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『2.5次元文化論』須川亜紀子に訊く、“2.5次元”の可能性 「聖地を訪れたとき、我々は現実と虚構の世界を観ている」

2021年05月30日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

現実と虚構のあわい“2.5次元”の世界

 2.5次元ーー二次元と三次元の間に潜むものはなにか? そんな問いかけを続ける研究者がいる。このほど『2.5次元文化論 舞台・キャラクター・ファンダム』(青弓社/https://amzn.to/2Swa4ps)を上梓した、横浜国立大学 都市科学部/都市イノベーション研究院 教授の須川亜紀子氏だ。


 ポピュラー文化研究、オーディエンス/ファン研究を専攻とする氏が今、なぜ、この題材を選んだのか? そこには、自身が愛してやまない日本のアニメやマンガ文化との密接な関係があった。(おーちようこ)


関連:須川亜紀子氏


■「楽しいものの先に潜むもの」が気になって


ーーなぜ「2.5次元」を題材に選んだのでしょう。


須川:そもそもの話をすると、ずっとアニメが好きでオタク活動を熱心にしていました。著書の「はじめに」にも書きましたが、幼いころにアニメーターの芦田豊雄さんが描かれた『サイボーグ009』(1979年)の島村ジョーに心奪われてしまったんです。


 芦田キャラの、金髪、潤う目と井上和彦さんの声が創り上げるジョーがものすごく好きで、そこから石ノ森章太郎先生の過去の『サイボーグ009』シリーズを追いかけるようになりました。80年代、90年代は声優さんや原作者の方々のアニメのイベントも多くて、そういったイベントに参加し、実は声優にも憧れて公開オーディションを受けたりもしていました。


ーーそこから研究者の道を志したのは、なぜでしょう。


須川:これは自分の癖(へき)だと思うんですが(笑)、「楽しいものの先に潜むもの」が気になってしまうんです。それはジェンダー的なことだったり、政治的なことだったり……を分析して解釈して知りたい、という欲求があって、高校生のときに研究者を志しました。でも当時の日本ではマンガやアニメに関して学術的な研究ができる場所が無く、結局、大学卒業後、アメリカに渡り実写映画の研究をしていました。


 ただ、当時主流だった映画研究のオーディエンス分析に疑問を持ったんです。決して一枚岩ではなくいろいろな層がいるはずなのに大きくまとめられていて、これはちがうのではないか、と思い、次にイギリスでテレビの研究をしに行きました。


ーー行動力がすごいですが、なぜイギリスへ?


須川:実はずっと東映魔女っ子シリーズ(東映動画時代の魔法少女アニメ)について研究したくて。自分自身もですが、あれらの作品が女の子たちにどう影響したのか? たとえば「可愛いと思われる振る舞い」といったことが提示されていることにずっと疑問を感じていたんです。


 そこで調べていったらイギリスのカルチュラルスタディーズという学問領域で、ファンタジーTV(SF風の青少年向けドラマ)の研究している方がいて「こういう研究をしたい」とメールを送ったら「おもしろいね」と言ってもらって、行くことを決めました。その後、日本に戻ってきたら海外需要開拓支援機構(愛称:クールジャパン機構)が設立されていて、マンガやアニメを研究できる土壌が生まれていたんです。


ーーまさに時代が一変し、追い風になっていた。


須川:はい。大学でも生徒を募集する看板授業として、ものすごい勢いで関連の学部が新設されてマンガやアニメを教えられる先生の募集が一気に増えました。さらに政府の留学生受け入れ促進の施策の影響で海外留学生向けに英語の授業ができる人が特に求められていて、まさに自分がやりたいこととできることが一致する状況だったので、関西の大学の職を経て、横浜国立大学 都市科学部/都市イノベーション研究院・教授として教鞭を取るに至ることとなりました。これまで大学でそんなことを教えられる場所なんてどこもなかったので、これは大きな機会でした。


■「2.5次元」という概念の幅広さ


ーーお話を伺っているとマンガ・アニメを主軸に研究されていますが、2.5次元舞台は研究対象だったのでしょうか?


須川:ミュージカルや演劇はもともと好きで、日本にいるときもマンガ原作の舞台を観てはいたのですが、子ども向けの夏休みイベント的な位置づけが多かったのでメディアミックスの一端として捉えていました。それが90年代に入って、バンダイ版『ミュージカル美少女戦士セーラームーン』(初演1993年)が登場し変化した。最初はお母さんとお子さんが観に来ていたのが、原作が広く知られていることで大人の観客も増え、みんな、その完成度の高さに驚いたんですよね。結果、バンダイ版は10年以上続いて支持され、磨かれていきます。


 さらに2000年代に入って動画配信環境の充実を受け動画投稿サイトが人気を博し、受け手のメディア環境もがらりと変わりファンの発信力も大きくなって、それが作り手にも一般層にも影響を与えるようになっていった。コンテンツに対してメディアミックスの多さやそこにアクセスする手段も増えていくなかで、もっと大きな範囲で捉えないと、文化のダイナミズムみたいなものが見えてこないのではないか……と感じるようになり。そのなかで「2.5次元舞台」というものが台頭してきて、これはやはり研究対象にすべきであろう、と考えました。


ーー具体的にはどのように進めていかれたのでしょうか。


須川:2010年代初めにイギリスから帰国してからもTVアニメを中心に文化研究を続けていましたが、映画やアニメ、ドラマ、ラジオと自分の趣味としてもいろいろ楽しんでいくなかで「2.5次元」がひとつのタームとして流れが生まれている空気を感じました。そこで「2.5次元」をひとつのキーとして考え、虚構と現実の間というコンセプトとして捉えると、いろんなものに当てはまるな、と気付いたんです。


 そこを考える際に、我々が持っている、この「身体」ってなんだろう……ということを論じる必要があって、これはまた別の学問になっていくんですが。ざっくり説明すると、現代のネットとかVR、ARといったものが増えていけばいくほどリアリティが曖昧になり、自分の存在というものも曖昧になっていく。さらにオンラインのつながりが増えていくと、果たして、今、この眼の前にあるものは現実なのだろうか? と疑問を抱くようになっていく……という傾向が、実はかなり問題なのではないかと感じていて。


 一方で、わたしはコンテンツツーリズムの研究もしていて。これは、いわゆる「聖地巡礼」と呼ばれるもので、なにもない草原が、見る人の頭の中にあるものによっては特別な景色になる……これって、もしかしたら「2.5次元」なのでは? と、思ったんですね。聖地を訪れたとき、目の前にある空間に我々は現実と虚構の世界を観ているのでは、と。たとえばそれは「応援上映」といったものにも当てはまるし、実はいろいろなものに現象として現れているな、と思い至り。これを総括すべきではないか、と考えました。だからこそ「2.5次元文化論」であって、「2.5次元舞台」に特化しているわけではないんです。ただ、目次を見ていただけたらわかるように、この本に関しては、2.5次元文化について現象を捉えているなかで「2.5次元舞台」は重要な要素にはなっています。


ーーまず「2.5次元文化」があって、その大きなひとつに「2.5次元舞台」がある?


須川:はい。なので、本当はもっと大きな視点から書くべきだったんですが……膨大すぎて、とても難しかったんです。本書はWeb連載から始まっていて、最初は、舞台、コンテンツツーリズム、コスプレ、応援上演、Vチューバーと分けて、2.5次元文化を論じていたんですが、いざまとめようとしたら、そのひとつひとつが丸ごと研究対象になり得る題材だったので、まずは書籍にするために的を絞ろうと決めました。それが、2.5次元舞台です。


 そこで派生する現象をピックアップしていったんですが、それだけでもかなりの量があって。歴史を概観するだけでもとんでもないページ数になってしまい、さらに短くまとめなくてはならなくて……でも、実はもっと細かく掘り下げたいこともあり、本当に苦労しました。


ーー単に「流行っているから」ではなく、その現象を幅広い視点で学術的に研究されている、ということがとても貴重です。


須川:それは、いろんな方に言っていただきました。本書でインタビューに答えてくださった方々をはじめ、協力してくださった方々からも「よくぞ、取り上げてくれました」と喜んでくれた。私自身もマンガ・アニメを愛するひとりなので形にできたことはうれしいことでした。


 海外の方々からの声も大きくて。日本はマンガ文化が充実していますが、海外は文化的違いや宗教観といったことから規制が大きく、マンガやアニメが好きと言えない、言ったら自分の人生を全否定されてしまう……もっと言えば大げさでなく社会的に抹殺されてしまう、という方が少なくないんです。でも、そういった方々が救われたと言う。


 例えばアメリカの場合はアメコミがありますが、それは実写化でハリウッド映画へ、となりますし。子ども向けには『スポンジ・ボブ』(原題:SpongeBob SquarePants)といった子ども向けに分かれていて、真ん中がないんですね。そこに青少年向けの日本アニメが流入し、ニッチなマーケットとして若者が飛びついたわけです。もっと言えば、女性が創作することも少ないので、日本の少女マンガ文化というのは世界的に見てもとても稀有なことなんです。でもメインカルチャーから見れば、アニメやマンガ好きは「ナード」(=オタク)だとレッテルを貼られてしまう……。


 そんな環境で否定され続けてきた人々が実は2.5次元舞台の登場により、生身の人間がキャラクターを演じていることで「ようやく人間に興味を持ってくれた」と親や周りが肯定するそうで。自分は変わらずマンガやアニメが好きなんだけど、演じる存在がいることで、自分の好きが認められようやく救われた、という方も多いんです。


ーー「2.5次元舞台」の在りようが海外では意外な形で救いとなっていることに驚きます。


須川:さらに、ちなみにこれは日本の方なんですが、自分の人生に於いて、まさか舞台の開演に間に合うように仕事終わりに走ることになるとは思わなかった、と言っていて。それはやっぱり、楽しいからだと。グランドミュージカルやストレートプレイほど重くなく気楽に楽しめるものだから、と言うんですね。確かに舞台の上にマンガやアニメのキャラクターがいて、それを演じるカッコいい役者がいて、アドリブなんかも飛び出して、歌もあって踊りもあって、とてもきらびやかな空間で心惹かれてしまうのもわかります。


■「実は“好き”を研究するって、けっこう苦しいよ」


ーーそこでお伺いしたいのですが、ご自身の「2.5次元舞台」初体験はどの作品でしょうか。


須川:「ミュージカル『テニスの王子様』Dream Live 2013」です。以前も、それこそ声優さんが同じ役を演じていた『サクラ大戦歌謡ショウ』シリーズ(1998年~)やミュージカル「HUNTER×HUNTER」(2001年)も観ていたし、グランドミュージカルやストレートプレイ、イギリス時代はウェスト・エンド・シアターといったところにも足を運んでいました。だた、チケット代も高く、自分にとっては観劇はいわば「ハレの日」だったんですね。でも、2.5次元舞台はドレスコードもなく敷居が高いわけでもなく気軽に通える日常だったんです。


 日本での研究を始めた当時で、いろんな方とお会いして話を伺っていたときで、そのなかにはマンガ・アニメの舞台化に抵抗がある方ももちろんおられたんですが、でも実際に観てしまうと魅了されてしまうんですよね。まるで異世界にぽーんと投げ出された感がすごくて、元気ももらえて、すごく衝撃でしたね……。


ーーすてきな体験です!


須川:それこそマンガ・アニメ文化だけでなく、演劇文化やアイドル文化的なところまで波及する、新たな文化がここにある……と実感して。さらにそこには分断がなく同じ文脈で作られていて、それを制作側も受け手側も理解して楽しんでいるということに気付いたときに「これは書かなきゃ!」と思ったんです。


 それも、いきなりミュージカル『テニスの王子様』が生まれたわけではなく、まずはキャラクターに命を吹き込む声優という存在があって、いろいろな試みがあって今に至る、ということを学術的に記すべきだと考えました。研究って、まず現象を整理することから始まるんです……というか、私、年表を作るのが大好きなんですが(笑)。2.5次元に関しても事象を書き出すと自ずと流れが見えてきて、そこに社会的要素を踏まえていくことで、それらが相互作用して「文化」というものができあがっているんだなあ、ということが浮かび上がってくるんです。


ーー情熱を持ちながらも、一歩引いた眼差しを持っています。


須川:好きだから研究したい、という学生はたくさん来るんですが、全員に「実は“好き”を研究するって、けっこう苦しいよ」と伝えています。研究するということで、ただ好き、という視点から離れなければならないことがある。その苦しさを乗り換えられるかどうか、が研究者たれるかどうかの分岐点だと思います。


ーー執筆にあたり日々のインプットをどうされているのでしょうか。


須川:今、「文化庁メディア芸術祭」の審査員を務めさせていただいているので、そこでその年の作品のほとんどを知る機会をいただいていて。あとはエアチェックでほぼすべてのアニメの第一話は観ます。最近はサブスクリプションの配信もあるのでそういったものでまとめて観たりします。


 2.5次元舞台は先日、『あんさんぶるスターズ!エクストラ・ステージ ~Meteor Lights~』を観ました。このシリーズを好きな生徒に薦められて、ずっと観ています。ただ、このコロナ禍で2.5次元舞台だけでなく、いろいろな状況が変わってきているので、それらが先々どう影響していくのかも追うべき題材だと考えています。


ーー最後に一言、お願いします。


須川:今回の本は『ユリイカ  2015年4月臨時増刊号 総特集◎2.5次元 -2次元から立ちあがる新たなエンターテインメント』(青土社)の寄稿や企画から携わらせていただいた『美術手帖―2.5次元文化』、2016年からの青弓社Web連載を通し、自分なりに時間をかけてまとめました。実はこれでも研究者向けではなく、一般向けに書いたつもりです(笑)。なので、「好き」の先が気になる、研究のしかたがわからない、文化誕生の背景を知りたい、という方にはぜひ手にとっていただきたいです。さらにこれまでオタク文化研究は対象が男性ということが多かったのですが、本書では女性ファンの声を多く収録し、いろいろな価値観を記しています。


 なので、まずは目次を開いて気になるところから読んでいただき、そこから関連する項目へと辿り着いてもらえたら、実はいろいろな事象はつながっているという発見や、同じ思いを抱える人がいることに出会えると思います。未だに「こんなものが研究になるのか」と言われてしまう世界ですが、私自身、まだまだ書きたいことがたくさんあります。なので、この一冊はいわば種まきだと思っていて、本書をキッカケに研究の道に一歩、踏み出す方がいたらうれしいです。


(取材・文=おーちようこ)