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『生きるとか死ぬとか父親とか』ジェーン・スーの言葉はなぜ心に染みるのか? “独身のカリスマ”の生き様

2021年04月16日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

ジェーン・スーの言葉はなぜ心に染みるのか

 吉田羊と國村隼がW主演を務めるドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』(テレビ東京系)が先週4月9日よりスタートした。このドラマの原作は、ラジオパーソナリティでコラムニストのジェーン・スーによる同名エッセイ。執筆当初42歳だったジェーン・スーが日々老いていく77歳の父親に振り回されながらも、父親との対話やエピソードを通して人生の移り変わりや複雑な“親子”という関係性について思いを馳せていく。


関連:【写真】ジェーン・スー(撮影:編集部)


 TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』でのトークやお悩み相談、著書『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』や脳科学者・中村信子との対談をまとめた『女に生まれてモヤってる!』など、様々な場面で歯に衣着せぬ物言いとユーモアで大人たちの悩みや心のモヤモヤに寄り添ってきたジェーン・スー。そんなジェーン・スーが月刊読書情報誌「波」で連載していたエッセイ『生きるとか死ぬとか父親とか』は、彼女がこれまで発表してきた著書と少しだけ雰囲気が異なる。


 もちろん「冬になると、街を歩く中年以降の男はみんな煮しめたおでんみたいな色の服を着ていて、とてもみすぼらしく見える」や、「昔、疑惑の総合商社と呼ばれた政治家がいたけれど、さしずめ私は不義理の総合商社だ」といった思わずふふっと笑ってしまう、ジェーン・スーらしいフレーズが散りばめられいる。ただその軽やかな筆致の中にも、時折ずっしりと重くのしかかるものがあるだろう。それが表出するのはいつだって、ジェーン・スーが良い思い出にしろ、悪い思い出にしろ、家族にまつわる過去について語る場面だ。


〈「女に『この男になにかしてあげたい』と思わせる能力が異常に発達しているのが私の父だ」〉


 そう娘のジェーン・スーに言わせる、とても愛嬌のある彼女の父親。もちろん、一般人であるその父親のことを私たちは知る由も無いが、同書にはジェーン・スーによるユーモアたっぷりの描写で本人を知らなくとも「なにかしてあげたい」と思わせる能力に長けた父親のエピソードが説得力を持った形で描かれる。


 昭和13年生まれの父親は7歳の時に終戦を迎え、結核にかかり大学を中退しながらも、貴金属の販売会社を立ち上げ戦後を強く生き抜いてきた一人だ。しかし、相当な自由人だったようで、女性関係も派手で家庭のことは母親に任せきり。仕事の方は東京に自社ビルを持つほど財を成したが、その後経営が立ち行かなくなり、4億円もの借金を抱えていたという。緩衝材のような存在だった母親をジェーン・スーはわずか24歳の時に亡くし、一時は父親の事業を手伝っていたが、結果的に自社ビルに入っていた母親との思い出が詰まっている“実家”も失うことになった。


 第三者が事実だけを聞けば、正直「絶縁も致し方ない」と思ってしまう。ジェーン・スー自身も「親 縁を切る」という検索ワードを入力したようだが、エッセイを読んでもわかるように、離れて暮らしながらもかなり親身に父親の暮らしを支えている。


 実際、どんなに確執があっても血の繋がった老年期の親と縁を切るというのは難しいことなのかもしれない。ジェーン・スーは加えてエッセイの執筆をきっかけに父親のことを知ろうと努めているが、それは存命なうちに母親の「母」の顔以外を知ることができなかったという後悔があったからのようだ。


 ただ、このエッセイの前半部分は意外にもジェーン・スーの父親に対する視線が優しい。老いを感じさせない食べっぷりや、色んな女性から褒められる父親のちやほやされ具合をエピソードで表すジェーン・スーの語り口調は父親と娘の間に複雑な過去があったとは思わせない。その点については本人もエッセイの中で「ありのままを書くつもりでいたのに、いつの間にか私はさみしさの漂ういいお話を紡いでいたような気がする。(中略)父のために父を美化したかったのではない。私自身が『父がどんなであろうと、すべてこれで良かった』と自らの人生を肯定したいからだ」と述べている。そこから少しずつ、父親の「父」ではない顔に傷ついた過去や、価値観の違いでぶつかり、絶縁寸前までいった父親との関係性について深掘りしていくのだ。その過程を通じて、ジェーン・スーは母親が亡くなってからの父親に対する歪な執着を手放していく。


〈「禍福はあざなえる縄の如しというが、親子は愛と憎をあざなった縄のようだ。愛も憎も、量が多いほどに縄は太くなり、やがて綱の強度を持つようになるのだろう」〉


 そんな言葉で締められたエッセイを読み、ジェーン・スーが日頃悩める大人たちに出す回答と通ずるものがあるように感じた。多くの人が彼女の回答に心を救われるのは、決してスッキリするような解を出してもらえるからではない。“血の繋がり”というものが厄介なように、それぞれが抱える悩みは簡単に答えを出せるほど、手放せるほど単純なものではないのだ。それでも何とか折り合いをつけて、「よし」と明日を生きるための言葉をくれる。幸福と不幸を繰り返しながら、誰かを愛し憎みながら。


(文=苫とり子)