2021年05月29日 09:31 弁護士ドットコム
自身が発達障害だと気づかぬまま、生きづらさを感じる「グレーゾーン(大人の発達障害)」と呼ばれる人がいる。
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そうした人のなかには、高学歴でありながら、ひとたび働きだすと、人間関係がうまくいかず、仕事でミスを続けるケースも少なくない。
九州大学法学部を卒業したYさん(30代前半)も約3年前、発達障害とようやく診断された。
彼には苦手がたくさんある。新卒入社した職場で、切手をまっすぐに貼る作業ができず、鬱になった。職場を転々とし、今では無職だ。
発達障害の一種である「ADHD(注意欠陥多動性症候群)」とわかったときには、長年苦しみ続けた理由が「ふに落ちた」と涙したという。
人が当たり前にできることができず苦しんだ30年を振り返り、「発達障害でも、仕事で役立てたら、健全な人生が送れる」と語り、ふたたび就活に励んでいる。(編集部・塚田賢慎)
厚労省の調査によれば、医師から発達障害と診断されたのは48万1000人と推計される(2016年12月の数値)。診断に足を運ばず、発達障害と気付いていない人の数は含まれていない。
Yさんは幼稚園のころからすでに「人が当たり前にできることを自分は苦手」と自覚していたという。
幸い、言語能力は優れていた。学校のテストは、たとえ苦手な理数系であっても、問題文に日本語が使われていれば、なんとか乗り越えられた。教師から「変わったやつ」と思われようが、成績さえよければ評価された。
それが、社会に出ると、「なんとか乗り越える」ことは通用しなくなってしまう。
2011年に大学卒業後、団体職員(正社員)として就職すると、いきなりつまづいた。郵便物の切手貼りができなかったのだ。
上司は「切手の角度が傾くのは、ビジネス上の心遣いがなっていない」「みんなが当たり前にできるものを、なぜ適当にやるんだ。サボりだ。心が乱れている」と責めた。
「手先が不器用で、どうしてもよれてしまうんです。物差しを当てて、汗をダラダラ流してまっすぐ貼ろうとするけど、手に力が入って、また傾いてしまう。
汚くても責めない。僕じゃない人が貼る。郵便局に持ち込んで局員に貼ってもらう。選択肢はこれくらいあると思うけど、どれも選んではもらえなかった」
それ以外にも、単純な軽作業にいちいち手こずる場面は数えきれなかったという。
「職場に早くなじめ」と、社内部活動への加入が強制され、運動も早起きも苦手だが断れなかった。
人事の担当職員として、能力給を取り入れた給与体系の仕組み作りなど、できる仕事もあったが、体育会系の体質にフィットできず、体調を崩すようになり、鬱になって、休職した。
「復職しても、上司のデスクに『パワハラにならない範囲で、社員を辞めさせる方法』という趣旨の本が置かれるようになり、ここにはもういられないと考え、結局2年間で退職(自主都合)しました」
それから、双極性障害の診断名で、精神障害の手帳を取得したYさんは、ある企業で障害者雇用の契約社員になる(2013)。能力を存分にいかせる法務部に配属され、やりがいを持って仕事に取り組んだが…。
「隣接した忙しい部署の電話着信音や会話内容がひっきりなしになだれこみ、脳内の処理が追いつかず、また鬱になりました」
通院・入院をはさみ、1年半で会社を辞めた。
それから数カ月して、Yさんは障害者の福祉施設(利用者20人規模の就労支援A型事業所)にいた。
仕事内容は、自動車部品の簡単な組み立てや、チラシの封入・ポスティングだ。
前職までは2~6カ月のボーナスをもらっていたが、ここでの「給料」は県の最低賃金の時給に過ぎない。
同僚には、精神障害者もいれば、脳溢血の後遺症で手が不自由な人や、知的障害者がいた。
仕事をみる職員は、Yさんたちを子ども扱いしたという。
「幼稚園の先生のような言い回しで、私たちに作業を指示しました。敬語まじりでは、言葉を理解しにくい知的障害の利用者もいるから、子どもをあやすような態度で接してくることには納得しました」
絶対に納得できないこともあった。
自ら話していないのに、入所直後から、利用者たちが、Yさんの出身大学を知っていることに気づいたのだ。職員がしゃべっていたのだが、それを許せなかった。
「私はたまたま評価を受ける高校や大学に通ったけど、出身校で評価する人は嫌いです。この職場には、学校に行きたくても行けなかった人もいるはず。生きづらさを感じる仲間として、ともに働きたかったのに、私が大学を出ていると知れば、ひがむ人だっているはずです。仲良くなる前から、勝手に出身学校などの情報を漏らすような管理体制がいやで、数カ月で辞めました」
ここで気づいたこともあった。「障害者の誰にでもできる簡単な仕事です」と求人募集に書かれている仕事は、苦手だとわかった。
職員は、不得意な作業にあたるYさんたちに「脳溢血で右手が動かない人も、知的障害のある人も、一生懸命に頑張ってる。だから、苦手でも頑張って」と言ってきた。
障害者でも、みんな苦手なことは違うのに、「悪平等」を押し付けられていると感じたという。
その後もはたらいては辞めてを繰り返したものの、自分のペースや工夫で作業することが理解されず、人間関係も複雑で、苦労ばかり増えた。成果も全くだせない。
なので、はたらくことも、求職活動も、一定期間やめることにした。
そんなYさんが、どうして「発達障害」にたどりついたのか。「発達障害」とは別に、抑うつ症状に苦しんできたからだ。
Yさんが抑うつ感を感じて、初めて心療内科を訪れたのは18歳。高校を卒業した3月、市街地で強盗にあったことがきっかけだった。
「強盗にカッターナイフをつきつけられ、金品を盗まれました。警察を呼んでと頼んだ通行人にスルーされたこともショックでした。3月で通学も終わっているし、すぐ相談できる友達もいなかった。1人で抱えこんでしまったんです。
それからずっと体調は不安定で、入院や通院が必要になることもあり、うまくいかないことばかり。
抑うつに悩まされてから、さまざまな診断名がつきましたが、原因も対策もいまいちハッキリしない。家族のすすめもあり、原因をつきとめるために入院したんです」
病院で、Yさんは30歳をすぎて、ようやく発達障害と診断された。
検査では、「言語理解」などいくつかの項目について、得意・不得意をみる。得意な項目(=高い数値)と、不得意な項目(=低い数値)との、数値の差がひらいているほど、つまり、極端に得意なものと苦手なものがはっきりしているほど、発達障害の傾向があると判断される。
Yさんはやはり「言語理解」で極めて高い数値を出した。抽象的な言葉について、具体的な言葉で説明したり、実体験をまじえて説明したりすることは得意だ。
一方、「処理速度」の数値はかなり低い。たとえば、実生活においては、Excelの「Fの16」というマス目を探すことも大変だし、切手をまっすぐ貼り付けるのも苦手だ。
「項目の数値差が15ポイント離れていれば、発達障害の傾向があると診断されると聞きました。私は70離れていました。
検査にあたった精神科医や臨床心理士からは、『知っているなかでも相当な差が大きい部類だ。5本の指に入ります。歩く奇跡だ』とまで言われました。
私の通院期間や、入院期間を踏まえると、それで前向きに仕事を探していることだけでも奇跡だそうです」
自分を苦しめ続け、社会に適合できない理由がようやくわかったことで、Yさんは泣いた。
「そりゃうまくいかん。涙が出てほっとしました。うまくいかなくてもやもやしていたものが、すとんとふに落ちた。これで対策をとれるようになれば、死にたくなるような気持ちにオサラバできたり、苦しみが軽くなるかもしれないと思いました」
診断が遅れた理由のひとつを、Yさんはこう分析する。
「自分と周囲の感覚が違うことを、言語性の能力で知識として蓄え、さらに想像力で補うなどして、なるべく社会に適応しようとし、それがある程度できていた」
しんどくて音をあげそうなことを、根気強く約30年も耐えてしまったのは、ずっと、人と仲良くしたかったからだ。
「自分が抱える苦手を克服したら、友達と仲良くできるかなと四六時中、頭のなかで考えてきた。
みんなに迷惑をかけないために、一生懸命に私が考えること、やることを煙たがる人がいる。
足の不自由な人がマラソン大会で、すごくゆっくり走る。その姿に胸を打たれる人もいるし、気持ちわるいと思う人もいる。
『妖怪人間ベム』とか『X-men』ってご存知ですか。私が懸命に集団になじもうとするほど、早く人間になりたいと思えば思うほど、妖怪人間として嫌われる感覚です」
もっと早く診断されていればと思うこともあるが、「結果オーライである」とYさんは言う。
「私はコンサータという薬を飲んでいます。ADHDの治療にはリタリンという薬が処方されていましたが、乱用や不適切な処方を問題として、数年の間(2007年~2013年)、処方が止められました。
真面目に治療していた人が、それを苦にして、亡くなったケースもあります。
コンサータがない時期に診断されていたら、私もリタリンを飲んで、2021年まで生きていないと思うので、結果オーライです。
ずっと苦手や困難があって当たり前の人生です。もっと早く診断されていたらとか、タラレバは考えないようにしています」
「強いですね」。取材中、記者から思わず口をついて出た言葉に、Yさんは顔を歪めた。
「そう言われて、私もありがとうと思えればいいんですけど、素直に受け取れません。人の輪にまじりたいという気持ちでずっと突っ走ってきている。だから、『強い』とか特別扱いの言葉を言われたくないんです。
素直になれないのは、仕事の結果が伴っていないからでしょうね。目立たずとも、仕事で人の役にたっている実感がわくだけで、健全な人生が送れると思います。
人を責めたり、孤独を感じたりせず、ささやかでも、自分に自信が持てる程度には、私は頑張っていると思えるようになりたい。
だから、合理的配慮の考えがとても大事なんです。それがあって、発達障害の私が世の中の役に立てる前提が整うんです」
Yさんへの取材は、弁護士ドットコムニュースのLINEに情報を寄せてくれたことが発端だ。
障害者雇用における「合理的配慮」に関して、企業や、福祉業界で誤った認識が広まっていることを指摘するものだった。
当事者や雇用主、人事担当者が手に取るだろう本のなかに、誤りを見つけたというのだ。
雇用分野では、障害者差別解消法は適用されず、障害者雇用促進法が適用される(差別解消法13条)。にもかかわらず、同書では、誤って、民間事業者は「合理的配慮」を提供する努力義務を負うとする差別解消法(当時)のみを紹介していた。
正しくは、雇用分野の合理的配慮の提供は、民間企業であっても、事業主の法的義務(雇用促進法36条の2、36条の3)である。
ほかにも、障害者就労の情報メディアで同様のミスがあったという。
誤りを指摘したところ、出版元は障害者雇用促進法からの観点が不足していたとして、公式サイトで「補遺のお知らせ」を掲載した。
「障害による困りごとと折り合いをつけながらはたらく上で、合理的配慮を必要としている私自身や他の障害当事者の方々にとって、この問題はかなり痛手だと思います。一当事者の力では、とても解決できません。」(編集部にYさんが送ってきたLINEのメッセージ)
Yさんが複数の職場で経験してきた「障害による困り事」は、企業からの合理的配慮があれば、ある程度なら解決できる可能性がある。
厚労省の「改正障害者雇用促進法に基づく障害者差別禁止・合理的配慮に関するQ&A」を参照すると、このように書かれている。
「合理的配慮」とは、<障害者と障害者でない者との均等な機会や待遇の確保、障害者の有する能力の有効な発揮の支障となっている事情を改善するための必要な措置>と説明されている。
そして、<障害者差別解消法においては、合理的配慮を提供する事業者の義務は努力義務ですが、障害者雇用促進法においては、合理的配慮を提供する事業主の義務は法的義務となっています>
ただし、提供にあたっては、事業主に過重な負担となるか検討しなければならない。
Yさんが障害者雇用で働いたときは、「隣の部署の音がうるさいから配慮してほしい」と会社に求められなかった。
「当時、電話の音を苦手とするのは、発達障害の感覚過敏に起因しているとわかっていません。
僕は『音が苦手で気になるから、心を病んでしまう。だから環境を変えなければいけない』と考えるべきところを、『心が病んでいるから、音が気になってしまう。だから自分が心の症状を直さなければいけない』と考えてしまいました。
今だったら、障害特性を会社に伝えて、音を遮断する『イヤーマフ』を着用させてくださいと言えるかもしれませんし、合理的配慮の提供をお願いすれば、環境整備に応じてくれるかもしれません」
当時は、障害者差別解消法や改正障害者雇用促進法が施行される2014年より前のこと。「合理的配慮」の概念は社会には浸透していなかった。
「障害者がはたらくうえで、合理的配慮が企業の努力義務であると誤解されたままでは、障害による困りごとを当事者が抱えることになってしまう。現行法では法的義務となっています。最低限、現行法は正しく理解してほしい」
Yさんは今、求職活動を再開している。法制度としての合理的配慮はいまだ不十分とはいえ、あるとないとでは大違いである。
「まだまだ建前のようなもので、絵に描いた餅かもしれないし、浸透してないかもしれない。それでも、存在するのであれば、私にとっては、再チャレンジしたいと思わせる価値があるものです。だから、絶対に間違わないでほしいんです」
困り事を抱えた個人が求めたら、世の中のほうから手を差し伸べてくれる制度が社会にととのえば…。
切手を貼れずに一日中悩むことはなくなるだろう。 職場の大きな音もなんとかできそうだ。 障害者に悪平等を強いることもなくなるかもしれない。
いま、やっと仕事で役に立てるのではないかと期待している。
理解者が増えれば、企業に、社会に役立てると信じている。だから、法制度としての合理的配慮の正しい理解が広まってほしいと考えている。
「雇用されて働く以上、給料に見合う貢献をしたいのです。障害があっても成果を上げるためには、どうしても合理的配慮が必要です。
業務の中から出来る作業を切り分ける必要がある。作業の妨げとなる要因への対策が必要になる。時には会社や職場の方の負担になることをお願いすることもあるでしょう。
障害を言い訳にしないで済む状況が整えば、十分働けるつもりです。それで失敗したら、私の力不足。障害や世の中のせいにしたくないんです」