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障害者の介助、コロナで綱渡り「命を市場原理に委ねたツケが出た」現場の危機感

2021年04月14日 10:11  弁護士ドットコム

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新型コロナウイルスの問題で、エッセンシャルワークと呼ばれる、医療や流通、福祉など、人びとの命や生活を支える基本的な労働の重要性が再認識されている。


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いっぽうで、そうした仕事は感染リスクが高かったり、長時間労働や低賃金などの問題を抱えていたりすることも多い。



たとえば、障害者を介助する現場では、もともとが人手不足のため、感染者が出ると現場が回らないという「綱渡り」状態の運営になっているという。感染対策をめぐり、介助する側と障害者の人間関係に摩擦が生じることもある。



あるヘルパーは「人間の命に関わることを市場原理に委ねたつけが、コロナ禍で浮き彫りになっている」と指摘する。(ライター・福田慶太)



●人手不足の業界 感染者が出ると大きな負担

コロナ禍で、障害者介助の現場はどうなっているのか。話を聞かせてくれたのは、大学講師をしながら介助事業を営む伊吹浩一さんだ。



経営するのは、東京都大田区と日野市を対象に、重度障害者の訪問介護をおこなう小規模な事業所で、障害者2人と介助者5名がいる。いずれも、ほぼ24時間の介助を必要とする障害者だ。



「なるべく現実を直視しないで、日々の活動に没頭する毎日です。障害者も介助者も感染したりしたら、もうどうしようもない現実しか待っていませんので。



行政もことの深刻さを熟知していて、様々に対応してくれるのですが、抜本的な解決策を提示できません。今はでき得る感染防止策をとるだけです」



と語る。



介助はどうしても密にならざるを得ない。いっぽうで、取れる対策は手洗いの励行やマスクの着用といった一般的なもの。コロナをうつしうつされてしまうのではないかという悩みがあるという。



「コロナが流行しはじめた当初の暗中模索という状態から比べれば、どう対応したらいいかにもめどがついてきた。



けれども、そもそも人数も足りず、綱渡り状態で運営している事業なので、介助者や利用者が感染したときの対応が難しい。双方で会議をしているけれども、やはり現実には相当大変な状況になるというところです」



利用者がコロナに感染した場合、防護服を着用しての介助になるが、その正しい着脱などについて、講習を受けたり、訓練ができているわけでもないという。



「他の事業所でも介助に携わっている人もいますが、そちらにコロナを感染させるわけには行かないので、そういった介助者はシフトから外さざるを得ません」



残った介助者で利用者を担当することにならざるを得ないので、必然的に相当な負担が介助者に強いられる。



●置き去りにされる「相性・人間関係」

行政の対応はどうだろうか。



「厚生労働省も自治体も備品などの交付金は出していますし、実際に介助者がコロナに感染した場合は、代替のヘルパーを送る規定などを自治体は作っています」



とはいえ、その規定があれば全てが解決する、という問題でもない。



「ほかの事業所も余裕があるわけではありませんし、そもそも、介助者と利用者が人間として『合う、合わない』という大事な問題があります」



ひとくちに「障害者」と言っても、各人の性格や抱えている障害の性質は異なる。結局、一番大事なのは人間同士の関係なのだという。



●介助者に求められる高い衛生意識

事業所の別の介助者はこうも語る。



「僕が知っている例で言うと、本人がすでに重症肺炎状態にある重度障害者などもいます。



普段から酸素吸入器をつけて生活していますので、たとえばECMO(体外式膜型人工肺)を使用することができない。本人がその負担に耐えられないのです。



日常生活がそうなので、コロナが重症化すれば、確実に命がなくなってしまいますし、本人も覚悟をせざるを得ない中で生活しています。以前から衛生面では病院生活のような緊張のなかで日常を送っていたのですが、コロナが蔓延している状況の中で、より衛生的に気をつけることが多くなっています。



介助者の中には、部屋に入るときに着替えるほか、履いているスリッパも消毒するというような、手術室に入るようなかたちで介助をする人もいます」



●介助者が感染したら…実際に起きた事例

さらには、介助者がコロナに感染してしまった、ということもある。



「介助者の家族がコロナになり、濃厚接触者だからPCR検査を受けたら陰性だったということで、介助に入っていたところ、二度目の検査で陽性だったというケースがあります。



これにより、利用者自身が濃厚接触者として、日常のデイサービス、病院、処方などを制限されてしまった。



当然、事業所も責任を追及されましたが、利用者は自分が濃厚接触者であること、必要なサービスや医療が受けられないことなどのストレスが嵩じてパニック状態になり、呼吸も困難になるほどに体調が悪化してしまったのです」



●介助者の安全か、障害者の自由か

また、コロナへの恐怖があるなかで、介助する側とされる側の摩擦が生じることもある。



介助をする事業所からすれば感染させれば責任を追求されることもあり、障害者の自由をある程度制限してでも、感染リスクを下げたい。 一方で、事業所の役割とは、介助を通して障害者の自立を支えることだ。



結果として、感染予防と障害者の自己決定権、そのバランスをどう取るかという難しい問題が生じている。



「それぞれの人権感覚が試されています。介助者の負担軽減を優先するのか、事業所の経営を優先するのか、利用者の命または自由を優先するのかなどです」



●コロナ禍があぶりだした「介護に市場原理」の問題

問われるのは、そもそも介助とはどういうものか、ということだ。伊吹さんは語る。



「障害者総合支援法のもとで障害者福祉が行われていますが、その基本的な考え方は、障害者の方が主体となって介助してもらうための事業所を探す、そして契約して介助を行うというものです。



より良い介護サービスを提供してくれる事業所が選ばれるだろう、それができない事業所は淘汰されるだろう、というような市場原理に基づいてシステムが作られています。だから、我々が提供しているのは介護サービスという『商品』なんです」



人間の命に関わることを市場原理に委ねることの問題点も、コロナ禍があぶりだしたのではないかとも言う。別の介助者は語る。



「実際、高齢者の介助では、コロナ禍でデイサービスができなくなってしまったということで、経営上の判断で撤退してしまうという事例も発生していますが、残された障害者や高齢者の命はどうなるのでしょうか」



改めて伊吹さんは語る。



「厚労省は市場原理に委ねればより良い介護が提供される、とするけれども、人の命を市場原理に委ねることができないということがコロナ禍のなかでわかってきたのではないでしょうか。公的に無条件に支えていく、という仕組みを作らないとどうにもならない。



命は市場原理では救えない、自助努力ではどうにもならない。公的に支えていかなければいけないんだということです」