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『チ。』作者・魚豊の初連載作品『ひゃくえむ。』がアツい! 「100m」に命を賭けた男たちの生き様

2021年06月03日 11:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 誰もが一度は経験がある「徒競走」。50m、100mを駆け抜ける速さを競う徒競走は、大人になれば、「自分が何位だったか」だなんて忘れてしまう程度の存在だろう。しかし「100m」に人生を賭けた男の半生を描いた漫画がある。それが『チ。-地球の運動について-』で、漫画大賞2021で2位を獲得した、魚豊の初連載作品『ひゃくえむ。』だ。


 「週刊少年マガジン」97回新人漫画賞で、特別奨励賞を獲得した読切『100’M』を前身とする本作。この作品の何よりの魅力は、「アツさ」だろう。『ひゃくえむ。』はなぜこんなにも読者の心を打つのか。本稿ではその魅力を検証したい。


※以下ネタバレを含みます。


 天才という生き物は、圧倒的なようでいてある種、脆さを感じさせる。努力をしなくても結果が出てしまうのだから、本気で血を滲ませてきた人間より簡単に折れてまうのは当然なのかもしれない。『ひゃくえむ。』もまさしくそんな「脆い天才」が主人公の作品だ。


 友達も多く順風満帆な学校生活を送る、小学校6年生のトガシ。どこにでもいる普通の少年だが、彼には一つだけ普通ではないことがあった。それは“走るのが速い”ことだ。特段珍しくない特技だが、トガシのそれは特技の域を軽く超えていた。努力をしなくても、軽々と全国一位を獲れてしまうトガシ。そして足が誰よりも速く、それによって何でも解決してきた彼は、小学生ながらに“それだけ”でいいのだと悟ってしまう。そんな熱を持たない彼の横を、無我夢中で前を向く少年が駆けていった。それが小宮だ。



気づいてないみたいだけどこの世には単純なルールがある、それによるとたいていの問題は、100mだけ誰よりも速ければ全部解決する



 作中で「走っていても何も解決しない」と話した小宮に、トガシが言い放ったのがこのセリフだ。一見走るのが速いことなど大人になればのなんの意味も無いように感じる。しかし確かに“誰よりも”100m競争が速ければ、(ウサイン・ボルトのように)富や名声といったものが自分の手中に収まるだろう。


 またトガシは「今からでも速くなれるかな?」と尋ねる小宮に対し、不思議そうな顔をして「いや、それを決めんのは君だろ」と言い放った。


 従来の漫画であれば、「最後に決めるのは君だ!」、「それは君次第だ!」といった具合に、決め台詞として使われそうなこんな台詞。しかしトガシは淡々とした雰囲気で、小宮の問いに対して、ごく当たり前のことを答えとして発した。このように、盲点とも言える真理を叩き出すスピード感と、独特な言い回しが本作でしか味わえない「アツさ」を生み出している。そしてこの熱を読者に伝えるため、一番大切な役割を担っているのが作中で理性と対比される「本能」の存在だ。



 『ひゃくえむ。』は“理性vs本能”を描く作品であるように感じる。理性的な発言に比べ、本能のままに起こす行動や言葉は、見聞きする人の心を動かす。そして作中では数多くの本能vs理性が描かれた。


 トガシは第一話の序盤で彼のクラスに転校してきた少年、小宮が凄い形相で走っている姿を目撃する。小宮は転校して早々、いじめのターゲットにされていた。マイナスなことばかり発言する彼に、100mが速ければすべてが解決すると言ってのけるトガシ。こうして小宮は、トガシに教わりながら、運動会に向け秘密の特訓を始めた。ハイスピードで成長する小宮を見るのはトガシも楽しい。しかしトガシはそれと同時に、彼と仲良くしているのが周囲にバレれば、自身の立場も危うくなるだろうという不安も感じている。


 そして迎えた運動会当日。小宮はクラスのリーダー的存在、ゲンタと同組だ。号砲が鳴り良いスタートダッシュを切るも、ゲンタの声に体が反応し転んでしまう小宮。周囲は小宮を嘲笑した。そこでトガシの心の奥から未経験の感情が湧き上がる。止まってしまった小宮を見た、隣の同級生はトガシにも同調を求めた。そして握り拳で同級生の顎を力一杯振り抜いたトガシは言う。「ブチカマせ小宮くんッ!!君は速いッ!!」。


 作中でどこか冷めた雰囲気を醸し出すトガシが熱を感じるシーンは、この場面以外にも多く存在する。小学生まではスーパースターとしての道を歩むトガシだったが、彼は小宮との出会いをきっかけに才能の枯渇に悩んだ。それまで敵なしだった天才は脆く、一度は陸上から逃げ出そうとしたほどだ。


 しかし時は流れ高校入学後、廃部寸前の陸上部の惨状、また部員たちの人となりに触れて感化されたトガシは、安定ではなく本能が叫ぶ道へと駆け出した。本能が理性を凌駕した場面で言えば、トガシがアメフト部に自分の感情のまま宣戦布告するシーンなどはその最たる例だろう。この“頭では愚行だと分かっていても応援する”、“賢い選択が分かっていてもやりたい方を選ぶ”などの理性とのぶつかり合いを描きながら、より強調して描かれる本能がアツい。


 作品内では「自分の居場所を失いたくない」と理性で走るトガシと、「頭では納得してても体が納得していない」と本能で走る小宮が、対比するように描かれている。そして実際に記録を伸ばしたのは、トガシではなく小宮だった。その後もトガシの変化に乗じて、他の人物の環境も目まぐるしく変わっていく。トガシの中での戦いが、周りの人間にも作用しているのだ。トガシの本能は「自分はこの位置だ」と言い聞かせていたパシリの貞弘を奮い立たせ、プレッシャーと才能の壁に負けた仁神をもう一度トラックに引きずり出した。彼らはまさに自身の本能で理性を黙らせたと言える。


 理性vs本能の戦いが散りばめられた本作。現在連載中の『チ。-地球の運動について-』で描かれているのは、上手く生きることもできるのに好奇心と探究心に人生を捧げる少年の姿だ。今注目を浴びるこの作品においても、“理性vs本能”が作品作りの根底で共通しているように思う。人が理性を黙らせ本能の赴くままに行動する姿は、見ている人々に沸々とアツい気持ちを抱かせるものだ。魚豊の隠れた名作『ひゃくえむ。』。ぜひご一読を。


■青木圭介
エンタメ系フリーライター兼編集者。漫画・アニメジャンルのコラムや書評を中心に執筆しており、主にwebメディアで活動している。