2021年04月25日 11:11 リアルサウンド
フェスティバルに集まった若者たちが大雨を避けようと地下通路に殺到し、多くの死傷者が出た1999年の群衆事故。ベラルーシの国立芸術専門学校に通う当時16歳の学生だったフランツィスクは、この事故に巻き込まれて昏睡状態となり病院のベッドで眠り続ける。
時々見舞いに来る友人・スタースは、彼にこう語りかける。
〈とにかくいまは――悪いことはいわない、起きないほうがいい。寝てろ〉
フランツィスクが眠っている間に、ベラルーシの大統領は独裁体制を敷いて国を私物化。国民はどれだけ理不尽なことが起きようと、〈言われたことは黙って聞く〉よう強いられていた。
本書『理不尽ゲーム』はそんな「ヨーロッパ最後の独裁国家」と呼ばれるベラルーシの実態を、小説ならではの手法で読者に知らしめる。作者のサーシャ・フィリペンコは、1984年ベラルーシの首都ミンスク生まれ。大学入学を機にロシアへと渡り、卒業後は現地のテレビ局でシナリオライター・リポーターとして活躍するも、デビュー作『理不尽ゲーム』の刊行と共に作家へと転向。発表する作品が次々と文学賞を獲得し、世界的に注目を集めている。
民主化は進まず閉塞感の蔓延する、作者曰く〈昏睡状態に陥った国〉ベラルーシ。この国に住む人々が何を思っているのかが、本書では病院を舞台に、昏睡状態の患者をめぐる登場人物たちの人間模様という形で描かれていく。
3週間が過ぎても、起きる気配のないフランツィスク。医者は蘇生の見込みはないと、早々に匙を投げてしまう。実の母も、再起を次第にあきらめ始める。再婚して新たな家庭を築いてからは、息子への関心をすっかり失ってしまう。
希望を捨てなかったのは、フランツィスクをずっとかわいがり、大事に育ててきた祖母ただ一人だった。彼女は毎日病室に通い、孫に意識があるかのように接して、本を読み聞かせたり、その日起きた出来事を語る。たとえば、ベラルーシの高名な文学者の葬儀へ行った時の話。
〈そこには無線機を持ったマフィアみたいな役人が二人いた〉
〈大臣の要請で、遺体の枕元に設置された十字旗を撤去して国旗をたてなきゃいけないと言いはじめた。奴らの旗を――詩人を国から追い出したその国家の旗を、でっちあげられたあの国旗をだ〉
〈でもテレビでもし報じられるとしたら、いや報じられないだろうけど、あたかもあたしたちが政権転覆を呼びかけてたとか、スローガンを掲げてたみたいに言われるんだろうね〉
さらに祖母は、フランツィスクが時代から取り残されないように、新聞の切り抜きを病室の壁に貼りつけていく。たとえば、こんな記事。
「政府は主要な出版刊行物を統制下に置き、各出版社に新たな編集長を任命」
「国民的詩人が帰国後に死亡、葬儀はデモに発展」
「国民投票の結果、大統領の多選が可能に」
どうして、孫が意識を取り戻すと信じていられるのか。ある時、人に聞かれた祖母はこう答える。
〈望みはずっとないけれど、いちばんすごい奇跡はいつも、望みがないときに起きるんだよ〉
祖母が亡くなって2日後、事故から10年の時を経て、ついに奇跡は起きる。
すっかり元気になり、精神は16歳の頃のまま社会に出ていく青年・フランツィスク。彼をはじめとする若い世代から見たベラルーシとはどんな国なのかが、物語の後半で描かれていく。そこで象徴的な存在となるのが、作中で若者たちが興じる流行中の遊び「理不尽ゲーム」だ。
ドイツ人起業家の建てたソーセージ工場の製品が評判となり、国営工場はどんどんシェアを奪われていく。すると、品質が国の定めた規格を上回っている、つまりは違反だということでドイツ人の工場は閉鎖に追い込まれてしまった。
こうしたベラルーシで起きた理不尽な実話を一人づつ発表していく、日本でいうところのテレビ番組「すべらない話」のようなゲームにより、嘘で塗り固められた国家がもはや国民にとって滑稽な存在なのだと明らかになる。その一方で、不正選挙に抗議するデモへの政府の弾圧とそれに恐怖する人々の姿が克明に描かれ、独裁国家の凶暴な一面も浮かび上がる。
自分が今後10年間昏睡状態でいるのと、目覚めたままでいるのと、どちらが幸せなのだろうか。理不尽ゲームが、自国でも成り立ってはしまわないだろうか。本書を読むとそんなことを考えてみたくなり、ベラルーシで今も現実に起きている政治の腐敗や国民への抑圧が決して他人事とは思えなくなる。
(文=藤井勉)