2021年06月04日 17:41 弁護士ドットコム
女性同士のカップルが、当事者の一方が過去に「男性」だった頃の凍結精子を用いて生まれた子らの認知などを求めて、東京家庭裁判所などに提訴した。
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2人は2020年3月、地方の自治体(東京都外)に子どもの認知届を提出したが不受理となり、2021年5月には東京都内の自治体に再度提出したものの、保留状態が続いていた。
6月4日に都内で会見を開いたBさん(40代)は、「現状、子どもの身に何かあっても、保護者として扱われない。自分たちの認知を認めても誰に迷惑をかけるものではない」と話し、認知を認めるよう訴えた。
訴状などによると、Bさんは「男性」として生まれたものの、身体の性と心の性が一致しない性同一性障害を有していたため、性別適合手術を受け、戸籍上の性別を「女性」に変更したが、男性だったときの精子を凍結保存していた。
2017年にBさんの凍結精子をAさん(30代)に提供し、翌2018年夏にAさんが長女を出産。同様の方法で、2020年夏には次女を出産した。DNA鑑定で、Bさんと子どもとの生物学上の親子関係があるとの結果も出ているという。
子を産んだAさんと2人の子どもとの間には、法律上の親子関係がある。一方、法律婚をしていないパートナーのBさんと2人の子どもとの間には、法律上の親子関係がないため、Bさん名義で子どもたちの本籍地を置いていた自治体(東京都外)に認知届を提出した。
しかし、自治体側は法務局に相談した結果、そのような認知は無効であるとされ、不受理となった。その後、家族が暮らす東京都内の自治体に再度認知届を提出したものの、自治体側が法務局に相談するとして、現在まで保留されたままとなっている。
認知届を出したものの、保留状態が続いたあげく、結局不受理となるといった状況が今後も続くかもしれないことを懸念し、提訴に至った。
原告ら代理人の仲岡しゅん弁護士は、「最終的な目的は、Bさんと子どもたちの間に法律上の親子関係を形成すること。できる手段はすべてとる」として、今回、大きく2種の訴えを提起した。
(1)Aさんが2人の子どもを代理した原告として、Bさんを被告とする「認知の訴え」を東京家庭裁判所に提訴
(2)Aさん、Bさん、2人の子どもが原告となり、国に対する行政訴訟として、Bさんが2人の子どもの認知届を受理される法律上の地位にあることの確認と国家賠償請求を求めて、東京地方裁判所に提訴
国家賠償請求を求めたことについて、仲岡弁護士は、「お金目的ではなく、国の対応が違法かどうかの判断をしてもらうためにおこなったもの」と説明する。
「認知されないことによって、子の福祉に反する形が続いているといえます。
認知されれば、扶養に関する権利義務関係が発生し、相続の権利も得る。ところが、血縁関係があって現に養育しているにもかかわらず、法律上の親子関係がないからと、何かあっても法的には他人としてしか扱われないという問題が生じています。
社会は多様化しており、同性カップルはこの社会的実体として存在しています。性別変更している人も現にいます。多様な性のあり方、家族のあり方があるにもかかわらず、、国のシステムはそこに追いついていない。この問題を今回の訴訟を通じて訴えたいです」
認知を求めているBさんが「認知の訴え」で被告になるなど、異例の裁判となる今回の提訴だが、争われるポイントは「なぜ認知を認めないのか」という一点だ。
自治体側は認知届の不受理について、理由を明らかにしていない。戸籍法に関する不利益処分については、行政手続法の適用対象外のため、自治体側からは「法律上は理由を付記する理由がない」と説明されたようだが、仲岡弁護士は次のように話した。
「認知届自体には何ら不備はないにもかかわらず、Bさんが自治体側から『法律の不整合がある』などと言われ、結果として不受理となっていることからすると、Bさんの性別変更の事実が理由だろうと考えています。
戸籍には『父』・『母』欄がありますが、社会的にも身体的にも法律的にも女性であるBさんの認知を受理すると、欄部分が『母』・『母』、もしくは『女性である父』になることを認めないと整合性がつかないと自治体側が考えたのかもしれません。
また、性別変更の要件などを定める性同一性障害特例法には、性別変更しようとする人が未成年の子をもっている場合には性別変更をできないという『未成年子なし要件』があります。
長女が生まれた後に性別変更をしたBさんの認知を認めると、未成年の子がいるのに性別変更ができたことになるとして、性同一性障害特例法に抵触すると考えたのかもしれません」
民法では、認知は『父又は母』ができるとされている(779条)。弁護団は、たとえBさんが男性・女性どちらであっても、法律上認知できるはずだとして、それを認めないのは違法だと主張していくという。