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押見修造が“毒親”描く問題作『血の轍』7巻レビュー 歪んだ母子の絆はますます強固に

2021年05月20日 13:31  リアルサウンド

リアルサウンド

『血の轍』7巻

■母が犯した「たいへんなこと」


 毒親(toxic parents)なる言葉が作られたのは1989年のことらしいが、我が国でそれが社会的な問題としてメディアなどで広く採り上げられるようになったのは、ゼロ年代の終わり頃からだったろうか。それに伴い、毒親、すなわち子供に悪影響を及ぼす親をテーマにした映画やドラマ、小説が次々と作られるようになり、漫画の世界にも強烈な問題作がひとつ誕生した。押見修造の『血の轍』である。


 主人公の名は長部静一。やや内向的ではあるが、いたって普通の中学生だ。そんな彼は母親・静子の過剰な愛情のもと日々を過ごしているが、まだそれに違和感をおぼえることはなく、むしろ頻繁に家に遊びに来るいとこのしげると伯母にうんざりしている。そんなある日、父方の親戚が揃って山登りに行くことになった。そこで母の静子が「たいへんなこと」をしでかしてしまう――というのが、1巻のラストまでのおおまかな流れだ。あとは現時点での最新刊である7巻にいたるまで、ひたすら「その後の日常」が描かれるわけだが、これがなかなかコワイ。


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 物語が進むにつれ、静子もまた義姉やその家族にうんざりしていたということがわかり、静一への歪んだ愛情を暴走させていくのである。彼女は時に狂気を爆発させ、時に近親相姦的な愛を押しつけ、息子を恐怖と優しさの両面から精神的に支配していくのだった。いま近親相姦的と書いたが、より正確にいえば、静子の静一に対する愛情は「自己愛」の変形だろう。だから自分の言うことをきかない息子に対して、キレるのだ。


 そう、この「子供は自分の一部である」という想いは、自らの体内(胎内)に子供を宿した母親ならではの感情かもしれない。おまけに親族という名の共同体の中に自分の居場所がない静子にとって(さらに彼女は5巻で自分はかつて「いらない子」だったというようなことまで言う)、息子はこの世でただひとりの味方でもある。だから絶対に手放したくないのだ。こうした過剰な母の想いに、静一は途中で吹石という同級生の少女に気持ちを奪われたりもしながら、現時点ではなんだかんだで応えている。それどころか、いまや母がしでかした「たいへんなこと」のある意味では共犯者だ。


■暴走していく母と息子の愛
※以下、ネタバレあり


 そしてその歪んだ母子の絆は、今回の7巻でますます強固なものになる。静子がしでかしたことはまぎれもない犯罪だが、それがいまなおバレずにいるのは、真実を知るある人物が意識不明だからだ。ところがこの7巻(正確には6巻のラスト)において、ついにその人物が目を覚ます。絶体絶命のピンチかと思われたが、そこで静一は「ママをバカにするな!!」とその場にいた者たちに対し初めて感情をむき出しにし、事態をうやむやにしてしまう。


 すごい展開だ。なぜならここで主人公は母親と今後も一心同体の状態で生きていく道を自らの意志で選択しており、それは従来の少年/青年漫画においてはあまりない展開だからだ。これは私見に過ぎないが、少年漫画とは少年の自我の目覚めと確立(それを「成長」と言っていい)を描いた物語であり、青年漫画とは、成長後の、すなわち自我を確立し大人になった少年の生きる道を描いた物語である。だからこそ少年漫画の多くは、父親(的な存在)との対決がテーマとなることが多いわけだが、『血の轍』ではその相手が父でなく母であることが、より状況を複雑にしているのかもしれない。つまり、父親とは少年にとって初めて出会う最大の壁であるが、母親とは、彼にとって自分を産んでくれた世界そのものだからだ。壁を壊すこと=成長と言っていいだろうし、多くの場合において父は息子が自分を乗り越えていくことを望んでいるとも言えよう。だが、母はどうだ。先ほども書いたように母親にとって子供とは自分の身体が生み出した存在であるし、決して離れてほしくはないだろう。逆に息子の立場からみれば、母と対決するということは壁を壊すどころか、世界そのものを破壊することにほかならない。


 それでもそれ(=世界の破壊とその後の再生)を描くのが少年/青年漫画だと個人的には思うし、吹石のような異分子がこの先どう主人公にからんでくるかにもよるだろうが、いずれにしても『血の轍』から今後も目が離せないのは間違いない。


■押見修造の感情を表わすテクニック


 最後に漫画表現的なことを少しだけ書くが、本作において押見修造は、絵描きとしてひと皮もふた皮もむけたと言っていいだろう。定規を使わずフリーハンドだけで引かれた細かい線の連なりは、「思春期の少年の目から見たあやふやな世界」を見事に表象しているし(だから主人公が動揺すれば線=世界も乱れる!)、人物の表情、特に口元の描写だけで感情を表わすテクニックは、作品全体に異様な緊張感を与えている。そしてなんと言っても、主人公たちが「境界」を越える時に出てくる蝶のイメージ(生と死の象徴か)が鮮烈だ。


 いずれにせよ、本作は現段階ですでに、『さくらの唄』(安達哲)、『甘い水』(松本剛)、『ヒミズ』(古谷実)、『おやすみプンプン』(浅野いにお)といった仄暗い青年漫画の傑作群と同列で語られるべき作品だと言ってよく、今後も巻を重ねるごとにより凄みを増していくことだろう。


■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『ヤングサンデー』編集部を経て、『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。