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翻訳者・土屋政雄に聞く、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの言葉選びと創作姿勢

2021年05月06日 12:31  リアルサウンド

リアルサウンド

翻訳者・土屋政雄インタビュー

 カズオ・イシグロの6年ぶりの作品であり、2017年のノーベル文学賞受賞後第1作となる『クララとお日さま』は、AI搭載の人型ロボット、クララが主人公だ。クララは、14歳の少女ジョジーのAF(人工親友)として購入される。彼女は幼なじみのリックと将来を約束しているが、病気を抱えていた。クララは、ジョジーがリックとの永遠の愛を成就できるように献身的な冒険をする。


 世界的に待たれていたこの新作の日本語版を担当したのが、『日の名残り』(ブッカー賞受賞)を手がけて以来、『わたしを離さないで』、『夜想曲集』、『忘れられた巨人』といったイシグロ作品を訳してきた土屋政雄氏である。SF的設定で独特な言葉遣いもされている『クララとお日さま』の翻訳について、イシグロの創作姿勢について、土屋氏に話を聞いた。(4月15日取材/円堂都司昭)


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■はじめて届いた“翻訳者へのメモ”


――カズオ・イシグロの新作小説のテキストが届いたのは、いつくらいでしたか。


土屋:イシグロさんがいうには一昨年の4月くらいに書き上げたけれど、それを読んだ奥さんと娘さんから厳しい指摘があって、これでよかろうという形になったのはようやくその年末だったらしいです。日本にテキストが届いたのは昨年2月くらいでしたが、ちょっと目を通してから私が病気で入院してしまって、3月に手術して、退院後に翻訳を始めました。


――届いた原稿に追加の修正が入ったりしましたか。


土屋:いよいよ翻訳していいという知らせがあってから1回、訳し始めて第一部が終わるくらいにもう1回ありました。内容を大きく変えるものではなくて、名詞を代名詞に変えるとか、句読記号を変えるとか、その程度の変更です。また、以前にはなかったことですが、昨年6月後半にイシグロさんから、こういうことに気をつけてくださいと、翻訳者へのメモというものが来ました。


 1つは、クララ語についてです。できたてのAIであるクララには、会話などの知識は一通り組みこまれていても、社会へ出て目にする事物とか対人関係では知識にいろいろと穴があります。ですからまだ知らないものについては、何か目にするたびに1つ1つ自分で名前を与えていきます。それはクララだけが使う言葉なので、作品を通して他の登場人物が使うことはありません。翻訳者へのメモでは、そうしたクララ語の例がいくつか示されていました。


 例えば「RPO building」という言葉もその1つで、ほかにやりようがなくて「RPOビル」と訳しました。読者はこれをそういう名前のビルとして何気なく読み飛ばしてしまうでしょうけれど、たぶん、クララだけにわかる何かの意味が「RPO」にはあるはずなんです。「sharp pencil」も、たぶんクララ語の1つでしょう。作中ではジョジーが絵を描き、隣家の子リックと吹き出しゲームをしています。そこで使うのが「sharp pencil」です。たぶん色鉛筆のようなものかと思いますが、やけに尖った鉛筆だなとクララには見えたのかもしれません。ほかの国ならいざ知らず、日本では絶対にこれを「シャープペンシル」とは訳せません。思い悩んだあげく、トランプ大統領がハリケーンの進路予報図に勝手にシャーピーで被害予想範囲を書き加えたという話が頭に残っていたので、それを使わせてもらって「シャーピ鉛筆」としました。「oblong」という言葉もよく出てきます。携帯電話やタブレットを意味するだろうことはわかりますが、これを例えば「長方形」という訳語で押し通せるかと考えたとき、どうもその自信がなくて、結局「オブロン端末」と訳しましたが、ちょっと親切に訳しすぎたかという思いがあります。


 クララ語は、一般の読者にはちょっと聞き慣れないながら、意味がピンとくる訳語でなければならず、しかもいったん決めたら作品全体をそれで通してください、というのがイシグロさんからの指示でした。しかし、イシグロさんがクララ語の例としてあげていた言葉には、これがどうしてクララ語なの?と問いたくなるものがいくつかあって、例えば「passer-by」です。普通の英和辞書にものっているごく普通の言葉で、「通行人」を意味しますし、文中でもそのような意味に使われています。どう考えてもなぜクララ語であるのかがわからず、申し訳ないながら勝手にクララ語から外させてもらいました。そんな言葉がいくつかあって、『クララとお日さま』で目につくクララ語は、たぶん英語版に見るはずのクララ語よりやや数が少ないかもしれません。ただ、本が出版されて1月半後のいま思うに、クララにとっての「passer-by」とは、ただの通行人ではなく、ショーウィンドーにすわる自分の目の前をどんどん通り過ぎていく人々のことだったのかもしれないと思います。


――これまでのカズオ・イシグロの翻訳で、今回ほど細かい指示がつけられていたことは。


土屋:なかったですね。


■言葉から広がる作品の世界観


――クララ語以外にも、この作品の社会で使われている独特の言葉があります。


土屋:作品の舞台となる時代では使われているけれど、現在一般的ではなくて、聞くと、ん? となる言葉ですね。会社勤めをしていたジョジーのお父さんは職場で「substitute」されます。たぶん、AIで「置き換えられた」のでしょうね。この時代の子供たちの一部は「lifting」と呼ばれる向上処置を受けています。知能を高めるための遺伝子治療か何かでしょうか。そもそもAF=「artificial friend」が、この社会特有の言葉です。


 この小説を最初に読んだ時、子どものための本なのかなと思いました。こっちの思いこみもありますが、AIというと機能がかなり進んでいてなんでも知っているようですが、読んでみると雨でビルの壁面が濡れている風景について「屋根の隅からジュースでもこぼしたのか」などとある。どこからこの表現がくるのか、我々との認識のギャップというか、あれ? と思うところがたくさんありました。翻訳してみるとクララはまだ生まれたての赤ん坊みたいなもので、お日さまには死んだ人を蘇らせてくれる力があると思いこむ。そんなことを簡単に信じるのはどうなのか。でも、自分が太陽光で動いているのだから、そう思うようになってもおかしくないかもしれないな、と納得しました。生まれたてのAIが経験を積んで成長していく。人間の子どもと同じなのかなと感じました。


――ですます調で訳されていますが、童話調を意識しましたか。


土屋:それは意識しませんでした。子ども向けなのかとは思いましたけど、翻訳者としては原文から受ける感じをそのまま書くので、童話であろうがなかろうがかまいません。ですます調については、自然にというか、このほうが翻訳しやすい気がしました。イシグロさんからのメモには、ウェイターがお客さんに話すような口調で、接客風でと書かれていましたからですます調しか選択肢はなかったんですが、メモが届いた時にはもう訳し始めていました。だから、ちょうど方向性があっていたということです。


――『Klara and the Sun』の「the Sun」を「お日さま」にするのは最初から決めていたんですか。


土屋:早川書房の編集のかたから「クララと太陽」でいいでしょうかと提案されたんですが、私は「クララとお日様」を考えていますと答えました。「様」と漢字で書いていたんですが、編集者が外への広告で「お日さま」とひらがなで書いてしまった。すみません、今度訂正しますとメールをくれたんですけど、いや、ひらがなのほうがいいなと、こちらにしました。


――今となっては、これ以外の表記は考えられないです。よくハマっていると思います。


土屋:日本にはお日さま信仰、お天道さま信仰があるから、受け入れやすいかもしれません。


――新作は独特の世界観だったわけですが、イシグロの過去の作品と比べて文体や表現の変化はどうでしたか。


土屋:申し訳ないんですが、翻訳者としては、というか翻訳者だからかな、実際に訳す際に文体ということを気にしないんです。目の前にある英語の原文を日本語に直すだけなので文体とかを考える余裕がない、考える手間をかけないというか。私は文学的な素養がなく、文学史も知らなくてそっちへ関心を向けたこともありません。今度の作品に関しては、イシグロの注意書きにもあったようにクララに関しては多少不自然でありながら、意味は明瞭でなければいけない。それが文体ということに関係するのかもしれません。


■AIに“個性”は生まれるか


――土屋さんは、翻訳者としてはコンピュータ関連の技術翻訳から出発されたんですよね。


土屋:私が始めた時は、翻訳の仕事はそういうものしかなかった。なりゆきで小説を訳すようになったというか、基本的な姿勢として、英文で書かれたものを日本文に直すのは技術文でも小説文でもあまり変わらないんじゃないかと思っています。


――イシグロのノーベル文学賞受賞記念講演『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー』も訳されていますが、その本では左側の頁に英文、右側に訳文が配置され、両方の文章の長さがあまり変わらないようになっています。一般的に日本語に訳すと元より長くなるといわれていますが。


土屋:同じ長さというか、あれは活字の大きさを調節すればどうにでもなるので。


――まぁ、そうなんですけど(笑)。


土屋:私がIBMの技術翻訳をやっていた時からそうなんですが、コンピュータ上にテキスト・ファイルを載せた場合、原文と訳文はほぼ同じ長さになります。どちらかというと、訳文のほうがやや短く、というかデータ量が少なくなる傾向があります。日本人でも英米人でも同じホモサピエンスなので知能のレベルは同じ。同じようなことを考え、しゃべっています。どちらの言語も長い発展の歴史をもっていますし、同じ内容なら同程度のデータ量で文章化でき、しゃべっても同程度の時間で表現できる。そう思います。ローマ字では日本語の1文字が英語の2文字にあたり、バイト数ではほぼ同じになるのが象徴的です。


――『クララとお日さま』の主人公であるAI搭載のロボットについてはどう感じましたか。


土屋:私が技術翻訳をしていた時代にはコンピュータは扱いましたけど、AIなんてまだ話題にもなっていなくて、一番近い話題は機械翻訳でした。私がIBMで仕事をしていた頃、社内的には機械翻訳は不可能だという結論になったというような話も聞きましたが……。イシグロさんはAIの専門家にかなり話を聞いたみたいですが、本を訳していて思ったことがあります。ジョジーの父親が、人間の心はたくさんの部屋があるようなもので、なかの1つの部屋に入るとまた部屋があってそのなかにまたべつの部屋があるという。だから人間の心をコピーするのは無理じゃないかと語るシーンがあります。ただ、みているとクララにも個性がある。AIは作られるものである以上、仕様があるでしょうけど、それにしたがって作ってもみんなが同一になるわけではない。


――クララは、かなり個性的なAIですよね。


土屋:クララは観察力に優れ、とにかく興味津々で外界を観察して学習意欲満々のAF。でも、仲間のローザは、そういうことには無関心で自分がどんな家に買われていくかしか考えない。偶然の産物なのか、AFにも個性ができるらしい。AFにも心があるとしたら、やはり人間と同じく、たくさん部屋がある構造なのではないか。もし人間とAFの仕組みが同じで、違いが部屋の数だけだとしたら、スケールの違いだけだとしたら、メモリの容量が増えて技術が発達すればAFも人間と同じようになるのではないか。イシグロさんが意図してそういうつもりで書いたかどうかはわかりませんけど、翻訳しながらそんなことも思いました。また、カパルディさんという登場人物が、引退間際のクララのところへきてブラックボックスを開かせてくれという。ブラックボックスのなかでなにもかも処理されているなら、少なくともAF同士でそれをコピーするなり取り替えるなりしたら同じAFができるのかな、と考えたりもしました。


――先ほど機械翻訳の話が出ましたが、かつて不可能といわれたこの分野も技術が進みましたね。


土屋:アメリカの国立標準技術研究所が、昔から機械翻訳コンテストをやっています。各国の機械翻訳の研究機関に今年の課題を伝え、コンテストに招待する。2005年の課題は、中国語とアラビア語を英語に翻訳することだったそうです。会場にはIBMとか世界中から機械翻訳で有名な常連の会社が集まり、そこに新参でいたのがグーグルだった。他のチームは、課題だった中国語とアラビア語の専門家を何人か連れてきていたのに、グーグルはその関係の人は誰もいなくて、システム関係者だけ。従来の機械翻訳は各言語の文法などをルール化し、それに則ってデータを読みこみ翻訳していた。でも、グーグルはまったくそういうことはせず、過去の膨大な文章をデータとして読みこませ、統計的な処理をさせた。例えば、アラビア語のこういう語句のつながりは過去には英語のこういう語句のつながりに訳された例が一番多い。だから、それが正解である確率は何%。次にはこういう訳文があったけど信頼度が落ちるから80%以下とかランクづけして、文法もセンテンスの意味も無視した。結果はグーグルの圧勝。昔から参加している常連の面々は、それまで30年間の研究はなんだったんだと嘆いたそうです。まぁ、余談ですけど。


■カズオ・イシグロの抱える“翻訳のトラウマ”


――翻訳といえば、カズオ・イシグロは、自分は英語でしか通じない地口などは使わず、国際的に通じる言い回しを選んでいると発言しています。


土屋:過去にイシグロさんが、「インタビュー症候群」といっていたことがありました。いろんな国へ行って同じような質問を何回もされるわけです。ところがある時、同じ作品の同じ部分についてまったく違う角度からの質問があって、この国ではどんな風に訳されたのだろうと疑問に思った。そういうことが重なってどうも訳が違っているのではないかという認識が芽生えたらしい。それから、翻訳しにくい表現や冗談は使わないようにしたそうです。


――「三田文学」2021年春季号のインタビューでイシグロは「翻訳のトラウマ translation trauma」といっていました。


土屋:イシグロさんはイギリスの作家ですが、英語で身辺雑記みたいなことを書いて作家として成り立つのはアメリカ文化を背負った国、アメリカの作家だけという認識があるみたいです。イギリスも英語国だから、世界的な普遍語のようになっている英語で書くアドバンテージはあるでしょうけど、彼にはそれに寄りかかりたくない思いもあるのでしょうね。翻訳者としては確かに訳しやすくてありがたい。ただ、英語で育ったイシグロさんが本格的に英国内でしかわからないような文章で書いたらどんな作品ができるのか、興味はあります。翻訳者を信頼して書いてみませんかと申し上げたい気持ちもあります。


――イシグロ作品に関しては「信頼できない語り手」ということがよくいわれます。『クララとお日さま』もそうですが、語り手が自分のいる世界を正しく語っているとは限らない。また、意図して嘘をつくのではなくても、勘違いや虚栄心などで無意識のうちに真実とズレたことを伝えたりする。翻訳するうえでそうした信頼できなさをどうとらえていますか。


土屋:翻訳するぶんにはあまり関係ないような気がします。話されている内容が意図的な嘘なのか、思い違いなのか、よくわかりませんけど、語り手がいったことを真に受けて内容が嘘ならば嘘を、思い違いなら思い違いを訳せばいい。作者がその人物にいわせたいことを踏み外さずにいわせればいいと思います。


――土屋さんの過去のインタビューを読んだら、自分の解釈をわりとはっきり打ち出すほうだと話されていたのですが、その場合の解釈とは。


土屋:中身をどうのこうの変えるようなことじゃなくて、センテンスなりパラグラフなり、あくまでもそこに英語で表現されていることの解釈をはっきり書くということです。曖昧模糊としたどっちつかずの文章にするよりは、こういいたいんだろうと私なりに解釈してそれを書く。


――編集段階でチェックが入るわけですよね。


土屋:校閲のかたがいろいろチェックしてくださいますし、指摘があればだいたいしたがいます。ごもっともなことばかりで、私が考えつかないこともある。


――その点、今回のクララ語のように原作者から違和感が残るようにと指示されると、校閲の人にどうやって違和感を納得させるんだろうと不思議なんですけど(笑)。


土屋:そうなんですよね。違和感が残る翻訳なんて、翻訳者としてはものすごく違和感がある(笑)。なるべくそういうことがないように翻訳するのが務めですし。イシグロさんの指摘にあった言葉については、それなりに工夫したつもりです。


――『わたしを離さないで』にも「ポシブル」など変わったワードがありましたし、これまでのイシグロ作品にもその作品世界特有の言葉がけっこう出てきましたね。


土屋:『クララとお日さま』では生まれたばかりのAFであるがゆえの言葉があって、それが違和感を与えながらも、作品全体としてはあまり違和感がないように訳さなければならないという(笑)。


――以前に一番好きなイシグロの小説を問われて、彼の作品のなかで土屋さんが初めて訳した『日の名残り』を上げていましたが、今でも変わりませんか。


土屋:やはり、『日の名残り』です。その本のあとがきにも書きましたが、同作については私も1つ貢献しているんですよ。主人公のスティーヴンスが国際会議を間近にしたタイミングで、彼の父親が石段で転ぶ事件が起きる。でも、事件と会議の時期の記述に矛盾があったんです。それで編集者が、ちょっと聞いてみましょうと問いあわせてくれた。すると、イシグロさんから、間違いだったと返答がありました。最初は会議を別の時期に考えていたけど、史実にあわせて修正した。転倒事件の記述のほうもあわせて直すべきだったのに忘れていたんだそうです。私は、ここはスティーヴンスの衰えというか、記憶違いということでいいかなと思ったし、前のままでもよかった気がしますけど、結果的に時間の流れは正しくなりました。


(取材・文=円堂都司昭)