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私の名作 第4回 大島弓子「ロスト ハウス」

2021年06月19日 12:32  コミックナタリー

コミックナタリー

「ロスト ハウス」
マンガ好きなら誰しも、心の中に“自分だけの名作”を持っているはず。誰かが特別に思ったその作品は、ほかの誰かにとっても特別なものになりうるのではないだろうか。

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そんな考えから、人一倍マンガを読み、また紹介してきたであろう人々に、とりわけ思い入れのある1作を選んで紹介してもらっているこのコラム。第4回ではマンガライターの横井周子氏が、大島弓子の短編「ロスト ハウス」について綴ってくれた。

文 / 横井周子

■ 誰かに貸そうとかおしゃべりしたいとか、全然思わなかった
大島弓子のマンガは特別な存在だ。

初めて彼女の作品を読んだのは、家の本棚で見つけた「雨の音がきこえる」(1972年発表)だったと思う。大島さん自身は選集のあとがきで「ステロタイプマンガ」と一言ですませている作品だが、7歳の私はこのマンガで初めて、フィクションによって泣いた。「ラ・レッセーイデン」とフランス語風のサブタイトルがついた「雨の音がきこえる」は、実はそのまんま劣性遺伝(ダジャレ……)のコンプレックスに悩む主人公の物語だ。皿を洗えばお茶碗を割る。なんというか「できない」女の子の日常が、大島弓子の手にかかると洒脱になる。饒舌なネーム、華奢さと粗さを兼ね備えた線、描き込まれた木々が醸し出す空気。品とユーモアをたたえつつも、主人公の抱える痛みはリアルで、心が震えた。自分のいる世界の見え方を変える方法をちょっとだけ教わった気がしたものだ。

母に叱られたり、ひどい点数の答案をこっそり捨てるたびに自分を「雨の音がきこえる」の主人公に置き換えて私は暮らし、本棚で次々見つけた大島弓子の作品にどっぷりはまった。そして誰にも大島弓子のことは話さなかった。80年代半ば、私はりぼん(集英社)やなかよし(講談社)のマンガも大好きで、友達と一緒に夢中になった。けれど、大島弓子のマンガについては誰かに貸そうとかおしゃべりしたいとかは全然思わなかった。不思議なことに。

時は流れ、高校生の時に新刊として出会ったのが「ロスト ハウス」だ。後追いの読者だった私は、この時初めて大島弓子のタイムラインに合流できた。そしてこれがまた、人生を通して何度も読み返すことになるすごい短編だったのだ。

■ 「普通」という固定観念へのレジスタンス
主人公の大学生・エリは、いきなり1ページ目で言う。「すいません わたしこの世にすきなものってないんです」「さよなら」。

エリが世界に背を向けているのは、心の解放区を失くしてしまったから。

幼い頃、エリはマンションの隣人である新聞記者の家が好きだった。きちんとした自分の家とは違い、記者の家のドアは開きっぱなしだし中はぐちゃぐちゃ。記者は「うちで遊んでもいいよ だけど服がよごれるよ」と言い、エリはそこで気ままな時間を過ごした。だが、恋人が事故死したことをきっかけに彼は消える。解放区のような家を失ったエリは真夜中に叫ぶようになり、叫び声を枕で消音しながら成長するが……。

ふう。あらすじを書きだすと、マンガの印象より重くドラマチックに感じて驚く。大島弓子のマンガって、痛い棘や傷について、一見そういう話だとは気づかせない不思議な軽やかさで「こういうことがあってね」と語りだし、しかも絶対に出口まで連れていってくれるところがある。だから未読の方も構えないでほしい。

「ロスト ハウス」は1994年、大人の女性向けのマンガ雑誌・ヤングロゼ(角川書店)で発表された。「雨の音がきこえる」のような70年代の作品と比べて、画面は白く、表現はそぎ落とされている。ユーモアまじりの詩的なネームはそのままだが、エリが生きているだけで窒息しそうな理由も細かくは語られない。

ただ、いつも鍵の開いた、しかも大変散らかった他人の部屋を解放区と呼ぶエリの姿からは、社会の中で「こうあるべき」と設定された暗黙のルールに対する疑問が浮かび上がってくる。私たちが、さしたる理由もなく縛られている「普通」という固定観念へのレジスタンス。たとえば本作に出てくるエピソードで、この部分は今読むとしんどいのだが、女性が男性一人暮らしの部屋に行っただけで誘っていることになるとかも……そんなのはくそくらえだ。

■ 大事件は起きない。でも、世界の見え方はひっくり返る
「ロスト ハウス」のラスト数ページ、新聞記者のその後がわかり、物語は急展開する。くわしくはぜひマンガを読んでみてほしい。大事件は起きない。だが、世界の見え方は鮮やかにひっくり返る。「この世界のどこでも どろまみれになっても 思いきりこの世界で遊んでもいいのだ」。風薫る季節の空気とともに、すばらしい解放感がやってくるはずだ。

温度、湿度、音、匂い、触感……どれも紙の上にのせられないはずのものだが、名作と呼ばれるマンガは必ずそれらをまとっている。「ロスト ハウス」のラストシーンがまさにそうだ。もうひとつ、記者の恋人がエリにお茶を差し出すシーンも好きだ。ティーカップの上に湯気がのぼり、自由な時間のかけがえのなさが伝わってくる。

何かに行きづまった時、「ロスト ハウス」を読み返しては、私たちは自分のルールでもって生きていいというあたりまえのことを確認する。誰かとうまく話せない感情を分かち合い、読者を外に連れ出してくれる稀有な作品だ。そっと置かれた紅茶のように、このマンガが、必要とする誰かにこれからも届くことを願ってやまない。