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所持金ゼロ、高熱でも宿泊拒否できず 前時代的な旅館業法の問題点【永山久徳の宿泊業界インサイダー】

2021年06月16日 12:31  TRAICY

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新型コロナウイルス感染症による激変にさらされている宿泊業界で、宿泊事業者の規制の根本となっている旅館業法の前時代的な内容が再度クローズアップされている。普段、利用者には意識されることない旅館業法について何が問題なのか、特に論点となっている2点について整理しておきたい。

第5条、宿泊拒否の禁止

第5条 営業者は、左の各号の一に該当する場合を除いては、宿泊を拒んではならない。

一 宿泊しようとする者が伝染病の疾病にかかっていると明らかに認められるとき。

二 宿泊しようとする者がとばく、その他の違法行為又は風紀を乱す行為をする虞があると認められるとき。

三 宿泊施設に余裕がないときその他都道府県が条例で定める事由があるとき。

この条文の存在により、高熱を発した予約客が来館しても「単なる発熱だけでは伝染病にかかっているとは認められない」ため、宿泊を断ることはできない。レストラン、物販、劇場、旅客運輸などほぼあらゆる業種が入店を拒否できるにもかかわらずだ。厚生労働省もこの条文の存在を重く見ており、わざわざ都道府県に対して「宿泊施設が単に発熱だけで宿泊拒否することの無いように再度指導すること」という主旨の文書を出しているし、宿泊施設に対しては「発熱者が来館した場合、丁寧な説明と本人の了解のもと、拒否ではなく自主的に辞退してもらうように」と受け取れる意味合いの通達をしている。

つまり、「コロナ禍においても旅館業法は絶対的なものだ」ということを再確認しているのだ。

この第5条はその他にも幅広い解釈が可能で、これまでにも「玄関まで来た客が一文無しでもとりあえず宿泊させなければならない」「バリアフリーが整っておらず、非常時に危険な施設であっても障碍者の宿泊を断ってはならない」など、”NOと言えない宿泊施設”であることを知った上で、故意にトラブルを引き起こす利用者も後を絶たず、業界の大きなストレスとなってきた。

例えば、この条文の解釈次第では予約客が存在する以上休館は許されず、施設や従業員に何が起ころうと宿泊させなければならないことになってしまう。災害時にJRや航空便が早々に運休や欠航を決定しても、宿泊施設は来るか来ないかわからない予約客のために危険を冒してスタッフを出勤させなければならないという不合理が生じている。

緊急事態宣言により開店休業状態になってしまった宿泊施設の窮状を見兼ねて、厚生労働省も、「利用者が少なく営業が立ち行かない状況は『宿泊施設に余裕がないとき』と解釈できる」と苦しい理屈で予約客が少ないことによる休業を追認する旨通知をしたが、5条の存在が本質的な矛盾に満ちていることを自ら認めた構図となってしまった。

なぜこのような条文が存在しているのか。この旅館業法が施行された昭和23年における時代背景に理由がある。貧富の差も激しく、治安も今より格段に悪かった時代に、「懐を見ながら客を断るような宿泊施設は取り締まるべき」、「外見的な差別による宿泊拒否は禁止すべき」、「宿泊施設は困った人を率先して救護すべき」という考えが取り入れられたのは想像に難くない。当時の伝染病といえば、天然痘など外見でそれとわかるものが主だった。

しかし、現在では、例えば吹雪の中凍え死にそうな旅行者が玄関先まで来て助けを求めるケースがどれほどあるだろうか。予約しているにもかかわらず、身なりや客を追い返す差別的な対応を取る宿があるだろうか。戦後まもなくの時代とは異なり、宿泊施設以外でも24時間営業している店舗が存在し、緊急時に駆け込める施設も多くある。さらに障害者差別解消法やその他差別を解消するためのルールも網羅されている現在、旅館業法においてこのような独立した制限を設けている事による問題点が顕在化しているのは間違いない。

現代において、この条文に欠けているのは従業員や他の宿泊者の安全確保の概念と、利用者が定められた義務を果たさない時に宿泊拒否できる権限であろう。同じ宿泊施設で同じ時間を過ごす以上、従業員、宿泊者を問わず、公衆衛生上、保安上のルールを守る必要もあるからだ。そしてその権限は航空機における機長権限と同様に宿泊施設側が持つべきだ。いずれにしろこのままにしておくべき条文ではないのは明らかだと言える。

第6条、宿泊者名簿の設置

第6条 営業者は、厚生労働省令で定めるところにより旅館業の施設その他の厚生労働省令で定める場所に宿泊者名簿を備え、これに宿泊者の氏名、住所、職業その他の厚生労働省令で定める事項を記載し、都道府県知事の要求があつたときは、これを提出しなければならない。

宿泊者が宿泊時にいわゆる「宿泊台帳」の記載を求められるのはこの法律に基づいている。その他条例や細則により、事後の本人確認のため自筆を要求される事も多く、ほとんどの宿泊施設が遵守している。記載を求めるのは主に犯罪防止、食中毒や感染症発生時に速やかに該当者に連絡を取る目的であり、前述の5条と異なり、施行当時より社会的な重要性が増している条文である。しかしここにも問題点が多い。

まず、職業の記載などが今の時代に必要だろうか。そして、宿泊客が虚偽の記載をした時の責任の所在はどこにあるのだろうか。有名なケースとしては、一連のオウム真理教事件の捜査にあたり、宿泊施設における教団員の宿泊者名簿の虚偽記載を警察が別件逮捕の要件として利用した例があるが、余程の事が無い限り宿泊者が取り締まられるケースは無いだろう。問題なのは、宿泊施設側も逮捕の可能性があることだ。虚偽記載や記載不備があった場合、宿泊施設側も50万円以下の罰金に処される(第11条)。現行ルールでは宿泊施設は記載内容が正しいかどうか判断することはできない。一体利用者の職業をどうやって確認するのだろう。身分証明書の提示も義務付けられていないのに、氏名や住所が真正なものであるとどうやって判断するのだろう。つまり、実質的に違法状態であっても宿泊施設側にはどうすることもできないのだ。

外国人宿泊者はパスポートの提示と宿泊施設でのコピー保管が義務付けられているのに、日本人にはそのようなルールは無いため、身分証明書の提示を求めてもほとんどの利用者は応じないだろう。これでは犯罪者の追跡や食中毒、感染症の捕捉もできず、実効性はとても低い。偽名OKが常態化しているのでいわゆる泊まり逃げ、ノーショーなどの不正利用も防げない。

もっとも、来館時に限らず、宿泊予約時から利用者は偽名を使い放題だ。オンラインで予約をすれば、サイトによっては偽名どころか、メールアドレスや電話番号などの情報がすべて架空のものでも予約可能である。つまり宿泊施設は架空の人物と販売契約を結ぶことが常態化しているのだ。どんなECサイトであっても、氏名も住所も電話番号も架空のまま商品が届くことはあり得ないので、我々の業界がいかに特殊であるかがわかる。

言うまでも無く、宿泊予約という「契約」が完了した時点で、宿泊施設は商品である客室を予約者のためにブロックする。商品で言う「出荷」と同じだ。その出荷先が偽名、偽住所であることに疑問を抱かなかったのが宿泊業界を含む旅行業界なのである。

筆者は全般的に見て、旅館業法は不要もしくは緩和すべきだと考えているが、唯一強化が必要だと思うのは本人確認の義務化だ。宿泊者名簿の設置義務を、旅行業全体に対して本人確認義務に揃えることで様々な問題が解決する。Go To トラベルキャンペーンでは理論上全員の居住地確認が実施できたのだから、本人確認は実施可能なはずなのだ。

上記についてはいずれも私見であるため、業界には反対の声もあるだろうが、安全やコンプライアンスの概念が大きく変化している中で、宿泊業界の今後の健全な発展のために旅館業法の改正は避けて通れないことのひとつだ。

これらの問題点については、既に自民党観光立国調査会観光業に係る法制度のあり方に関するワーキングチームで検討が重ねられているので、一日も早い旅館業法の再構築に期待したい。そしてその時にはわれわれ宿泊業界側にもルールに精通し、権利と義務を行使できる執行者が必要となることも理解しておかなければならない。