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美術マンガ『ブルーピリオド』が描く“青の時代”とは? 絵を描くこと、表現することへの葛藤

2021年05月28日 10:21  リアルサウンド

リアルサウンド

『ブルーピリオド』で描かれる“青の時代”

※本稿は『ブルーピリオド』第10巻のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。


 「青」といっても色々ある。鮮やかなウルトラマリンに濃いプルシアン。爽やかな群青に深い紺青。それらの「青」から浮かぶイメージも、晴れ晴れとしていたり沈んでいたりと様々だ。


 マンガ大賞2020を受賞し、5月21日に最新の第10巻が出た山口つばさ『ブルーピリオド』(講談社)にも、多彩な「青」がちりばめられていて、新緑のようにわき出る興味を誘ったり、憂鬱に沈む気持ちに寄り添ったりしてくれる。


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 同級生たちと出歩き、飲んでサッカーを見て騒ぐだけの日々を送っていたマイルドヤンキーの高校生、矢口八虎が美術に興味をひかれ、美術部で絵を描き始める。自分で何かを作る喜びを知った八虎は、倍率が最高という東京藝術大学美術学部絵画科の油画専攻に進みたいと考え、美大予備校に通って本格的に絵に取り組み始める。


 以上が『ブルーピリオド』のイントロダクション。タイトルには元ネタがあって、不世出の大画家、パブロ・ピカソの生涯で20歳あたりから数年間続いた「青の時代」からとられている。この頃のピカソの絵は、青い背景に沈み込むように、裕福には見えない人たちが不健康そうな顔色で描かれ、見る人を陰々滅々とした気分へと引きずり込む。


 芸術に行き詰まっていたというよりは、当時のピカソが陥っていた精神状態が反映されたもののようだが、情熱的で奔放なイメージのピカソにあって「青の時代」の作品は、若さ故の苦悩が反映されたものとも捉えられそう。『ブルーピリオド』で八虎や美大を目指す他の予備校生たちが、技術に苦しみモチーフに悩む姿はまさに「青の時代」といったところだ。


 そんな谷底のような陰鬱とした青に、八虎が明け方の渋谷で感じた爽やかな青を差すような感じで、藝大合格という大目標を突破し澄み切った蒼天に駆け上る展開で、『ブルーピリオド』という作品が大団円を迎えても変ではなかった。ところが、山口つばさはその先に、より混沌とした「ブルーピリオド」を用意していた。


 八虎は、美大予備校で知り合った絵の天才、高橋世田介といっしょに藝大の油画専攻に合格し、新たな第一歩を踏み出す。藝大なり美大に合格するためのテクニックを知れるハウツーコミックとしても楽しめたストーリーは、ここから美術の本質へと迫る泥濘へとハマり込んでいく。


 入学前に描いた作品を藝大の教授たちに見せた八虎に、教授は「コレから先どういう作品を作っていきたいの?」と尋ね、最初の課題の「自画像」のコンセプトに「これ絵画でやる意味ある?」と問う。美術とは絵を描くことで、藝大とは絵を学ぶ学科で、だから絵を描いて当たり前と思っていたら否定された。絵を描くとは何か。そもそも表現するとはどういうことかといった疑問にぶち当たり、八虎は迷い始める。


 「藝大に入って1年生の時に、何を描いたら良いか分からなくなってしまったんです。そこで、自分が好きだったものの原点に戻ろうと思い、マンガを描き始めました」。マンガ大賞2020の贈賞式での山口つばさのコメントに、藝大進学を果たした第7巻から描かれる内容が、示唆されていたように今なら思える。『ブルーピリオド』というタイトルに込めて描こうとしていたものが立ち現れたのだとも。


 絵のド素人からスタートした八虎が悩むのは当然だが、第10巻ではさらに、天才的な画力を持っていて、描くことに一切の迷いも悩みもないように見えた世田介をも、混沌とした青色が包み込む。


 冒頭、「絵を描くの好き?」と聞いた八虎に世田介は、「絵を描くのが好きだと思ったこと、一度もない」と答え、「それって何か意味あるの?」と聞き返す。好きでなければ描いてはいけないのか。巧いから描くだけではいけないのか。子供の頃に巧いと褒められ、そのまま描き続けてきた延長線上で藝大まで来た世田介にとって、描くことはただ描くことで、それ以上でも以下でもなかった。そんな世田介を初めて襲った葛藤が、覚醒へと至る「青の時代」が、第10巻を通して描かれていく。


 こう言うと、憂鬱と例えられるダークな青色ばかりが目立つ作品だが、新入生たちが力を合わせて神輿を作り、おそろいの法被を着て踊り、模擬店を出して盛り上がる様はまさしく青春。新緑が芽吹き、生命感があふれ出すライトな青色に彩られていて目が眩む。新型コロナウイルス感染症の影響で大学に通えず、友達作りもままならない状況が終わり、悩みもあれば喜びもある青色のグラデーションに、早く包まれるようになって欲しいものだ。


 コミックでは他に、第1回のマンガ大賞を『岳 みんなの山』で受賞した石塚真一による、『BLUE GIANT』というシリーズがある。仙台で育った宮本大が世界一のジャズプレイヤーになると決め、テナーサックスを吹き始めて幕を開けた物語は、日本を出て欧州に渡った大が癖のある仲間たちちと出会い、ジャズプレイヤーとして名前を知られていく『BLUE GIANTGIANT SUPREME』を経て、ジャズの本場アメリカでの旅を描く『BLUE GIANT EXPROLER』へと続く。


 天文用語で激しく燃える星を青色巨星=ブルージャイアントと呼び、転じてジャズプレイヤーの中でひときわ明るい輝きを放つ存在をそう呼ぶようになったという。大が目指すのもそんな巨星。だから『BLUE GIANT』というタイトルになった。


 自分のやることに迷いを持たず、雲ひとつない蒼天を突き進むイメージの大は、美術とは何かに迷う「青の時代」を生きる八虎や世田介たちは正反対だ。そんな3人が青春の旅を経てたどり着くのはどんな場所かを見たくてたまらないどちらも紆余曲折はあるだろうが、歩みだけは止めないで欲しい。人間至る所青山あり、なのだから。


(文=タニグチリウイチ)