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『鬼滅の刃』の“全集中の呼吸”はどう翻訳された? 言語学者が英語版コミックを分析

2021年05月27日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba, Vol. 1

 劇場版『鬼滅の刃』の勢いが止まらない。全世界累計来場者約4135万人、総興行収入約517億円を記録。中でもアメリカでは外国語映画のオープニング興行成績において、歴代1位を獲得したことは記憶に新しい。そこで一つ気になるのが英訳だ。果たして、『鬼滅の刃』のセリフの巧みさ、絶妙なニュアンスはうまく英語に訳されているのだろうか。


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 今年1月に出版され話題となった『「させていただく」の語用論』(ひつじ書房)の著者で、法政大学文学部英文学科教授の椎名美智先生に『鬼滅の刃』がどう翻訳されているか分析してもらった。(編集部)


■『鬼滅の刃』英訳で失われてしまったもの


 私たちは『鬼滅の刃』を漫画でも映画でも日本語で見ており、「「全集中の呼吸」で答弁させていただく」と国会答弁をしていた国会議員がいるくらい、大人から子供まで流行っています。これからは海外でさらに多くの人が映画を見るだろうし、漫画も英訳されているので、たくさん読まれることでしょう。そして、必ずや全世界で人気を博するはずです。


 そこで気になるのが、英訳です。はたして、日本語のニュアンスはちゃんと伝わっているのでしょうか。そこで、第1巻だけですが、日本語のコミックと英訳を比較してみました。 


 さきほども引用したように、「全集中の呼吸」「水の呼吸」「ヒノカミ神楽」などの呼吸法や技の名前は、大人が面白がって使うほどです。まず、この流行り文句がどのように訳されているのかみてみましょう。


・全集中の呼吸:TOTAL CONCENTRATION BREATHING


・水の呼吸:WATER BREATHING


・水の呼吸 壱ノ型 水面斬り WATER BREATHING, FIRST FORM, WATER SURFACE  SLASH 


・水の呼吸 弍ノ型 水車:WATER BREATHING, SECOND FORM, WATER WHEEL


・水の呼吸 肆ノ型 打ち潮 FOURTH FORM, STRIKING TIDE


 日本語がそのまま英語に変換されています。わかりやすいというか、読者は元々の日本語と同じ程度に理解できると思います。つまり、日本語でわかるものは英語でも同程度にわかるだろうし、日本語でわからないものは、英語でも同程度にわからないだろうということです。日本語で読む人も、英語で読む人も、想像力を使って、どんな呼吸法か、どんな技なのか、絵を参考に考える必要があります。


 主人公の炭治郎はいたって普通の男の子で、言葉遣いも普通です。人に優しかったり、妹を思いやったり、独り言で弱音を吐いたり、強気になったりしています。そうした普通のセリフ部分は、ほとんどそのままわかりやすい自然な英語の会話体で訳されています。とてもうまく訳されていると思います。


 大きな違いがあるとすれば、一つはオノマトペです。擬音語、擬態語が、かなり日本語と異なります。私たちは、オノマトペはとてもわかりやすくて、微妙な雰囲気やニュアンスが伝わると思っているのですが、実はオノマトペは、上級の日本語学習者でも、なかなか感覚が掴めなくて、理解できない難しい項目の一つです。音象徴というのですが、音の喚起するイメージが、日本語と英語では異なるからでしょう。説明されないとわからないようです。


 例として、格闘シーンを見てみましょう。


・刀を振り回すビュン:FWSH 


・尻餅をつくド、雪を投げるビュ:FMP


・刀でつくドッ:SHNK


・刀に石が当たるガキイ:KTAK


・斧を素早く振りまわすブン:WHP


・雪の上に尻もちをつくザン:SKFFF


・刀を体に突き刺すドガ:THOK


・足で蹴りを入れるドガ:WHOK


・心臓の音ドクン:BOMP


 日本語だと濁音系が使われると強くぶつかる感じがします。「ド」は母音の部分が「オ」なので、重い感じがします。英語ではそれがT H、W HP、MP、SKFFといった子音の連続になっています。唇や歯などを使う摩擦音(F、TH、S)や閉鎖音(K、P)を使って、擦れあったりぶつかったりする感じを出しています。重さを感じるような大きい音の感じはTHOK, WHOK, BOMPと、Oが使われています。決定的に違うのは子音の使い方で、英語と日本語の音の印象はかなり違っています。


 一方、登場人物たちの叫び声は、比較的似ています。母音からは始まる音は英語に馴染まないのか、語頭には子音がついているところが、ちょっと違うくらいです。


・アアアアア:GAAAAGH


・ギャアアッツ:GYAAAH!


 さて、『鬼滅の刃』の魅力は、なんとかわかる程度に少し古いレトロな言葉が使われている点にもあります。炭治郎は技以外の部分で難しい言葉は使いませんが、炭治郎に技を教える人たちは修行をつんだ鬼殺隊の人なので、厳しい教えを炭治郎に言います。日本語で読むと、漢語が多く言い切り形なので、キッパリとした強い口調、少し難しい感じが時代を感じさせてくれます。英語だとそれが説明的になってしまっている分、日本語での厳格さやキッパリ感が十分に伝わらない印象があります。例をみてみましょう。


・生殺与奪の権を他人に握らせるな!!:NEVER LEAVE YOURSELF SO DEFENSELESS IN FRONT OF AN ENEMY(訳:敵の前で無防備でいるんじゃない)


・笑止千万!!:IF YOU WANT SOMETHING, YOU MUST FIGHT FOR IT!(訳:欲しいものがあるなら、そのために戦うんだ)


・御自愛専一にて精励くださいますよう:MAY THIS FIND YOU IN GOOD HEALTH AND IN GOOD SPIRIT(手紙文)(訳:心も身体もお健やかであられんことを)


・今日は転がし祭り:TODAY, I DID NOTHING BUT FALL DOWN(訳:今日は倒れてばっかりだった)


・そんなものは男ではない:YOU’LL NEVER BE A DEMON SLAYER(訳:お前は鬼殺隊にはなれない)


・隙の糸:OPENING THREAD, THE SPOT(訳:開く糸、点)


 「生殺与奪の権を他人に握らせるな」という言葉は「敵の前で無防備でいるんじゃない」となっています。日本語の「生殺与奪の権」という少し難解な名詞の持つ厳格さ、キッパリした言葉の持つフォースが、英語だと説明的になっているために削ぎ落とされています。


 弱音を吐く炭治郎に鬼殺隊のひとりが「笑止千万!!」という場面があります。「笑止千万」というのは、今ではあまり使われなくなったちょっと古い慣用句です。この言葉からは、「バカバカしい!」と切り捨てる相手の強い憤りが感じられます。


 しかし、英語では「欲しいものがあるなら、そのために戦うんだ」と、前後の文脈を説明した意訳になっています。話の筋はわかりやすくなっていますが、きっぱり切り捨てる感じは薄れています。


 私たちが登場人物たちの服装や言葉遣いから感じる、懐かしい感じ、レトロ感は、残念ながら、英訳にはうまく出ていません。英訳では、話の筋がわかるように状況説明を優先させているからです。もっとも、こうしたレトロ感は、そういう服装の人が昔いたことを知っている人だけが感じることができるもので、外国の人がはじめてこの漫画を読んでも、服装や場所や道具、そして物言いの全てが馴染のないものでしょうから、懐かしさなどを感じることはないでしょう。私たちの感じるレトロ感は、英訳では、全てエキゾチシズムに変換されているのだと思います。


 ここに描かれているのはもはやサムライの時代ではありませんが、私たちは態度、振る舞い、刀の使い方、そして物言いから、なんとなく武士道的な潔さ、教養、強い意志といったものを感じます。英語の訳では、わかりやすさを優先して説明的になっていることにより、そういう部分が削ぎ落とされているのだと思います。文化的背景が異なる読者に向けて、話の筋がわかるように英訳されているわけですから、当然のことです。絵が補足してくれるとはいえ、そうしたニュアンスまでも、短いセリフの中で伝えるのは至難の業です。


 しかし、そこがなんとも惜しいところです。ただ、翻訳によって失われたものがあることを、英訳を読む読者が感じないわけではないと思います。熱烈な海外の漫画読者なら、そこを読み込みたいと思って、日本語で読んでくれるようになるかもしれません。