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満員電車の痴漢事件で無罪判決、なぜ「犯人取り違えた可能性」と判断したのか

2021年05月19日 10:01  弁護士ドットコム

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都内を走行中の私鉄電車内で女性の胸を触るなどしたとして、東京都迷惑防止条令違反の罪に問われた男性に、東京地裁は4月13日、無罪判決を出した(求刑罰金30万円)。男性は逮捕直後から一貫して犯行を否認していた。


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地裁は、女性が痴漢被害を受けたことは信用できるとしたものの、「犯人」を間違えた可能性を指摘した。



●繊維片は検出されなかった

判決文によれば、男性は2019年11月の朝、身動きが取れないほどの電車内で、女性の胸を触るなどしたとして起訴された。



終着駅に降りた際、女性から「触ったでしょう」などと声をかけられ、抵抗したものの、駅員室に連れていかれた。



その両手を調べたところ、女性が着用していた薄手ニットの繊維片は見つからず、また、当初から一貫して犯行を否認していた。



さて、裁判では、女性が痴漢の被害者であることについて争いはない。ほかに証拠が乏しいなか、男性を犯人とする女性証言の信用性の判断が主な争点となった。



地裁は女性証言を「犯人を取り違えた可能性を払拭できるほどの信用性を有しているとまでは言えない」とし、男性について「犯行に及んだと認定するには合理的な疑いが残る」と結論づけた。



なぜ女性の証言の信用性が認められなかったのか。痴漢事件も数多く手がける中村勉弁護士に聞いた。



●男性を「犯人」とする女性証言の検証

ーーなぜ女性が男性を「犯人である」とした証言の信用性が認められなかったのでしょう?



主なポイントは2点です。




・女性の証言する被害状況からすると男性が犯人でない可能性があること
・男性のバッグのベルトを掴むまでの間に犯人から目を離さなかったとする女性の供述経過に疑念が残ること




地裁は、痴漢被害を受けたとする女性証言は十分に信用できるとし、女性の証言どおりの被害状況を前提に、「犯人」が男性であるかを検討しました。



靴を履いたときの身長は、男性が約177cm、女性が約166cmです。女性は「犯人」が170cm後半の男性だったと主張しましたが、地裁は「犯人の身長は被告人より低かったのではないかとの疑いが払拭できない」としています。



●「真犯人」は女性より身長が低いと考えられる理由

ーー「犯人」が女性より身長が低かったのではないかと考えられた理由は?



被害状況に関する女性証言はこうです。




・犯人は左肩から右腰にかけて掛けていたショルダーバッグのベルト部分を左手で掴んでいた
・その左手の甲を、電車の揺れに合わせるようにして自分の左胸の中心辺りに当ててきた
・自分と犯人のそれぞれの左肩が重なるような位置関係だった




上記証言にもとづき、ベルトを掴んだ男性の左手甲が女性の左胸の中心辺りにあったとします。すると、男性にとって、左手は自身の体の中心に近い位置にあるはずです。さらに、女性との位置関係も、体の半分程度が重なり合う状態となるはず。



しかし、女性は、犯人とは、左肩が重なるような位置関係にあったとも証言しています。



女性証言のような位置関係であれば、ベルトを掴んでいた左手の甲で、左胸の中心辺りに当てようとすると、左手は自身の左肩に近い部分のベルトを掴むことになります。女性の身長より低い者でなければ、これは成立しないと考えられます。実際にベルトをつかむ位置と立ち位置を移動しながら確認してみると、わかりやすいかもしれません。



地裁は、男性のショルダーバッグが約3.2kgの重量だったことからすると、男性がベルトを体の外側に引っ張り、偶然を装って左手の甲を女性の左胸に押し当てたとも考え難いとしました。



さらに、女性と男性の身長差及び距離を踏まえると、女性が証言する痴漢行為の態様のうち、左手のひらを女性に向けて左胸を触るのは、男性の左手首の可動域に照らせば、かなり苦しいと考えられるとしました。



●検察官調書になかった「記載」

ーー女性が「犯人」のバッグのベルトをつかんだ状況について、地裁が「犯人の取り違えの可能性を完全に払拭できるほどの高度の信用性があるとまでは言えない」としています。その理由は?



痴漢の犯人特定にあたって重要になるのは、被害者において、痴漢をしている犯人の手をたどって犯人を特定したという事実です。



したがって、犯人の特定過程にあたって何も遮るものがなかったことが重要なのですが、被害女性の当初の検察官調書においては、女性が男性のベルトを掴むまでに犯人から目を離していないこと等の記載がなかったようです。



男性が逮捕当時から一貫して否認していて、犯人性が争点となることが明らかであったことを踏まえると、検察官において犯人の特定について慎重に女性から聴取するのが通常であります。



上記記載がなかったのは、検察官が取調べの際にその点を聴取しなかったからではなく、聴取したものの、女性からそのような答えが返ってこなかったからである可能性があると、地裁は指摘しました。



また、犯人のバッグのベルトを掴むにあたり、女性は自分が両手で持っていたバッグの取っ手を腕に通して肘を軽く曲げるようにしてかけ、バッグと腕の間に掛けてはさむように所持していたコートも片方の手に持ち替えたと証言しています。女性がこのような動作をした際に、一瞬意識や視線が自分の腕の方に向かったことが考えられます。



そして、身動きのとれない混雑状況であったことに照らすと、女性がこのような動作をできたのは、周囲の乗客が降車のために動いて女性の周囲に腕を動かすだけの空間が生じたからと考えられるところ、女性が当該動作をして意識や視線が自分の腕に向かっている間に、周囲の乗客が動いて犯人の位置が変わり、女性が犯人と男性を取り違えた可能性があります。



これらが、バッグをつかんだ際の女性証言について、犯人を取り違えの可能性を払拭できるほどの信用性があるとまでは言えないと地裁が判断した理由になっているようです。



以上2つのポイントについて解説してきましたが、被害状況に関する女性の証言が真実であるとした場合でもなお、男性の身長や持っていたバッグの重さという客観的状況からして、男性が本件犯行をしたとは考え難い点が今回の無罪判決の要因だと思われます。



●「駅員室への連行に抵抗」はどのように判断された

ーー「女性に痴漢と間違われたとわかり、駅員室に行ったら痴漢を認めていることにされてしまうと見聞きした記憶があったので、何としても行きたくないと抵抗した」とする男性の挙動について、地裁は「犯人であることの証左と解することもできる」とする一方、最終的に「痴漢に疑われた者の行動として不自然とまではいえない」と判断しています。この判断の理由は?



今日、満員電車に乗る誰しもが痴漢の犯人と間違われる危険と隣り合わせにあると、メディアでもよく言われています。ここ数年、痴漢の冤罪で捕まるのをどう回避するかについては、「とりあえず逃げる」「名刺を渡した上でその場から去る」等と言われていますね。中でも「駅員室に行ったら終わり」という言説はよく聞かれるものです。



ですので、本件の男性もそういった話を念頭に抵抗したものと考えることが十分にでき、それで地裁も、男性の行為を不自然とまではいえないと判断したのではないでしょうか。



ーーまた、痴漢と指摘されたときに、抵抗することで、今回のような判断がなされるのは珍しいことでしょうか



今となっては珍しくはありません。ただ、いずれにせよ犯人性の判断の決定打とはならない以上そもそも言及されないことも多いと思われます。




【取材協力弁護士】
中村 勉(なかむら・つとむ)弁護士
愛知県弁護士会所属。元東京地検特捜部検事。中央大学法学部卒、Columbia Law School卒(フルブライト留学生)、LL.M.(法学修士号)取得。
事務所名:弁護士法人中村国際刑事法律事務所(代表弁護士)
事務所URL:http://www.t-nakamura-law.com/