2021年05月22日 09:01 弁護士ドットコム
自動車を運転中、まるでブラックホールのような暗闇に吸い込まれていく恐怖体験をしたドライバーがいる。
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トラック運転手だった東京都在住の沢田和也さん(仮名、63歳)は、運転中に意識もうろうとなり、制御不能の恐怖を味わった。検査で分かったことだが、原因は病気だった。
沢田さんは「いつか取り返しのつかない事故を起こすに違いない」と確信し、生活の命綱とも言える運転免許証の「自主返納」を決意したという。
予見可能で、過失では済まされない重大な交通事故が後を絶たない昨今、事故を未然に防ぐため、運転免許証を自主返納する件数が増えているという。
今、何らかの不安を抱えるドライバーが自ら、重大事故を未然に防ぐための勇気ある行動に注目が集まっている。(執筆家・山田準)
沢田さんが仕事でトラックを運転中、ブラックホールのような暗闇に吸い込まれていく恐怖を体験したのは、今から5年前の2016年だった。運転中に突然、意識がもうろうとしてきて、両手両足が緊張で固まり、思うように車を操作できない状態に陥ったという。
「その日は長距離運転で疲労がたまっていたのか、運転していて何か怖いなという状態が続いていました。夜の8時頃だったと思いますが、一般道の大きな橋を渡り始めたら、突然意識が遠のき始め、自由に手足を動かせなくなったのです。言葉で説明するのは難しいですが、ブラックホールというか、暗闇のようなものに吸い込まれていく感覚で……。
無理やりにでも、車を橋の左側面にぶつけないと車をとめられない。ブラックホールに吸い込まれて、死んでしまうかもしれない。意識が遠のく恐怖の中で、必死に格闘した場面を、今でも鮮明に覚えています」
沢田さんは、それまでも何度か、運転中に恐怖を感じることがあったという。疲労が蓄積している夕刻以降や、高速道路や長い橋、長いトンネルの走行中に怖さを感じることが多く、ハンドルを持つ手は小刻みに震え、動悸も激しくなった。
そんな状況になると、決まって手に脂汗がにじみ出て、服やタオルで必死に脂汗をふき取ったという。すぐに車を停めて休憩が取れる環境ならまだ良かったが、夕刻以降に高速道路を走っている時や、海を横断する長い橋を渡っている時などは、恐怖でパニック状態になった。
だが、前述の“ブラックホール体験”は、それまでの恐怖体験とは比較にならない、極限の恐怖だったという。死を意識し、覚悟する恐怖体験など、そうそうないだろう。
「意識を失いかけ、もう駄目だと死を覚悟しました。でも、このまま死んだら二度と子供に会えない! それだけは嫌だ! そんな気持ちが芽生えたのは確かです。一番下の子はまだ幼稚園児でかわいい年ごろ。今後の養育もありますから。意識が遠のいていくはざまで、必死に子供の名前を叫んだことを、はっきり覚えています」
その思いが天に通じたのかどうかは分からないが、意識を失う寸前で橋を渡り切り、運よく左側にあったスペースに車を突っ込ませた。車体は傷づいたが、他人や自身を傷つけることだけは回避することができた。
「あのまま意識を失っていたら、恐らく悲惨な結末になっていたと思います。今でもよく、あの瞬間を思い出します。傷つくのが自分だけならまだしも、もし人様を傷つけてしまったら、取り返しのつかないことになりますから。本当に、子供の存在に助けられたと思っています。無事に済んだことに、心から感謝しています」
長距離の仕事から東京に戻ると、すぐに自宅近くにある大学病院に駆け付けた。同病院では神経内科と脳神経外科を受診。CT、MRIなど複数の検査を行い、脳の一部に石灰化した出血の跡があることが分かった。
それまでも慢性的な手の痺れや、呂律が回りにくくなることはあったが、因果関係は不明のまま。沢田さんが「運転中、ブラックホールのような暗闇に吸い込まれそうになった。普段の運転でも恐怖を感じることがある」と、医師に何度説明しても、理解はしてもらえなかった。
「結局、神経内科では診断が出ず、脳神経外科の医師に告げられた診断名は、脳動静脈奇形でした。ただ、この脳血管障害が痺れや頭痛の原因とはなっても、運転中の恐怖体験に直接結びつくかどうかは分からないとのことでした。生命にかかわる恐怖体験だっただけに、もやもやした気持ちだけが残りました。医師には、特に運転を止められることもありませんでした」
ちなみに脳動静脈奇形とは、10万人に1人と言われる先天的な脳血管の病気で、毎年約2~3%の患者が脳出血を起こすと言われている。主治医には手術の選択肢も示されたが、運転中の恐怖体験の明確な原因が分からない不安と不満から、沢田さんは手術という選択を拒み、経過観察とした。結果的に、この選択は正解だったという。
それから3年後のある日の夜、沢田さんは運転中に、かつてない痙攣(けいれん)に見舞われ、意識もうろうとなった。不幸中の幸いとでも言うべきか、近くに急患を受け入れている総合病院があり、沢田さんは無我夢中で関係者の通用口前に車を突っ込ませた。
まともに呂律が回らない状態ながら、夜勤の警備員に状況を告げると、まもなく意識を失ったという。気が付いたのは深夜の入院病棟で、ICUで緊急処置を受けた直後だったという。
「気が付くと、左上半身の痺れや顔面の痙攣が続いていて、点滴で抑えている状況でした。翌日から複数の精密検査を行い、医師に告げられた診断名は『脳血管障害による症候性てんかん』でした。
ただ、その後も検査を続けた結果、てんかんを誘発する脳血管障害が脳動静脈奇形ではなく、日本でも症例がほとんどない、全く別の脳血管障害ということが分かりました。
【※てんかんは100人に1人の割合でいるとされ、日本にも約100万人の患者がいると推定されている(日本てんかん協会)。大きく分けると、脳に何らかの障害があって起こる「症候性てんかん」と、原因不明の「突発性てんかん」がある。脳梗塞など脳血管障害を原因として発病する高齢者が増えている】
医師の話だと、もし3年前に脳動静脈奇形ということで手術をしていたら、全身に麻痺が残った可能性もあったとのことでした。納得のいかないまま手術に踏み切っていたらと思うと、ぞっとします」
3年前の、「納得がいかないから手術をしない」という沢田さんの判断は、結果的に正解だった。一方で、当時体験した、運転中に暗闇に吸い込まれていく現象の原因を究明できなかったことが、3年後、あわや大事故に結び付く危険な状況を招いたとも言える。重大な事故を招かなかったことだけは、不幸中の幸いだった。
沢田さんのように体の異変を察知しながら、諸事情から運転を続けるドライバーもいれば、全く予兆のない中、ある日突然、体に異変が表れ、重大な事故を起こしてしまうドライバーもある。
後者のケースは難しい面もあるが、少なくても沢田さんのような予兆があるケースでは、運転自体に慎重になる必要があるのではないか。事故を起こせば、被害者やその家族はもちろん、自身の家族にもつらい思いをさせるのだから…。
「ひとつ間違えれば、私だって悲惨な事故の加害者になっていたかもしれません。本来なら、ブラックホール体験の時に運転をやめるべきでしたが、原因が分からず、そのままずるずると運転を続けてしまった。
でも、原因がはっきりと分かりました。医師からも当面は運転しないようにとの指示もいただいたので、これを機に、きっぱり運転をやめる決心ができました」
今回の沢田さんのように、病気の種類、症状によって、運転免許が取り消されるケースは少なくない。例えば、てんかんの場合は、医師の診断書に2年以内に発作があることが明記されれば免許は取り消される。
沢田さんの傷病名は脳血管障害を起因とする「症候性てんかん」。幼少時にてんかんを発症するケースもあれば、沢田さんのように年配者になってから、脳血管の病気が原因で発症するケースも少なくないという。
てんかんには複数の種類、症状があるが、発作の起こり方は人によって一定のパターンがあるという。沢田さんの場合は症候性の部分てんかんで、左手から痺れが始まり、それが左顔面まで伝わると、意識を失いかける発作に発展するようだ。
現在も投薬治療を続けているが、平均月1回の割合で発作が起こるという。疲労や寝不足、暗い中でテレビや携帯を見たりすると、発作につながる確率が増えるそうだ。
いつ完治するかも分からない、むしろ永続的に投薬治療を続けるケースも少なくないというてんかんを抱えていては、運転のリスクは拭い去れない。
ちなみに、てんかんで運転免許が取り消されても、救済措置として、取り消し後、3年以内に再提出した診断書に、2年以内に発作がなかったとの文言が明記されれば、運転免許の再取得が可能となっている。
だが、沢田さんは、万が一にも事故を起こし、周囲を不幸にする可能性をゼロにするため、運転免許証の再取得の道を自ら閉ざし、自主返納することを決意したという。
「周囲からは病気の症状を見守りながら、再取得の道を残しておいた方がいいのでは、とも言われましたが、一時良くなっても絶対大丈夫との保証はありません。万が一にも他人様を傷つけるような、取り返しのつかない事故を起こさないためにも、運転免許証を自主返上することにしました」
参考までに、運転免許証の自主返納制度は1998年4月に施行された。年齢制限などはなく、加齢や病気で運転に不安を感じたり、運転免許証が不要になったりしたドライバーが、自主的に免許証を返納する制度だ。
2001年の道路交通法改正により、免許を返納したドライバーが返納から5年以内に希望すれば、公的な身分証明書の代わりとなる「運転経歴証明書」が発行されるようになった(施行は2002年6月)。2012年には銀行等で本人の確認書類としての使用も可能となっている。
警察庁の運転免許統計によれば、制度が創設された1998年の自主返納件数は2596件。運転経歴証明書が施行された2002年でも8073件に過ぎなかった。
だが、昨今の重大事故の多発などを背景に、自主返上件数は劇的に増加。2019年は60万1022件(75歳未満は25万594件)、2020年は55万2381件(同25万4929件)にも達している。
運転免許証の自主返納という決断を下した沢田さんは勤務していた運送会社を辞め、現在はてんかん発作をコントロールしながら、警備やスーパーの仕事を掛け持ちでしている。
ドライバー時代に比べて収入は減ったようだが、交通事故のリスクと無縁の生活で、精神的に楽になり、肉体的にも負担が減ったという。
「もちろん免許を自主返納して支障がないとは決して言いません。収入も減りましたし、普段の生活でも、年老いた両親の介護施設や病院通い、家族の送迎などで車が使えないのは、正直大きな痛手です。
でも、免許の自主返納によって、人様を傷つけたり、自分の家族を悲しませたりする不幸な事故を100%防ぐことができます。不幸な事故と運転による便利さでは、その重大性において比較になりませんから」
運転免許を返納した今、無責任なあおり運転や年配者の暴走事故のニュースを見るたびに思うことがあるという。
「交通事故が起こって得をする人なんか誰もいない。私が言うのも恐縮ですが、特にまじめに生きてこられた高齢者の方が、悲しい事故を起こし、晩節を汚すような結末になることだけは、未然に防いでいただきたいと思います」
飲酒運転や居眠り運転、あおり運転などは論外だが、沢田さんのように自覚できる病気があるケースや、高齢者、運転履歴に問題のあるケースなど、自主的に防ぐことができる交通事故も少なくない。
運転免許証を自主返納することで、首都圏と過疎地では生活の質に大きな差が出ることは否定できないが、何より重要なことは、危険の予兆のあるドライバーによる事故を未然に防ぎ、悲惨な交通事故から社会を守ることだろう。
何の罪もない相手やその家族を守ることはもちろん、大切な自身の家族を悲しませないためにも、事故のリスクを抱えているドライバーが、運転免許証を自主返納する意義を真剣に考える時期に来ているのかもしれない。