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『東京卍リベンジャーズ』なぜ先輩を〝君付け〟で呼ぶ? 不良社会の人間関係を考察

2021年06月24日 10:01  リアルサウンド

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 『東京卍リベンジャーズ』(和久井健/講談社)の人気が爆発中だ。原作漫画『東京卍リベンジャーズ』は累計発行部数2000万部を突破(6月3日、公式Twitter発表)、アニメ版『東京リベンジャーズ』(テレビ東京系)も各種動画配信サービスで人気上位を席巻し、7月9日には実写映画『東京リベンジャーズ』の公開も控えるなど、その勢いは止まることを知らない。


参考:『東京卍リベンジャーズ』マイキー、なぜ圧倒的なカリスマ性? 奔放な個性を探る


 ヤンキー漫画にタイムリープというSF設定を組み込んだ斬新な設定が本作の面白さのポイントだが、気になるのは、主人公の花垣武道をはじめ登場人物たちが先輩の不良を〝君付け〟で呼んでいること。『ろくでなしBLUES』(森田まさのり/集英社)や『クローズ』(高橋ヒロシ/秋田書店)といったヤンキー漫画に親しんだ世代には、少し不思議に感じる習わしではないだろうか。


 武道がマイキーら先輩を「マイキー君」などと呼ぶのには、いったいどんな理由があるのか。『ルポ 川崎』(サイゾー)や『令和元年のテロリズム』(新潮社)の著者であり、ヤンキー文化に詳しいライターの磯部涼氏に聞いた。


「本作に登場する東京卍會のモデルは、2010年前後に様々な暴力事件に関わって世間を震撼させた、暴走族OBからなる半グレ集団でしょう。同集団の主要メンバーが暴走族として活動していたのは90年代後半まで。東卍(トーマン)の転換期は2005年で、武道はそこに2017年からタイムリープすることで未来を変えようとしますが、12年を経て東卍が社会的影響力を持つ存在になっていることを考えると、彼らと件の集団はちょうど同じような道を歩んでいることが分かります。


 一方、不良で〝君付け〟というとまずはいわゆる〝チーマー〟が思い浮かびます。80年代半ばに都内の私立高校から始まったチーム文化は、従来の暴走族のようにひとつの地元を拠点にするのではなく、私立高校の性格上、様々な地元から越境してきた若者たちの集合体でした。だからこそまずは渋谷のようなターミナルが活動場所となります。そして、暴走族は一つの地元に根ざしていたからこそ内部に強固な上下関係があって、年上に対しては〝さん付け〟が基本でしたが、初期のチーマー文化はそのような縛りから比較的自由でフラットな関係性を築いており、また、旧世代である暴走族文化の慣習を古臭いと感じていたからこそ、積極的に〝君付け〟を使うようになったのではないでしょうか」


 では、その半グレ集団が、チーマーたちと同じように〝君付け〟を使うようになったのはなぜだろうか。


「件の半グレ集団はチーマー文化のカウンターとして台頭しました。元幹部が書いて話題になった書籍では、当時、チーマーをチャラいものとして嫌悪し、〝チーマー狩り〟を行なっていたと振り返られていますし、1996年、クリスマス・イヴで賑わう渋谷センター街を、パンチパーマに鉢巻きを締め、上半身裸に特攻服を羽織り、雪駄を履いて練り歩くと人混みがモーゼの十戒のように割れていくというシーンは、言わば彼らの活動が暴走族ルネサンスであったことを象徴しています。


 ただし、件の集団には敵対していたチーマーとの同時代性もあって、例えば母体となった暴走族チームの旧世代とは関係性が断絶していたことを強調していますし、その後、チーマーと同様に音楽やファッションといったサブカルチャーと密接に結びついていきます。そして内部では〝君付け〟が積極的に使われていたようです。オーセンティックでありながらモダンな東卍のイメージはやはり件の集団がもとになっているのでしょう」


 しかし、武道たちが〝君付け〟を使うことが、本当の意味で並列な関係を表しているかというと、チーマーも件の半グレ集団も然り、必ずしもそうではないと磯部氏は続ける。


「東卍でも、〝君付け〟で呼ばれる総長のマイキーや副総長のドラケンが後輩と同等かと言うと全然そんなことはなくて、むしろめちゃくちゃ上下関係がありますよね。そもそも、不良の〝君付け〟は主に後輩から先輩に対して行われるもので、逆の場合は〝呼び付け〟が基本です。〝さん付け〟が親しみやすさを演出できる〝君付け〟に置き換わっただけとも言えるし、それによって隠蔽される上下関係があると思います。件の集団の関連書籍を読んでいても、先輩を〝君付け〟で呼びながら何処か緊張感があるんですよね。もしくは、武道が先輩のマイキーから〝タケミっち〟と〝呼び付け〟でも〝君付け〟でもなくあだ名で呼ばれるのは、タイムリープによって時間軸も上下関係も移動可能な浮いた存在であることを表しています」


 ちなみに、名の知れた不良を、対して知り合いでもない人物が〝君付け〟で呼ぶことも、ヤンキー文化圏ではしばしば見られる光景だという。「不良辞典」の異名を持つ、武道の同級生である〝溝中五人衆〟の山岸一司が、単行本5巻で武道に対して不良界の勢力図を解説するシーンは、その意味でリアルだ。


「2010年頃、青年マンガ誌の別冊としてつくられたチーマー史を総括するムックから寄稿を以来された際、編集の方に『今時、チーマーの本なんて誰が読むんですか?』と訊いたら、『ネットでバトル・マンガを考察するような感じで盛り上がってるんですよ。〝最強のチーマーは誰か?〟みたいな』という答えが返ってきて、なるほどと思いました。件の半グレ集団にしても、相関図をつくったり、強さをランク付けした記事が幾らでも見つかる。そういった不良キャラクター消費の中で、自分がその文化に詳しいことをアピールするため、面識がないのにも関わらずプレイヤーを親しげに〝君付け〟で呼ぶことはままありますね」


 いずれにしても、『東京卍リベンジャーズ』における〝君付け〟には、同作をさらに楽しむヒントがありそうだ。


「ヤンキーマンガの面白さは、登場人物の関係の複雑さにこそあります。『東京卍リベンジャーズ』では、例えば〝君付け〟の親しげな雰囲気によって上下関係やいがみ合いが隠蔽され、むしろ読者の深読みを誘う。また、そこにタイムリープという要素が加わることによって、関係が何度もリセットされたり、拗れたり、更に複雑になっていく。そもそも日本語社会には、人称や敬語の多様さ、それに〝君付け〟や〝さん付け〟で人間関係をややこしくしていくようなところがあって、そのコミュニケーションは当然ストレスを感じさせるのですが、だからこそ人々はエンタテインメントを通して昇華しようとするのかもしれません」


 会社の先輩や上司を〝君付け〟で呼ぶことを想像しながら読むと、たしかにますますスリリングな作品として読めそうだ。