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映画シリーズ化で注目『ザ・ファブル』 “最強の殺し屋”が主人公である意味とは?

2021年06月21日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 南勝久先生の傑作『ザ・ファブル』が、この7月からとうとう連載再開となるという。まことにめでたい限り、南ファンとしては祝杯をあげたいくらいだ。また、タイミングを合わせて原作の「ウツボ編」を題材にした映画版二作目も公開になるとか。いや~めでたい、めでたいな~!


■「最強の殺し屋」が主人公である意味


 『ザ・ファブル』は、南先生の長編第2作である。2000年から14年をかけて連載された前作『ナニワトモアレ』および『なにわ友あれ』は、実際に平成初頭に環状族として阪神高速を走り回っていた南先生の前半生全てをつぎ込んだ作品であり、べらぼうに面白い上に「全精力を傾けて描いてるな~!」ということが強く伝わってくる作品だった。そんな作品を描き上げた後、南先生はどうなっちゃうのか、果たしてまだ漫画を描く気があるのか。ファンとしては非常に心配になっちゃうくらい、精魂込めていることが伝わってくる作品だったのである。


 そんな南先生が長編第2作のネタに選んだのは、一風変わった殺し屋の物語だった。主人公は本名すらよくわからない、「ファブル(寓話)」というあだ名で呼ばれる天才的殺し屋。ボスから「1年間は仕事を休み、誰も殺さず一般人として生活しろ」と指令を受けた彼は「佐藤明」という偽名を名乗り、「妹の佐藤洋子」という設定を与えられたサポート役の女と共に、組織の知り合いのヤクザを頼って大阪で暮らし始めることになる。


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 佐藤は天才的な殺し屋であり、劇中最強の人物である。道具や場所を選ばずターゲットを確実に殺す訓練を受けており、さらにそれだけの能力を持っていることを完全に隠して一般社会に紛れ込むことができる。その割に感情表現に乏しく、何を考えているかわからない。とにかく普通に一年過ごさなくてはならない佐藤だが、その身辺には様々なトラブルが発生する。誰も殺さず、しかし殺しのプロとしての能力を活かしてトラブルを乗り越えるうちに、佐藤は徐々に人間らしい心理や振る舞いを学んでいく。


 1巻が発売されてこの設定を理解したところで、おれは南先生の意図を強く理解し、「なるほど~!」と膝を打った。特に素晴らしいのは、主人公の佐藤が劇中最強だという点である。超人的な身体能力を持ち、方法も相手も問わず6秒以内に敵を倒すという佐藤のキャラクターは、南作品との相性が抜群にいい。やはり南先生は、自分の強みを完璧に理解していらっしゃる……。


 なぜ「主人公が作中最強である」という点が南先生の強みと結びついているのか。答えは簡単、それは南先生が「作中最強の人間」を描かせると抜群にうまくて面白いからである。前作『ナニトモ』でも、ゼンちゃんという作中最強の男が設定されていた。ゼンちゃんはとにかく強烈に強い。殴られようが蹴られようが並の環状族が相手ではビクともせず、必殺の張り手一発で相手を叩きのめす。「自分の前世はティラノサウルス」と豪語し、からあげクンのレッドとトマトジュースをこよなく愛する、怪獣のような男である。


 ゼンちゃんは『ナニトモ』の主人公グッさんが所属するチームのメンバーだが、主人公そのものではない。しかし、出てくるたびに完全に主役を食った。盗難車の密売グループを壊滅させてシビックを奪い、「環状一ヶ月戦争編」ではゼンちゃんだけを集中して狙う集団まで現れたが、全く歯が立たなかった。


 いつしか「ゼンちゃんが登場する」「ゼンちゃんが張り手を見舞う」たびに強烈なタメが発生するようになり、ゼンちゃんが出てくるだけで漫画にグルーヴが生まれるようになった。『ナニトモ』ではそれ以外にもケンカ自慢の環状族が大量に登場するが、ゼンちゃんの最強ぶりを描く際には南先生の筆は特に冴えを見せ、ついに完結までゼンちゃんを倒す男は現れなかった。「劇中最強の男」をリアルに描かせたら、南先生は抜群にうまい。これは『ナニトモ』で充分証明されていたのだ。


 そんな最強描写に定評のある南先生が、「最強の男」本人を主人公にした漫画を描く。しかし最強の男がガンガン人間をぶちのめしてそれで終わりではちっとも面白くない。なので佐藤には「実弾を発射する火器を持てない」「人を殺せない」「ターゲットを殺すのではなく、自分の身の回りの人を守らなくてはならない」という枷がつけられている。


 「佐藤本人は作中最強なので特にピンチではないが、周りの人がすげ~ピンチ」という状態を作り出すことで、この枷がビンビンに効いてくる。枷があることで「この先どうなるんだろう」というスリルと「佐藤~早くリミッターを外して戦ってくれ~!」という焦らし、そしていざ佐藤が本気を出した際の「待ってました!!」というカタルシスが生まれるのだ。抜群の漫画のうまさである。


■南先生は、暴力とその気配に対して真摯なのである


 さらに言えば、南先生の作風として「暴力と暴力の匂いのする男たちに対して真摯である」という点もある。それは作中における暴力の描き方が、『ナニトモ』と『ザ・ファブル』では大きく異なるところからもわかる。


 『ナニトモ』は環状族の漫画である。環状族はケンカの合間に環状で走っているような集団なので、当然殴り合いのシーンも多い。が、『ファブル』では『ナニトモ』の暴力シーンとは描き方が大きく異なる。『ナニトモ』の環状族が相手を殴る時の腕の動きははっきりした線で目に見えるように描かれているが、『ファブル』で佐藤や組織の殺し屋たちが格闘するときは、何か動きがあったことを示すガサッとした黒い線でモーションが表現される。彼らの動きは、肉眼でははっきり見えないくらい速いのだ。


 これは、ケンカには慣れていても本質的には暴力の素人である環状族の殴り合いと、人を殺す能力を持っている暴力のプロたちのテクニカルな格闘とを意図的に描き分けるためだと思われる。「プロ」という単語は『ファブル』にも繰り返し登場し、佐藤は「自分がプロであること」に強い執着を示す。そういった内容の漫画である以上、プロフェッショナルの動きやテクニックが素人やそのへんのヤクザと同じであっていいはずがない。実際に『ファブル』にはゴロツキやチンピラも登場するが、彼らの動きと組織の殺し屋たちの動きが全く異なるものであることは、劇中で繰り返し描写されている。


 さらに言えば、これらのゴロツキやチンピラの見た目や服装に対する真摯さも強烈である。序盤で佐藤をボコるも意外にいい奴だったキックボクシングのチャンピオン(余談だが、南先生は「本格的に格闘技をやっていた奴はチンピラでも話が通じる/善意で動くこともある」という描写が案外好きである。『なに友』のベンキ編に出てきたスズとか)とか、山岡一味に脅かされて雑用係にされてしまった地下格闘家とか、服装や髪型がいちいち「あ~わかるわ~」というディテールなのが嬉しい。登場人物の造形自体が、暴力の気配に満ちている。実際に環状族だった経験とそれを表現する画力がなければ、表現できないポイントである。


 これら登場人物に漂う濃厚な暴力の気配と、実際の暴力シーンの演出があるからこそ、逆説的に「一般人に擬態することができる」という佐藤の能力が強みとして立ち上がってくる点が本当にうまい。暴力の気配を消すことができるが実は最強の男である主人公を描くためには、まず暴力の気配が漂う人間たちをしっかり描写することが必要なのだ。このポイントをきっちりクリアしているからこそ、佐藤の強さが際立って印象に刻まれるのである。ゼンちゃんの描写で磨かれた、「最強の男」を描くテクニックの進化系といってもいいだろう。


 というわけで、『ザ・ファブル』がいかに暴力とその気配について敏感かつ真摯な作品であるか、わかっていただけただろうか。最強をいかに面白くカッコよく説得力をもって描写するか、プロフェッショナルと一般人をいかに描き分けるか……。環状族のケンカと青春を散々描いた後にこれだけ密度感のある挑戦を続ける南先生には、改めて脱帽である。映画が入り口でも、もうなんでも構わない。ぜひとも『ナニトモ』シリーズと『ザ・ファブル』を通読して、強さと暴力に対する解像度の高さに震えていただきたい。


(文=しげる)