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司書になる夢、交通事故で奪われた「全盲女性」 賠償金の「格差」とたたかう訴訟の意味

2021年05月04日 09:31  弁護士ドットコム

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図書館の司書になる夢を抱いていた高校生の女の子。ある日、登校中に横断歩道で自動車にひかれる大事故に遭う。女の子は重体に陥り、入退院を繰り返した。しかし、重い障害が残り、将来の夢も絶たれてしまった。


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事故から10年。女の子は成人し、両親とともに、運転していた男性を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こす。争点は、女性が将来働いて得られたはずの収入を算定する「逸失利益」がどこまで認められるか。



しかし、裁判所の下した判決は厳しいものになった。女性の「逸失利益」を全労働者の平均賃金の7割しか認めなかった。女性が生まれつき目が見えない障害者であり、健常者と障害者の間には就労格差や賃金格差があることが、その理由だ。



現在、女性と両親は控訴し、高裁で争いは続いている。その代理人である大胡田誠弁護士は、「今ある社会の格差を、逸失利益に反映させることは、障害者に対する差別の再生産につながります」と厳しく批判する。



障害者の「逸失利益」はどう判断すべきなのだろうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)



●重い障害が残った事故

裁判に訴えたのは、山口県下関市の新納茜さん(30歳)と両親。体重900gに満たない早産で、何度も手術をしたが、未熟児網膜症によって失明した。



両親は茜さんの将来を考え、小学生のころから掃除、洗濯、買い物、登校など、身の回りのことは一人でできるように厳しくしつけてきたという。茜さんはすくすく育ち、本が大好きで、詩を書いたり、柔道にチャレンジしたりと、活発な子だった。



将来の夢は、図書館の司書になること。進学に向けて大学のオープンキャンパスにも出かけるなど、夢の実現に向けた進路も定めた矢先、交通事故に遭遇した。2008年5月、当時17歳だった茜さんは登校中、安全を確認しないまま横断歩道に侵入してきた自動車にはねられ、意識不明の重体に陥った。



右急性硬膜下血腫、脳挫傷、両肺挫傷、頭蓋顔骨多重骨折…ほかにも全身に大けがを負った茜さんは、生死をさまよった。一命はとりとめたものの、その後も治療を重ね、懸命なリハビリもおこなったが、高次脳機能障害、認知や記憶、歩行など多くの障害が残った。



「茜さんはそれまで、健常の人と同じ速度で読み書きもできていたのに、事故で左手に麻痺が残り、点字を読んだり、パソコンを使ったりすることが難しくなりました。中でも、大変なのはてんかんの発作が出るようになったことです」と大胡田弁護士は説明する。



年に4、5回、救急車を呼ばなければならないような大きな発作が起きるため、看病している両親もずっと目が離せない状態が続いているのだという。



●逸失利益「ゼロ」だった時代も

一進一退だった茜さんの病状だが、事故から10年あまりが経ち、事故による障害が確定。これを機に、茜さんと両親は2018年6月、自動車を運転していた男性を相手取り、損害賠償を求める訴訟を山口地裁下関支部で起こした。



争点は、茜さんが事故に遭わなければ働けたであろう42年間の「逸失利益」をどう算定するかだった。



「近年、子どもの交通事故については、全労働者の平均賃金をベースとして、何歳から働けたとして、何十年間分の逸失利益があるというふうに請求されます。ですので、茜さんの場合も同じく、短大や高専を卒業した女子の平均賃金を基準とした損害賠償を求めました」



障害の有無に関わらない逸失利益を求めたのだ。大胡田弁護士によると、これまで、障害を持つ人たちの逸失利益は、健常者のそれに比べてかなり低く見積もられてきたという。



「平成の初めごろまで、重い障害を持った子どもの逸失利益はゼロという時代が続いてきました。それが、10年ほど前から徐々に認められるようになりました。



それでも、障害のある人が通う作業所の工賃をベースに、年収12万円なんていう、信じられないほど低い金額を基準に、逸失利益の計算がおこなわれてしまうこともありました」



●障害者の差別を禁止する法律

ところが、2019年3月に東京地裁で出されたある裁判の判決が注目を集めた。



「重度の知的障害がある15歳の少年が、施設から行方不明になって亡くなったという事故がありました。施設側の責任を問う裁判で、判決では障害のない全労働者の平均賃金をもとに逸失利益が算定されました。これは、障害者に対する差別のない、非常に画期的な判例でした」



この判決では、少年が特定の分野で高い集中力を持っていたことから、逸失利益は2200万円と算定された。背景には、社会情勢の変化があると大胡田弁護士は指摘する。



「これまで障害者は福祉の対象だったりとか、自分で働いて賃金を得ることは想定されていなかった部分がありました。



しかし、2014年にあらゆる障害者の尊厳と権利を保障する『障害者権利条約』を日本も批准しました。その批准にあたっては、2013年、障害者差別解消法が制定されています。



また、雇用でも障害者雇用促進法が改正され、障害者に対する差別の禁止、雇用主の合理的配慮提供義務が明記されています。つまり、賃金を差別せず、障害者が必要とする配慮をおこなうのは社会の義務だということは、理解されつつあります」



●裁判所の判断はなぜ「7割」なのか

茜さんのケースでも期待がかけられたが、山口地裁下関支部での判決では、「全労働者の平均賃金の約7割」に相当する4042万円を逸失利益と算定した。



判決では、「現時点において、健常者と身体障害者との間の基礎収入については、差異があるといわざるを得ない」とした上で、茜さんが「全盲の障害があったとしても、潜在的な稼働能力を発揮して健常者と同様の賃金条件で就労する可能性があったと推測される」とした。



しかし一方で、「健常者と障害者との間に現在においても存在する就労格差や賃金格差に加えて、就労可能年数のいかなる時点で、潜在的な稼働能力を発揮して健常者と同様の賃金条件で就労することができるかどうかは不明」と指摘し、逸失利益を「7割」と判断した。



「なぜ7割になったのか。色々な問題を抱えていると思います」と大胡田弁護士は批判する。



「裁判所は、現在、健常者と障害者の賃金には格差があると言っていますが、同じように男女間にも賃金格差があります。



しかし、もしも子どもが交通事故に遭った場合に、逸失利益の判断において男女は区別していません。この子は女の子だから、逸失利益は男の子より安いとは判断しないわけです。



それにもかかわらず、障害者と健常者だけの格差を指摘して区別するというのは、納得がいきません」



事故によって重い後遺症が残り、つらい思いをした茜さんと両親にとって、「裁判で差別を受けて、さらに踏みにじられる、そんな状態です」と大胡田弁護士は話す。



●「私は負けない!」

茜さんと両親は、この判決を不服として、2020年9月、広島高裁に控訴した。次回の口頭弁論は5月28日に予定されている。



「もし一審の判断が許されるならば、たとえば障害のある子と、障害のない子が2人一緒に歩いていて、同じように事故に遭ってしまった場合、障害のある子に対して支払われる賠償額は、障害のない子より格段に低い。そんな結論になってしまいます」



控訴審ではあらためて、障害の有無に関わらない逸失利益の算定基準を求めている。



茜さんの両親は、茜さんが事故前から書きためていた詩を2011年に本にまとめた。タイトルは「茜空」。事故から約半年後、茜さんはこんな言葉をつづっている。



「今、生きているということ



それは 楽しいことではなくて



かなりきついことだけど 私は負けない!



こんな命の危機にあっても 生きてるんだから



神様は私を 死なせなかった



きっと私がいることに 何か意味があるんでしょう」