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“ヤクザ”主人公の漫画、描かれ方に変化アリ? 『極主夫道』『珈琲いかがでしょう』が人気のワケ

2021年06月05日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

“ヤクザ”は新たなコンテンツに?

 元ヤクザを主人公にした漫画が、相次いでテレビドラマ化されている。おおのこうすけの『極主夫道』と、コナリミサトの『珈琲いかがでしょう』だ。昨年の10月から放送された『極主夫道』は、元伝説の最凶ヤクザで、今は専業主夫をしている不死身の龍を、玉木宏が演じた。今年の4月から放送の始まった『珈琲いかがでしょう』は、珈琲の移動販売をしている訳ありの元ヤクザ・青山一を、中村倫也が演じた。


関連:【画像】『組長娘と世話係』『美少女同人作家と若頭』『漫画家とヤクザ』にも注目


 『極主夫道』の龍は強面で、しかも言動がアンダーグラウンド的であるため、なにかと誤解を受ける。元最凶ヤクザが主夫をしていることから生まれるギャップを中心にしたギャグ漫画だ。専業主夫との格差を際立たせるために、元ヤクザとしいう設定が機能している。以前のレビューで取り上げているので、詳しい内容を知りたい人は、そちらをお読みいただきたい。(なぜ人は『極主夫道』にハマってしまうのか? 考え抜かれた作風を紐解く:https://realsound.jp/book/2020/11/post-657488.html)


 一方の『珈琲いかがでしょう』は、ヒューマン・ドラマだ。蛸の絵が描かれた車で、珈琲の移動販売をしている青山が、さまざまな人々と出会い、美味しい珈琲を通じて癒しや潤いを与える。次々と登場する人物は、意外とシリアスな事情を背負っていたりするが、重くない絵柄と、適度に入れられるギャグタッチのコマにより緩和されている。それは暴力シーンも同様で、ヤクザ時代の青山が人を殴るシーンもあるが、主人公に悪印象を持つことはない。


 さらにストーリーが進むと青山が、自分の組の組長と、対立していた組の組長を殺して逃亡したという話が出てくる。しかも、かつての舎弟だったヤクザが執拗に追ってくるのだ。後半の展開は緊迫しているが、やはりこちらも主人公に対する読者の共感を損なわない展開になる。もちろん興趣のあるストーリーにするためという意味もあるが、青山の他人に対する人情味を引き立てるために、元ヤクザという設定が機能しているように思えるのだ。


 などということを考えているうちに、ヤクザを主役や準主役にした漫画を幾つか想起した。ひとつは、つきやの『組長娘と世話係』だ。主人公は桜樹組の若頭の霧島透。「桜樹の悪魔」と呼ばれる、凶暴なヤクザだ。ところが組長から、一緒に暮らせるようになった小学生の娘・八重花の世話係を命じられる。最初は懐かない八重花に困惑していた透だったが、しだいに距離が縮まっていく。それにつれて凶暴だった透の心も変わっていくのだ。また透の暴力シーンは、巧みに画面から排除されており、優しい世界が構築されている。


 お次は、べにがしらの『美少女同人作家と若頭』である。こちらは完全なギャグ漫画だ。女子大学生で同人作家の内田花(ペンネームは、バナナウンコパクパク)。SNSの言葉に踊らされ、サークル初参加にも関わらず、同人誌を1000部刷ってしまう。ブースで落ち込む花だが、その前に現れたのがプリチィヘッドこと、同塵組の若頭・示頼厳十郎だ。強面ヤクザの示頼は花の同人誌を気に入り、200部買って帰る。これを機に花は、バナナウンコパクパク先生と示頼に崇められるようになり、なにかと面倒な事態に巻き込まれるのだった。


 示頼だけでなく、同塵組の組長や、ライバルの虹元組の若頭・稲川烈蔵もオタクで、バナナウンコパクパク先生を気に入っている。銃撃戦を当たり前のようにするヤクザたちの、オタクっぷりが強烈で笑える。そんな彼らに祭り上げられ、右往左往する花の姿が愉快なのだ。


 最後は、コダの『漫画家とヤクザ』にしよう。保証人になった知人が逃げ、数100万円の借金を背負った漫画家の木嶋累。借金の取り立てにきた、ヤクザの吾妻啓吾に、なんだかんだあって抱かれるようになる。恋愛に興味がなく、どこかズレてる累。少年時代のネグレクトから、愛情が分からない啓吾。体の関係から始まったふたりは、しだいに心を近づけていく。


 途中から啓吾と異母弟を巡る、組の跡目争いが起きるが、それは物語のスパイスだ。あくまでメインは、累と啓吾の恋愛である。強引な俺様男でありながら、愛が分からず、心に脆い部分を抱えている。啓吾はアンバランスな人間であり、必然的に社会からはみ出さざるを得ない。だからこそ彼はヤクザなのだろう。そんな啓吾と、恋愛オンチの類の変化が、本作の読みどころである。


 さて、このように作品を並べて思ったが、漫画におけるヤクザの扱いも、ずいぶん変わったものだ。ヤクザがダーティなヒーローとして活躍する話がないわけではないが、昔に比べると減っているように感じられる。それは、社会のヤクザに対する認識が変化したからだろう。任侠道など、しょせんはフィクション。多くの人はヤクザを、日常の延長にいる恐いけど、いざというとき頼りになる人ではなく、反社会的な集団の一員として見るようになったのである。


 ただし、ヤクザのイメージは根強く残っている。そのイメージを利用することで、ヤクザは新たなコンテンツとしての地位を獲得した。主夫・移動珈琲ショップの経営者・同人誌好きのオタク。ヤクザや元ヤクザを自由自在に弄り、ギャグから恋愛まで、幅広いジャンルに投入することができるようになったのである。だから今後、ヤクザや元ヤクザを使って、どんなとんでもない物語が出てくるのか、楽しみでならないのだ。


(文=細谷正充)