コロナ禍によるテレワークの普及などで都市近郊へのプチ移住が注目を集めた。細谷雄太さん(仮名・31歳)も実際に新型コロナをひとつのきっかけに、生活の拠点を移した一人だ。
細谷さんは都心の一等地にオフィスを構える大手ウェブメディアの編集部を昨年12月に退職。現在は千葉県郊外で「ずっと興味があった」という農業に従事して、充実した毎日を送っているという。本当にやりたい仕事に就くまでの経緯を聞いた。
定額働かせ放題の出版社で鬱に
細谷さんは2014年に国立大の工学部を卒業。その後、全国にチェーン店を持つリサイクルショップに入社し、千葉県の店舗に配属された。
「同期の多くはメーカーに就職していましたね。自分も同じように研究職などを受けてみたりしたんですが、大学の研究室にいる時点で『社会人になってからも毎日これをやるのはちょっとな…』と思い、就活ではいろんな企業を受けました。新卒で入った会社は割と古めな体質で、泊まり込みで行われた新人研修では社長の著書を読んだり、社訓を絶叫したりしましたね」
配属された店舗の社員は店長と細谷さんのみ。店長はエリアマネージャーで外を飛び回っていたため、新卒でいきなり任される仕事も多かったようだ。
「残業代も含めて手取りは25万円ほどでした。家賃手当もあり、使う暇もなかったので貯金はできましたね。パートやバイトのスタッフとは仲良くやっていましたけど、休みもあまり取れず、何よりすさまじい勢いで同期が次々に辞めていったのがけっこうショックでした」
そんな折、細谷さんにも最初の転機が訪れた。出版社で働く中学時代の同級生の紹介で、とあるカルチャー誌の編集部に採用されることとなり、新卒で入った会社を1年弱で辞めて転職したという。
「昔から雑誌や本が好きだったこともあり声をかけてもらったんですが、いざ作る側になってみると想像を絶するほどハードでした。当時のブラックなエピソードだったら本当に何時間でも語れます。最年少の私は他の編集部員全員のサポート役みたいな感じで、マジで寝られなかったですし、仕事も遅かったんで全然帰れなかったです。会社に1週間泊まり込むこともザラで。朝から出社する人もいれば夕方に来て朝まで仕事する人もいて、入れ替わり立ち替わり手伝っていたので常に会社にいました」
中小出版社のあるあるだが、年俸300万円、手取り20万円前後の契約社員で定額働かせ放題の待遇。転職から1年半ほど経ったときに社内の別の編集部へ異動し正社員となったものの、労働環境は変わらなかったそうだ。
「おもしろい人も多くてなんだかんだ毎日笑って働いていましたが、結局3年が限界でした。先のことを考える余裕もなく、最後は『マジでもう無理』と思って辞めましたね。けっこう精神的にやられていて。病院こそ行きませんでしたが完全に鬱だったと思います」
大手メディアも水が合わず
退職後は日雇いバイトで食いつないでいたそうだが、同時期に同じ編集部を辞めて再就職した先輩の誘いで、大手求人サイト系列のウェブメディアに転職することに。
「その頃にも農業をやろうと思っていたんですが、同じしんどさを味わった先輩の誘いだったので、悪い環境ではないだろうと思って面接を受けました。実際、給料もそれなりにもらえて、忙しかったですけどブラックというわけでもなく、休日など待遇も良かったです。ただ、前の出版社がぶっ飛んだ人だらけだった分、編集という仕事に対するスタンスや職場の雰囲気の面でギャップも大きくて。端的に言うとちゃんとしている人が多すぎるというか。攻めた企画もなかなかやりづらかったり、何かとモヤモヤしていましたね」
そんなしっかりした職場環境を羨ましく感じる同業者も少なくないはずだが、大企業ならではの苦労もあったようだ。
「SNSのアカウントひとつ作るのにも平気で数週間かかったりして。見たこともない名前の上層部まで自分の書いた稟議書が通っていく様子を、社内ポータルサイトでよく確認していました。それと、ウェブは雑誌に比べて閲覧数などの数字が明確に出ますけど、数字でしか評価されない風潮もあって、それもなんだかなと。PVと記事の質は必ずしもリンクしないと思いますし。ずっと居続けることもできたと思いますが、仮にこの職場でマネージャーになっても、より一層守りに入るだけな未来が見えてしまったんですよね」
明確に退職を意識したのは1年ほど前だったという。
「コロナで大騒ぎになる直前に、大学時代のとある友人と久しぶりに再会したんです。彼はアウトドア系のメーカーに勤めていたんですけど、いつの間にか退職してニュージーランドを縦断する旅に出ていたらしくて。そいつの話にわかりやすく影響されちゃって、『俺も単純にやりたいことをやろう』と思ったんですよね。30歳という節目だったこともあり、そのタイミングで農業系の求人サイトをチェックし始めて、完全に気持ちがそっちに行ってしまった感じです」
中学生以来、訪れていなかった深い眠り
かくして編集者の職を辞した細谷さんは、今年1月に就農。都心から1時間ほどのところに位置する畑で、スタッフとしてほうれん草や小松菜などを栽培している。
「自分でもよくわからないんですが、ずっと農業には興味があって。子どもの頃から田舎の野山で遊んで、大学時代もアウトドア系のサークルに入っていたので、外で働きたい気持ちが強かったというのはありますね。ただ、どうしても農業は『休日が少なくて給料が安くて田舎暮らし』というイメージがあったので、これまでそこに踏み出す勇気が出なくて。その点、今の職場は比較的そこが解消される条件が揃っていたんですよね」
現在の細谷さんの"ボス"は会社員から農業修行を経て、独立後3年目にして事業を軌道に乗せたやり手らしく、いまは新たに農地探し中。家族経営ではなく、いい意味で発展途上の職場だったことも転職を決断した理由だとか。
「まだまだ組織の規模は小さいですけど、だからこそスタッフ全員が当事者意識を持って働けているので、すごく健全な環境だと思います。新しい提案などもすぐ聞いていただけますし、SNSアカウントも即日で作れますからね(笑)。生活リズムも健全になって、最近は自分でもびっくりするぐらい寝つきがいいです。本当にこんな寝つきが良くなったのは部活をやっていた中学生以来で。朝6時半に起きて0時前には寝落ちしちゃいますね。バリバリ肉体労働なので食事の量も明らかに増えたんですけど、それでも体重は5kg以上減りました」
スタッフは細谷さん含めて3人。加えて、4人のパートさんがいるという
繁忙期は20時まで働く日もあったそうだが、基本的には週休1,2日で定時は8時~17時。月収は約20万円で収穫から梱包・出荷などを行い、かなり健康的な生活を送っているようだ。
「無駄な会議もないですし、上司やクライアントのご機嫌を過剰にうかがう必要もないですし、とにかくストレスが減った実感はあります。ただ、畑と自宅とワークマンを往復するだけの毎日なので刺激が足りないのも事実です。あとは金銭面も今はまだ厳しいので、なんとかして給料を上げていきたいなと。これまでの経歴を活かして広報的な動きをしてみたり、直販なんかもやってみたいなと思っていて。当面はそういった新しい取り組みに挑むことで刺激を探していこうかな、なんて考えてます」