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2021年上半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
2021年上半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
苦しみと生きがい
今週のおひつじ座は、自己であること、人間であることを超えていこうとすること。
江戸川乱歩が三十代半ばで書いた初の連載長編『孤島の鬼』は、語り手である「私」が体験した「人外境」の悪夢が一人称でえんえんと語られていくのですが、話が進むにつれて「私」は二つの恋のあいだに渦巻かれていきます。
一つは、性欲倒錯者にして解剖学者である風変りな友人・諸戸から寄せられる同性愛的恋であり、もう一つが化け物の群れが棲む孤島で出会った畸形の少女(腰のところで粗野な少年と癒着した)への怪物的な恋。少女は、自分は人間というより獣なのだと語ります。
「私」は両性具有的な不定形の怪物に想いを寄せる一方で、「君は浅間しいと思うだろうね。僕は人種が違っているのだ。すべての意味で異人種なのだ」と孤独な友人から想いを寄せられ、両者のあいだで引き裂かれていく。だが、それら二つは「私」自身の秘められた性(サガ)と無関係であっただろうか。あなたも、ある種の自己解放を通して常識の定める一線を超えてゆこうとすることでしょう。
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聖なる瞬間
今週のおうし座は、どこにでも転がっている日常を映画のワンシーンへと昇華させていくような星回り。
「髪洗ふシャワーカーテン隔て尿(ゆま)る」(榮猿丸)で詠まれているのは、初夏が近づき、ますます明るくなってきた朝の日差しが差し込む、とある部屋のユニットバスのシーン。一人が髪を洗っている横で、もう一人がおしっこをしている。
おそらく、おしっこをしている音も聞こえるし、シャワーを浴びているその姿もシルエット越しに透けて見えているはず。また「髪洗ふ/洗ひ髪」は夏の季語だが、その後の向こうには汗や体臭などがどうしても想像され、さらに字余りの「隔て尿る」で抑えきれない存在感が読み手側にも溢れ出てくる。
描かれている情景はありきたりな二人暮らしの日常なのに、切り取り方や言葉のつむぎ方次第でこんなにも詩的で、エロティックな空間が立ち上がってくるのかと、新鮮な気分にさせてくれます。あなたもまた、ただありのままに目の前の現実を眺めているのではなく、それをより望ましい形へと現実を切り出していくことがテーマとなっていくだろう。
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日課と宇宙
今週のふたご座は、アリアドネの糸を紡ぐように文章を編み、また日々の務めを果たしていくような星回り。
ミシェル・ビュトールの小説『時間割』の主人公ルヴェルは、一年間の長期出張でイギリスのブレストンという都市にやってきたのですが、次第に「脂じみた埃の巨大な沼」と描写されるこの迷宮のような街に飲み込まれ、自分を見失いかけていきます。
「すでにこの都市のかずかずの詭計(きけい)がぼくの勇気をすり減らし、窒息させていた、すでにこの都市の病いがぼくを包みこんでいたのだ」そんな雨降りの街の中心で、「ぼく」は日記を書き続け、それが本書となって読者はそれを後追い読んでいく訳です。
「多くの文章が一本の綱となってこの堆積のなかにとぐろを巻き、五月一日のあの瞬間へとぼくをまっすぐに結びつけている、五月一日のあの瞬間、ぼくはこの綱を綯(な)いはじめたのだ、この文章の綱はアリアドネの糸にあたる、なぜならぼくはいま迷宮のなかにいるのだから、迷宮のなかで道を見いだすためにぼくは書いているのだから。」あなたも、小説内の「ぼく」のように「語り」を通して自分なりの小宇宙を形成していくべし。
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生き延びるための音楽
今週のかに座は、これでもかと主観をほとばしらせていくような星回り。
「春草に野はまろし白き道を載せ」(池内友次郎)は、春の野道を扱ったごくありふれたものですが、この一句には弾むような作者のこころが宿っているように感じられます。「野はまろし」とあるように、野原を丸いものと感じた作者の感性は、さらに畳みかけるかのように「白き道を載せ」と続きます。丸い野原が白い道を載せているというのは、作者がそこに一つの完全なる世界の現われを見て取ったということでしょう。
作者は俳句を事業とした文芸界の大立て者・高浜虚子の次男で、日本で最初にパリ音楽院に留学して作曲を学んだ音楽家でもあり、そうすると掲句に描き出された情景もまるで無の底から不意に浮かび上がってきた音符記号のようにも思えてきます。
きっと、掲句を詠んだ作者の頭の中にはこれまでにはなかった新しい音楽が鳴り響いていたのではないでしょうか。あなたもまた、たとえ周りから理解されなくても、自分なりにいいと感じた音を音楽へと昇華させていきたいところです。
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くる、きっとくる
今週のしし座は、自分でも戸惑ってしまうような確信を抱いていくような星回り。
「ああ、よかった。ペットボトルのお茶を忘れてきたから、おにぎりがホカホカだわ」という言葉は、郡司ペギオ幸夫『やってくる』で紹介されていた、著者自身が体験したエピソードに出てきた一言。著者はその日、おにぎり弁当とお茶を買って列車に飛び乗ったところ、せっかく買ったお茶をホームに置いてきてしまったことに気づいたそうです。
自責の念にかられながらも、おにぎりを頬張った瞬間、著者の頭に冒頭のような思考が浮かんだのです。もちろん、お茶を忘れてきたこととおにぎりがホカホカであることには、何の因果関係もありません。著者自身もそれを結びつけることがおかしいと分かっている。にも関わらず、理性の働きとは無関係に、そんな思考がやってきた訳です。
そんな風に、私たちには時おり望んだわけでもない意味をつかんでしまう瞬間があって、あなたもまた、日頃の常識的な因果関係の枠組み(人間的な意味世界)をひょいと飛び越えて外部からやってくる意味の到来を経験していくことでしょう。
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身もだえし、叫べよ人間
今週のおとめ座は、また一つ過去のしがらみをほどいていこうとするような星回り。
「晴天の真昼にひとり出(いづ)る哉」は、作者・小林一茶の父が死んだ2年後、41歳のときの作。この頃、下総や葛飾など俳句を教える得意先を歩きまわっていたらしく、どうもそのあたりの空が好きだったようです。と同時に、そうして作者もどこかで40歳を過ぎてなお江戸で独身生活を送る自分の運命を見定めようとしていたのでしょう。
掲句は季語のない無季俳句ですが、それだけに余計に空の青さが身にしみていくように感じられます。もう若さと勢いが先行する歳ではなくなってきたことで、かえって感性が冴え、どこまでも澄んでいった。
日のひかりだけではむなしすぎ、空の色だけでは物足りない。その双方の溶けあった得も言えぬ光輝だけが、どこか懐かしさをもって彼を満足させたのかも知れません。あなたもまた、掲句の作者のように、幼さもあり、その分だけ恐ろしさもあるような感性を丸出しにした境地へ歩を進めていくべし。
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欲望のレッスン
今週のてんびん座は、一種の能力として欲望をおのれのものとしていくべし。
ルネ・ジラールの「欲望の三角形」が説いたところによれば、恋愛をめぐる相談の多くが三角関係であるように、欲望の主体は欲望の対象となるモノ以外に、必ず「モデル」を必要とし、そもそも主体は欲望をモデルから借り入れ、模倣することで欲望を実現させているのだと言えます。
その際、主体は自分がモデルのようになりたいという憧れを打ち消し、模倣しているに過ぎないことを否定するためにモデルを自分の欲望を邪魔するライバルと捉える。敵対心や憎しみを持ち、その苦しみに心を焼かれつつも、その一方でこれほど苦しんでいるのは自分しかいないのだと自惚れるのです。
これはごくありふれた苦しみの話ではありますが、重要な論点はその先。つまり、たとえ欲望の源泉がもともと他者にあるとしても、それをみずから安定的に満たされるように模索し、きちんと内部に取り込んでいくことで、自分の欲望にしていかなければならないのです。あなたもまた、中途半端な欲望の苦しみをいかに昇華していけるかということがテーマとなっていくでしょう。
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ブチ、シャリ、シャリ
今週のさそり座は、日ごろ劣位な感覚が怪しく蠢(うごめ)いていくような星回り。
やっと巡ってきた春という、季節の終わりを惜しむ「春惜しむ」は和歌以来の伝統的な晩春の季語ですが、「烏賊に触るる指先や春行くこころ」(中塚一碧楼)では烏賊の感触との取り合わせがいかにも俳句的で、斬新です。
台所にでも立っているのか、とにかく作者の指先がなまの「烏賊(いか)」に触れ、その弾力や湿り気を感じている時に、ふと春がどこかへ消えつつあるその心へ通じてしまった。その一方で、音に目をやると六・五・七音で、五・七・五のリズムからはだいぶ外れており、烏賊に触れた時の驚きが予想外に大きかったことが伺えます。
掲句は大正元年の句ですが、現代のように日常に大量の視覚情報が流れ込んでくる以前には、おそらく今よりずっと指先や舌先や肌感で色んなことを感じていたのでしょう。そしてただ感じるだけでなく、感じることで実際に人としての何かが決定的に変わってしまったのかも知れません。あなたもまた、得体の知れない場所へ連れ去られるべく五感を解放させていくことがテーマとなっていくでしょう。
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未知へ通じる径を拓く
今週のいて座は、自分の属するコミュニティ全体の行く末を予感していくような星回り。
人間の知覚=精神の変容の歴史を扱ったマクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』には、ある衛生監視員がアフリカ原住民の部落で、衛生上の処理の仕方を映像で伝えようとした際のエピソードが紹介されています。その映像は作業の様子をゆっくりと撮ったものだったのですが、彼に何を見たか尋ねると「一羽の鶏」と答えたそう。 「私たちはこの鶏がどこに写っているのか調べるために、フィルムを一コマずつ注意深く見て行きました。すると果たして、一秒間、鶏が画面のすみを横切るのが写っていました。誰かにおどかされた鶏が飛び立って、画面の右下の方に入ってしまったのでした。これが原住民たちが見たすべてだったのです。」
画面全体を見るというお約束を知らない原住民にとって、映画を見るという行為は画面の細かい部分のみに注目することであり、同様に、彼らにとって病気は個人のからだの故障などではなく、生活を脅かす未知の顕われであり、個人の悩みである以前に、部族にとっての何らかの予兆であり、社会的な現象だったのです。あなたも、集団的な不安や因縁を夢や第六感を通して感受していきやすいでしょう。
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宣言と刻印
今週のやぎ座は、ささやかな未来への希望を明確に打ち出していこうとするような星回り。
「朝日煙る手中の蚕妻に示す」(金子兜太)は、作者が戦地から命からがら帰国し、その翌年結婚した際に詠んだ句。当時は新婚旅行もままならない頃でしたから、故郷の農道を歩いて旅行気分を味わっていたのだとか。その途中、農家の飼屋に立ち寄ったときに生まれたそうです。
掲句は「おい、動いてるぞ」と驚きを共有しているところとも、「これが蚕だ」と妻に教えている場面とも受け取れますが、蚕が日常からすっかり縁遠いものとなった現代であれば前者であったのかも知れません。ただ、「示す」という一語にみなぎる自負を鑑みれば、後者のようなニュアンスであったように思えます。
いずれにせよ、煙るように立ち込める朝日が二人の初々しい姿をより神聖なものとして浮かび上がらせています。やっと来るのであろう新しい時代への力強い希望が、この土地の暮らしを支えてきた貴重な蚕に託されたのでしょう。あなたも、みずからの日常を支えてくれている力の価値や可能性を改めて再発見していくことができるかも知れません。
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ほどよく小さく人間らしく
今週のみずがめ座は、いつの間にか当たり前のものと思い込んでいた「生活のズレ」に気付いていくこと。
明治維新からすでに150年以上にわたって、私たち日本人は日常生活においても、思想や哲学においても、西洋と東洋の谷間に墜落したまま、青い顔をして不本意ながら歩いてきたのではないでしょうか。都市を埋め尽くす建物も道路も作り替えられていくうちに、ますます空は狭くなり、子どもが自由に走り回れる空間は失われてきましたが、それでもどこかで過渡期なのだからと多くの日本人は我慢を重ねてきたのではないかと思います。
家であれ思想であれ、そんな代用品でしかない“仮住まい”をどこかで終の棲家と信じ込んでいる節もある日本人の生活に、評論家の松山巌は『百年の棲家』の中で次のような疑念を投げかけています。
「過渡期に生じた生活のズレは現在まで何らかの痕跡を少なからず残しているのではないだろうか。ズレが分からないのは現在では当たり前として気づかぬからではあるまいか」あなたもまた、自分がいつの間にかハマり込んでいたズレや谷間を終の棲家にしないよう改めて気を付けていくべし。
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戻れない時間と人生のこの先
今週のうお座は、いつもより少し長大な物差しで、過去と未来について想いを馳せていくような星回り。
よき季節である春がついに去ろうしている。「ゆく春やうつろの甕を草の上」(長谷川春草)は、そのむなしさを、青々とした草に置かれた「うつろの甕(かめ)」に託した一句です。柔らかな草をおさえつけてそこに鎮座している重い甕は、作者にとって日常生活のシンボルであると同時に、どこかへふらりと流れていきがちな心を鎮めてくれる船の錨(いかり)のようなものだったのかも知れません。
そう考えると、「うつろの甕」というのどこか不思議な童話や昔話の世界の重要アイテムのような雰囲気さえ漂ってきます。おそらく、その中には目には見えずとも、これまでも作者の心をざわつかせてきたさまざまな想いがそこに封じられているのではないでしょうか。
そうであるからこそ、これから世界を覆い尽くしていく「草」の緑との対比が生きてくる訳で、そこには人が人として生きていく上で追わざるを得ない深い業と、それでも与えられているいのちあるものとしての可能性という構図も重ねられているように思います。あなたも、みずからの人生をひとつの叙事詩として捉え、語り直してみるといいでしょう。
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