、人それぞれ」「苦しさもまた、あなただけの感情だ」といった、自分のネガティブな本音をまずは受け止めることの大切さが伝わってくるようだ。


■極限まで焦がした鍋の底みたいな目をした救世主


 子どもにもネガティブな感情を包み隠さないうらみちお兄さんは、大人としては望ましくないのかもしれない。しかし彼は、周りへの影響を考えてネガティブな本音をうまく吐き出せず生きづらさを感じている人たちの、よき代弁者、理解者となってくれる。彼が漏らす闇にクスリと笑えるのはきっと、「自分が普段思っていることをはっきりと言ってくれた」という快感と、「分かってくれる人がここにいる」という安心感があるからだ。


 もちろんこの快感や安心感は気休めであり、苦しみの根本的解決にはならないだろう。ただ本作で得られる一時の安らぎには、気心の知れた仲間と「しんどいよね」「やってられないよね」と語り合って、心が少し軽くなるのと似たものがあると思うのだ。


 『うらみちお兄さん』は、理不尽な世界で一生懸命生きる人たちにとっての、一時的な休憩・避難場所のような一冊だ。他に類を見ない“極限まで焦がした鍋の底みたいな目をした救世主”はきっと、読者の「しんどい」「辛い」も一緒に吐き出し、笑いに昇華してくれる。


■クリス
福岡県在住のフリーライター。企業の採用やPRコンテンツ記事を中心に執筆。ブログでは、趣味のアニメや漫画の感想文を書いている。