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借りては返す〝自転車操業〟の30年、闇金に手を出したロクデナシの懺悔「俺みたいになるな」

2021年05月30日 09:01  弁護士ドットコム

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昨年来のコロナ禍で生活費等に行き詰まり、多重債務に陥る人が増えているという。中には、暴利をむさぼる違法な闇金を利用してしまったり、持続化給付金詐欺の片棒を担いでしまったりする人もいるようだ。


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これまで2度の債務整理を経て、述べ30年以上の借金生活と決別した三浦康介さん(仮名、59歳)は、「これまで借りる、返すがすべての虚しい人生でした。私の愚かな経験が少しでも反面教師になれば」と取材を受けた思いを訴える。(執筆家・山田準)



●きっかけは「メリーナイス」、ギャンブルにドはまり

来年に定年を控えた三浦さんは、「いつも、いかにして借りるか、いかにして返すかばかり考えていました。社会人になって30年以上、借金のことしか頭になかった気がします」と、自戒の念を込めて振り返った。



三浦さんの借金人生は、ご多分に漏れず、「飲む・打つ・買う」という怠惰な生活に際限なく浸かったことが元凶。きっかけは会社の先輩に誘われた競馬だったという。



「入社して3年くらいは仕事を覚えるのに必死。ようやく仕事に余裕が出てきた25歳の頃、何かと気にかけてくれていた会社の先輩に誘われ、初めて東京競馬場に行きました。メリーナイスという馬がダービーを勝った時でした。



すぐに競馬にはまって、毎週のように府中や中山に通うようになって、夏には新潟や福島にも遠征するようになりました」



ギャンブルでよく耳にする「ビギナーズラック」が三浦さんにも訪れた。遠征した新潟競馬場の条件戦で、3000円が20万円以上に化けたと言う。



「その時の快感が病みつきになり、賭け金も増えていきましたが、比例するように負けも込んでいきました。



酒と馬券で生活費まで使い果たしてしまったある時、例の先輩の『サラ金(消費者金融)が一番早くて便利だぞ!』というアドバイスに従い、上野駅前にあった大手のサラ金に行ったのです。



20~30分の簡単な手続きで50万円もの大金が、スッと出てきて驚いたのを、今でもはっきり覚えています」



●過剰貸付の「バブル期」、あっさり100万円も

仲間うちで「酒豪」と呼ばれるほどの酒好きだったという三浦さんは、競馬を覚えて以来、勝てば祝杯→風俗、負けてもヤケ酒→風俗という、文字通り「飲む・打つ・買う」の自堕落な生活に、どっぷり浸かっていった。



そうなると、行き着く先は金欠→金策というのも、自然な流れだろう。大手の某広告代理店に勤務していた三浦さんは、サラ金を含めた金融機関にとって「上客」だったに違いない。



1980年代後期のバブルを背景に、金融機関が貸し出しに躍起になっていた時代。三浦さんが「自転車操業」に陥るのに時間はかからなかった。



「次はどこで借りようか? 仕事中も、そんなことばかり考えていました。



すでにサラ金など6社から借りていた時、学生時代の友人の島田(仮名)がある信販会社で融資担当をしていると聞いたので連絡をすると、『三浦なら100万円は出せると思うよ!』と、いとも簡単に言うのです。



島田には、他社から借り入れしていることは伏せていたので、本当に上限額が出るのか半信半疑でした」



翌日、三浦さんが島田氏の勤務する上野の信販会社に行くと、いともあっさり100万円の融資がおりたという。しかも、大手のサラ金で30%弱、中小のサラ金だと40%弱の金利が当たり前だった当時、島田氏の信販会社の利息は一桁台という破格の低利だった。



「その帯封を手に、上野に支店のあった40%近い利息を取るサラ金3社を回り、そこの借金を完済しました。カードと契約書を破棄させた時の気持ちが、何とも言えず心地よかったのを覚えています」



●「慣れ」から泥沼へ 自転車操業への逆戻り

低利ローンを有効活用し、利息の軽減、借金の返済をもくろんだはずだった三浦さん。しかしこれが、逆にさらなる自転車操業への口火となってしまった。



「借金ってこんなものかと、甘く考えてしまったのが運の尽きでした。その後も刺激的な生活が止められず、完済したサラ金からも再び借りることに。



それでも金が回らなくなると、どんどん質(たち)の悪い業者へと足を運ぶようになりました。



最後の方は、こわもての従業員が威圧的に応対する某サラ金や、高利の街金、挙句の果てには違法な闇金にまで手を出しました。当時は違法業者が堂々と事務所を構えていた時代で、遊ぶ金や返済する金が不足すると、神田や新橋の街金や闇金の事務所に寄って借りるのが日課となっていました。



当時の闇金の利息はトニ(10日で2割)が平均的で、さらに契約のたびに書類代などの名目で数千円も取られました。情けない話ですが、完全なカモ状態。毎月の返済額は、ジャンプ(利息だけ返済)する業者も含めて25万円前後に。まともに生活できる状況ではありませんでした」



飲む・打つ・買うという怠惰な生活に埋もれてから7年。三浦さんの借り入れ先は14社、借金総額は600万円まで膨らんでいた。家賃8万8000円のワンルームマンションから、家賃3万3000円の風呂無しアパートに引っ越したのもこの頃。自業自得以外の何物でもないだろう。



「最後に借りにいった闇金は、神田のマンションの一室にあって、こわもての年配者が机の後ろに無言で座っていました。『来るところまで来てしまった』。借用書を書く手が震え、まともに字が書けなかったのを覚えています」





●ついに限界、最初の債務整理へ!

すでに32歳になっていた三浦さんは、すがる思いでJR中央線の四ツ谷駅近くにあった弁護士会運営の相談窓口に駆け込んだ。そこで出会ったのが、その日が当番だった津田弁護士(仮名)だ。



真摯に解決策を模索してくれる津田弁護士の応対に、三浦さんは迷わず債務整理を依頼した。津田弁護士の粘り強い業者(14社)との交渉で、約600万円の借金は約350万円まで減少。一部の闇金業者からはクレームが入ったが、以後はピタッと全業者からの連絡はなくなった。





債務が残った9社の返済もすべて無利子となり、毎月9万円の払いで、約3年後には完済の見通しとなった。



「行き詰った私を親身に解決へと導いてくれた津田弁護士の恩義に応えるために、私も最後まで毎月9万の返済を続けました。その間は、酒こそ飲みましたが、ギャンブルは止めて、風俗も完全に断ちました。



津田弁護士からも、返済がひと区切りつくたびに、『頑張ってくれていますね。あと少しです』などと声をかけていただいて。そんな励ましがなかったら、最後まで返済を全うできたか分かりません。すべては親身な津田弁護士のおかげ。これで借金生活とは決別しよう。そう固く決意したはずだったのですが…」





●10年後のぶり返し バカにつける薬はないのか?

津田弁護士の債務整理のもと、約3年に及ぶ返済で、晴れて完済した安堵感からか、当時36歳だった三浦さんは封印していた競馬と風俗を徐々に解禁していったという。



それでも、借金完済から10年以上、余裕のある範囲内での遊興にとどめ、住居も風呂無しのアパートから賃貸マンションに転居していた。少しずつだが財形貯蓄も始め、生活自体を改善していった。



だが、50歳を過ぎた頃、あることがきっかけで、再び自堕落な生活に舞い戻ってしまう。



「プライベートではずっと独身で、仕事でも出世とは無縁の窓際族でしたから。何か刺激を求めていたのだと思う。そんな時、JR中央線沿いのとある駅前にあるメンズエステに通うようになり、その店の子とねんごろになったのです。



50を過ぎたオヤジが情けないと思われるでしょうが、本当にいい子だったのです。彼女の相談に乗ったりしているうちに恋愛感情が芽生え、店の外で会うことも多くなりました。



一緒に近場の温泉に行ったり、関西方面や離島などに旅行に出かけたり、土日は競馬場に行ったりと。楽しい時間でした。ただ、甲斐性もないのに、見栄で費用はすべて私が出していましたから、金が回るはずもありません」



そこで、三浦さんは再び借金に手を染めてしまう。すでに最初の債務整理で完済してから15年近くたっていたとはいえ、過去に利用し、債務整理の対象となった関係業者の審査はことごとく通らなかったという。



【※融資に際して「シー・アイ・シー(CIC)」「日本信用情報機構(JICC)」「全国銀行個人信用情報センター(KSC)」という指定信用情報機関が個別に審査を行う。延滞、債務整理、自己破産など、いわゆる「ブラックリスト」と呼ばれる事故情報は5~10年で消えると言われるが、過去に関係した業者等には半永久的に事故情報が残ることもあるとみられ、審査の運用は各金融機関によって違う】



一方、これまで利用したことがなかったあるクレジット会社に申し込むと、最大400万円の融資が下りたという。他にも、都銀系カードローンと、労働組合系のローンの審査にも通り、借入総額は再び500万円を突破した。



それでも、馬券の購入額が膨れ上がり、メンズエステで知り合った女性との交際費も増えていくと、再び闇金に手を出すようになる。「開いた口がふさがらない」とは、三浦さんのような、過去の失敗を繰り返す人のことを言うのだろう。



「その頃の闇金は店舗型でなく、ネット型に移行していました。『バカにつける薬はない』と言いますが、私は『闇金』『ブラックOK』などのキーワードで必死にネット検索を繰り返し、最大で3社の闇金から借りてしまったのです。ピークで闇金の借金は70万円にも達していました」



ちなみに、ネット型の闇金業者は、昔の店舗型の業者に比べ、5~15万円程度と小口融資が主流だという。利息は10日で2~3割、中には10日で5割なんていう考えられない利息を取る業者もあるという。



「あくまで闇金はつなぎ融資のための、最小限の利用でしたが、それでもジャンプ(利息だけ返済)するだけでも相当な額になる。まとまった金が入れば、最優先に完済していたのは言うまでもありません。



とはいえ、違法な闇金にコツコツと利息を払うバカらしさ、反社会的行為へのうしろめたさを、いつも痛感していました。人として恥ずかしく、絶対に周囲に知られたくないことでした」



余談だが、後に2度目の債務整理をした際には、三浦さんの勤務先に連日、10人前の上寿司が出前で届けられたという。店舗型に比べ、足が付きにくいネット型の闇金は、嫌がらせなど無茶がしやすい傾向にあるということか。



●情けなさ抱え、2度目の債務整理

すでに50歳を迎えていた三浦さんは、最後の機会と決意し、山手線のある駅近くにあった法律事務所を訪れ、2度目の債務整理をすることになった。



「もう50歳を過ぎていましたから。同じ過ちを繰り返してしまい、恥ずかしさ、情けなさ、嫌悪感で、自分自身が嫌になりました。いい加減、自堕落な借金生活にケリを付けようと。



さすがに津田弁護士には合わせる顔がなく、再度依頼に行くことはできませんでした。相手は仕事ですから、気にも留めないとは思いますが…。ネット検索で、信頼できそうな法律事務所を探しました」



2度目の債務整理を依頼した法律事務所は、闇金の対応実績も多いことで知られていたという。闇金業者の一部には、嫌がらせをしてきたところもあったが、継続的に利息を払ってきた経緯もあってか、残債務を放棄した格好になったという。



一方、400万円を融資したクレジット会社など3社の元本(計560万円)は、出資法の上限金利(20%)を下回っていたため、返済利息は譲歩(無利息)したものの、残債務の全額返済は譲らなかった。





●「プライド」が足かせに 反面教師の教え

津田弁護士に依頼した最初の債務整理と同様、三浦さんはこの法律事務所の返済計画通りに返済を続け、約7年もかかったが、2019年に全債務を完済した。当然だが、その後一切、借金はしていない。「飲む・打つ」も毎月の金額を決めて、楽しむ範囲にとどめているという。



三浦さんが延べ30年もの間、時間と金を無駄にしてきた要因をまとめると、以下のようになる。



➀今も独身で、自分で使える金が十分あり、また身近に異変を察する家族がいなかった。



②過去に「ブラック」な信用情報が登録されていたにもかかわらず、まだ融資を実行する金融機関が残っていた。



③合法な金融機関のローン、キャッシングだけでなく、違法な闇金の利用にも慣れてしまった。



④周囲に借金、自転車操業の事実を絶対に知られたくないという、本末転倒とも言えるプライドが強かった。



上記の中でも、自己責任の最たるものとして、③④が特に重要と思われる。



「いい歳をして、自堕落な生活にけじめをつけられず、無謀な借金を繰り返してしまった。そして、会社や友人、家族に知られたくないという、取るに足らないプライド、世間体を拭い去れなかったのが、私の最大の失敗だと思います。



これまで無駄にした利息を想像するだけでも、ぞっとします。それ以上に、無駄に過ごしてしまった時間は二度と取り戻せない。自業自得としか言いようがありません」



●「違法業者にだけはかかわらないで!」

三浦さんのような「自堕落生活」で借金を抱えた人もいるだろうが、昨今のコロナ禍の影響などで生活が立ち行かず、闇金などの違法業者を利用してしまう人も少なくない。



公的融資や助成金、給付金などはあっても、困窮者に何より必要なのは「スピード感」だろう。そこを闇金などの違法業者が、「即日融資」をアピールして近づいてくる。



かつてはダイレクトメールやスポーツ紙の広告、街角の電柱や看板などで利用者を募っていた闇金だが、今はネットを通じて、いつでも誰でも利用できる時代だ。



三浦さんは、「私のような最低の人間が言うのもおこがましいのですが…」と前置きしたうえで、自身の反省と懺悔の意味も込め、以下のように語った。



「闇金などの違法業者にだけは、かかわらないで欲しいと願っています!」



万一かかわってしまっても、法的には救いがある。三浦さん「でも」何とかなったのだから、諦めずに弁護士など、法律のプロに相談してほしい。