2021年05月28日 12:01 弁護士ドットコム
京都市の「屋外広告物条例」を根拠として、京都大学がキャンパス周辺の立て看板(タテカン)を撤去するのは、憲法が保障する「表現の自由」を侵害する――。
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京大職員組合がこのほど、大学と市を相手取り、慰謝料など計550万円の支払いをもとめて京都地裁に訴えを起こした。
京大のタテカンは「自由な学風」を象徴する文化として、長く親しまれてきた。
どうして撤去されることになったのだろうか。そして、なぜ提訴まで至ったのだろうか。京大職員組合の高山佳奈子教授に聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・山下真史)
京都市左京区の京大・吉田キャンパス周辺では、長年にわたって、さまざまな団体のタテカンが設置されてきた。
サークル活動の告知のほか、ときに京大らしい政治的な主義・主張も書かれたタテカンは、まさに「自由な学風」を象徴する文化だった。
ほとんどが学生によるものだったが、学外の市民も参加できるシンポジウム・学会の案内や、労働組合のニュースを掲示するタテカンもあった。
京大の敷地は広いため、大きな通り(今出川通り・東大路通り・東一条通り)に面して設置すれば、通行する人たちの目に止めてもらえた。
ところが、京都市は2012年ごろから、京大に対して、市の屋外広告物条例に違反しているとして、屋外のタテカンの撤去をもとめるようになった。
この条例では、屋外のタテカンは「屋外広告物」にあたるため、設置する場合は「市長の許可」が必要だと定められている。
市の行政指導を受けて、京大は2017年12月、「立看板規程」をつくり、翌2018年5月13日に"ルール違反"のタテカンを一斉撤去した。
このときに撤去されたのは、学生のタテカンだけでなく、京大職員組合のものも含まれていた。副中央執行委員長の高山教授(法学部・刑法)は次のように話す。
「タテカン設置について定めた『立看板規程』は、その内容からも、学生団体を対象としたもので、職員組合は対象でないと理解していました」(高山教授)
立看板規程は、要するに、京大総長がみとめた「団体」だけが、指定した場所・期間にルールを守ったうえでタテカンを設置してよいというものだ。
「いきなり職員組合のタテカンが撤去されたときには、大変驚きました。規程をつくることや、その適用範囲について、まともに話し合う機会がなかったので」(高山教授)
職員組合によると、遅くとも1960年代から、キャンパス内外にタテカンを設置してきたが、労使の慣行として、大学側から明示的にみとめられていた。
歩道上には設置されておらず、強風が予想されときは撤去するなど、対応をとっており、たとえ風に飛ばされたとしても、軽量ボードであるため、人がケガをするようなものではなかったという。
また、そもそも職員組合は「労働組合」であるため、一定の基準を満たしていれば、タテカンの設置で「市長の許可」は不要だった。
撤去はおかしい、どうすれば再びタテカンを出せるようになるのか――。職員組合は、顧問の法律事務所と協議し、まずは大学側に団体交渉で復旧をもとめることにした。
しかし、交渉のたびに、大学側の説明はコロコロと変わっていく。まともに話し合いが進まず、さらに"決裂"ともいうべき出来事が発生した。
職員組合は2020年6月16日、屋外広告物条例の規制を前提として、『こうすれば問題なく合法である』という解釈による方法で、タテカンを設置した。
ところが、こちらもあっという間に撤去されてしまったのだ。
そのあとの団体交渉では、大学側から「違法行為だ」とまで言われたという。「これ以上は、話し合いによる解決は難しい」。職員組合は今年4月28日、提訴に踏み切った。
訴状によると、職員組合は、次のような主張をおこなっている
(1)京都市の屋外広告条例は、市民にとって極めて重要な表現活動の場を必要以上に規制しており、憲法に抵触している
(2)京都市が、京大周辺のタテカンは条例に違反するとして、撤去をもとめる行政指導をおこなって、京大がタテカンを撤去したことは共同不法行為にあたる
(3)京大は団体交渉でも、一切の調整をおこなうことなく、労働組合である職員組合がタテカンを掲出することを拒否しつづけているので、不当労働行為にあたる
もちろん景観を保護する必要があることについては、職員組合もみとめているところだ。
「ただし、保護すべき景観は、『表現の自由』や『労働者の権利』と対立するので、そのバランスの中で、規制(条例)を決めなければいけないというのが、憲法の原則です。
しかし、条例では、そのバランスがとれていません。
京大周辺で、学生や職員組合のタテカンがあったとしても、京大の景観を形成しているだけで、ほかの歴史的建築物が見えなくなったり、景観を害したりするわけではありません。
タテカンを撤去しても、垣根や柵が見えるだけです。そこには守るべき景観がなく、むしろ、タテカンこそが京大らしい文化的な景観だといえます」(高山教授)
また、市の条例では、どの区画で、どれくらいの面積まで屋外広告物を掲示してよいか、細かく定められている。そこでは大学も一般店舗の区画も同じに扱われている。
「まさに京大が狙い撃ちにされています。どんなに敷地が広くても、1区画15平米以下となってしまうというのは、明らかに不合理な差別にあたると思います。
この指定は、市長の裁量でできるので、条例を改正しなくても解決すると思いますが、土地の利用方法も違うことから、特別な指定にしてほしいと考えています」(高山教授)
職員組合は、市の行政指導も不法行為と主張しているが、どのような内容だったのか。京都大学新聞が、市に開示請求をおこなったところ、行政指導の文書にはまったく理由を示すことなく「関係法令に抵触しています」と書かれていたという。
職員組合によると、市は「組合の看板を撤去せよ」という指導まではしていないようだ。だが、どこまで強い指示だったのかも含めて、はっきりとしていない。
「というのも、タテカン撤去の背景は、事実上、学生に対する弾圧だからです。職員組合はそれに巻き込まれた、つまり、とばっちりを受けたのです」(高山教授)
なぜ、もともと学生が狙われるようになったのか。実は、ゴリラ研究の一人者として知られる山極寿一前総長時代から「自由な学風」に翳りが見えはじめた。
このタテカン以外にも、「吉田寮」の立ち退き問題が発生するなど、学生たちに対して、大学側は強硬な態度をとっているのだ。
今回の訴訟は、学生たちにとってはどんな意味があるのだろうか。
「フロントに立つのが、職員組合だという認識です。
職員組合は、明示的にタテカンを掲示することがみとめられてきた団体として、継続性があります。タテカンの大きさも安全性も、どこをとってもケチをつけられないものだったので、一番強い立場にあると考えます。
一方で、学生団体はかならずしも、同じ人がずっと活動しているものではありません。また、職員組合と同じように小さいタテカンを安全に設置しているケースもありますが、一部に大きなものや、危なそうに見えるものもあります。そのため、職員組合と比べて不利なのです。
しかし、もし裁判で、職員組合の主張がみとめられれば、条例による不合理な制限や区画指定があらたまるチャンスがあります。その意味で学生のタテカンにも影響があるでしょう。
そもそも、学生のタテカンも、文化的・政治的なものですので、商業広告よりも『表現の自由』として保護される価値が高いといえます
条例で明文化されていませんが、その点から考えても、学生たちのタテカンも保護されてよいのではないかと考えています」(高山教授)
京大と京都市は、弁護士ドットコムニュースの取材にいずれも「訴状が届いていないので、コメントできることはございません」とした(5月27日)。
一斉撤去から、もう3年が経った。今でも、吉田寮の周辺など、一部でタテカンは残っているが、百万遍交差点など、目立つ場所からはなくなってしまった。
ありし時代を知っている現役学生も少なくなってきているが、このまま「自由な学風」とともにタテカン文化が歴史にかなたに消えることには、強い違和感をおぼえる。
そのきっかけとなった行政指導がどのようなものだったのか含めて、不可解なことが多くある。今回の裁判によって、それらが白日のもとになってほしいと思う。
第1回期日は8月5日、京都地裁で開かれる。