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三陸鉄道リアス線新田老駅 - 三陸復興の一環で開業した新駅を見る

2021年04月10日 08:21  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
○■被災した宮古市田老地区の中心部に新設

2011年3月11日の東日本大震災では、東北沿岸各地が津波により甚大な被害を受けた。岩手県宮古市北部の田老地区(旧田老町)は、最も大きな被害を受けた地域のひとつ。津波は巨大防潮堤を乗り越え、同地区の中心部を壊滅させてしまった。

宮古市田老総合事務所を再建するにあたり、三陸鉄道の新駅と合築する計画となり、災害復興住宅が建てられるなど、周辺の人口が回復傾向にあるエリアが建設地に選ばれた。これが2020年5月18日に開業した新田老駅だ。昨年12月に下車する機会があったので、レポートしてみたい。
○■既存の田老駅から500m、異例の駅間距離に

新田老駅の特徴としてはまず、既存の田老駅から、営業キロでわずか500mしか離れていない点が挙げられる。時刻表を見ると、田老~新田老間の所要時間が1分の列車も多い。列車が発車し、トンネル1つくぐったらすぐ到着する印象であり、これだけ隣の駅までの距離が短い区間も珍しい。松浦鉄道の中佐世保~佐世保中央間が200mという例もあるが、人口もさほど多くない地域としては、異例の駅間距離といえる。

従来から設けられていた田老駅は、国鉄宮古線の駅として1972(昭和47)年に開業。1984年に三陸鉄道へ移管された。築堤上に線路とホームが設けられている。

田老駅は旧田老町の玄関口であったが、中心部からは少し離れた位置にある。筆者は国鉄時代、夜間に田老駅で下車した経験があるが、もちろん無人駅で、周辺に明かりも少なく、寂しい場所という印象が残っている。三陸鉄道への移管後、観光物産センター併設の駅舎が建てられ、観光拠点としての役割も担っていたが、この建物も東日本大震災の津波で流失。ホーム上にまで瓦礫が打ち上げられる惨状となっていた。しかし、震災から9日後の3月20日には、早くも宮古~田老間で運転を再開。被災者を勇気づけた。
○■合築駅舎でバリアフリー化も達成

田老駅から旧田老町の中心部へは、歩いて10~15分ほどの距離であった。都会ならば大した距離ではないだろうが、田老駅のホームが高い位置にある構造もあいまって、高齢者の鉄道利用には少し厳しい面があったかもしれない。

まだ建物もまばらだが、新田老駅はかつての町の中心部に近いところにある。三陸鉄道の線路は津波の被害を考慮し、建設時から築堤または高架構造だった。それゆえ被害は軽減されたが、反面、日常利用において、階段しかない「乗りにくい駅」も見受けられる。その点、新田老駅は駅舎を他の施設との合築とし、ホーム直結の3階までエレベーターを設け、バリアフリー化を達成した。

1階に田老総合事務所、田老保健センター、宮古信用金庫田老支店。2階に宮古総合会議所田老支所が入り、地域の拠点としての機能も整えられた。3階に待合室があり、寒さや暑さに悩まされず列車を待てる。到着2分前にチャイムが鳴り、知らせてくれるのも便利だ。
○■新駅設置には被災者支援の意味もある

一方、三陸鉄道と並行する国道45号には、宮古駅前と岩泉小本駅前との間を結ぶ岩手県北バスの路線バスも走っており、震災前から鉄道と役割を補完し合っていた。路面からすぐ乗れるバスは、宮古病院など鉄道から離れたエリアを経由しており、鉄道とはまた別な客層があった。

現在、新田老駅最寄りのバス停は田老中町だが、駅から歩いて5分ほどかかる。新田老駅周辺は道路整備も進んでおり、バス乗入れも考えられなくはないが、田老駅前のバス停は駅のすぐそばにあるから、鉄道と連携を図るならそちらを案内すれば良いと考える。

新田老駅は路線バスとの競合を狙って設置されたわけではない。震災により、自宅のみならず自家用車を失った家庭も少なからずあり、被災者支援の意味もあって、公共交通機関の改善が図られたのである。

今後、田老駅は列車の行違いと、駅に近い岩手県立宮古北高校への生徒の通学がおもな役割になると思われる。旧田老町の中心駅は新田老駅へと移る。

さらに、新田老駅は、震災遺構として保存され、内部をガイドツアーで公開している「たろう観光ホテル」の最寄り駅でもあり、その他の震災関連施設も近い。被災状況と今後の防災を学ぶ「防災ツーリズム」の拠点としても活用できよう。
○■復興と並行する改良の好例でもある

鉄道が自然災害を被って不通になったとき、「災い転じて、福と成せ」といった意味合いで、復旧工事と同時に改良工事を行うべきとの意見が見受けられる。伊勢湾台風で被災した近鉄名古屋線を復旧する際、狭軌から標準軌への改軌工事を同時に行い、名阪間の直通運転を可能とした事例がしばしば引用される。しかし、これは改軌工事の準備が整ったタイミングで伊勢湾台風が来襲したケース。工事の計画を繰り上げただけである。

鉄道が被災したら、まず原状への復旧を図ることが基本で、それでも長い年月がかかる。東日本大震災で海岸線から高台へ町ごと線路を移設した2例でも、常磐線駒ケ嶺~浜吉田間(18.2km)は運転再開まで約5年9カ月、仙石線陸前大塚~陸前小野間(6.4km)は運転再開まで約4年4カ月かかっている。線路設備が破壊されたからといって、すぐに改良方針を立てられたり、具体的な設計、工事ができたりするものではない。

その点、新田老駅は、小規模ではあるが、震災からの復興を機に助成金なども活用し、復旧にとどまらない改良を図り、町民の利便性を向上させた例として、注目しても良いのではないか。短期間に方針を定め、実現させた宮古市と三陸鉄道の努力を称えたい。

土屋武之 つちや たけゆき 1965年、大阪府豊中市生まれ。鉄道員だった祖父、伯父の影響や、阪急電鉄の線路近くに住んだ経験などから、幼少時より鉄道に興味を抱く。大阪大学では演劇学を専攻し劇作家・評論家の山崎正和氏に師事。芸術や評論を学ぶ。出版社勤務を経て1997年にフリーライターとして独立。2004年頃から鉄道を専門とするようになり、社会派鉄道雑誌「鉄道ジャーナル」のメイン記事を担当するなど、社会の公器としての鉄道を幅広く見つめ続けている。著書は『鉄道員になるには』(ぺりかん社)、『まるまる大阪環状線めぐり』(交通新聞社)、『きっぷのルール ハンドブック 増補改訂版』(実業之日本社)、『JR私鉄全線 地図でよくわかる 鉄道大百科』(JTBパブリッシング)、『ここがすごい! 東京メトロ - 実感できる驚きポイント』(交通新聞社)など この著者の記事一覧はこちら(土屋武之)