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井上芳雄が見つめる、ミュージカル界の“いま” 「ミュージカルを受け入れてくれる土壌が広がっている」

2021年04月07日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

井上芳雄が見る、ミュージカル界の“今”

 『井上芳雄のミュージカル案内』は、昨年デビュー20周年を迎えたミュージカル俳優によるミュージカル入門書である。自らのキャリアをふり返った体験談、テーマごとに選んだベスト10作品へのコメント、舞台スタッフとの対談、ミュージカル史の簡単なおさらいや用語集など、様々な角度からジャンルの魅力を語っている。写真も多く挿入された新書であり、初心者でも気軽に手にとれるガイドブックだ。著者にこの本を書いた思いや、ミュージカルをめぐる日本の状況がこの20年でどう変化したかなどについて聞いた。(3月24日取材/円堂都司昭)


関連:インタビュー前半はこちらから


■20年の間にミュージカルがポピュラリティを得た


――これまでで演じるのが難しかったのは、どの役ですか。


井上:難しかった役……。役は全部難しいんですよね、自分じゃないし。なにが難しいかというと役ではなくて、むしろ演出家のハードルとか求めるところが難しい。やっぱりミュージカルではないストレートプレイだと、より苦労することが多いです。ミュージカルでは初期の『エリザベート』とか『モーツァルト!』とか、小池先生とやらせてもらったものがすごく難しかった。先生が求めているものに対して、僕は演劇の経験がなかったから素養というか、持っているキャパシティが少なくて表現する引き出しも多くなかった。役柄のスケールに追いつかなくてすごく苦労しました。若い頃は、演じるとはなんなのか考えたこともなかったけど、ミュージカルをやるためにはそこをつきつめないとやれないとわかった。その意味では、歌や踊りのないストレートプレイを経験したのは大きかったです。ミュージカルは音楽があるから、演じるうえでだいぶ助けられていますね。


――これからやってみたいのはどんな役ですか。


井上:僕はミュージカルが好きなので有名な作品はなんでもやりたいんですが(笑)、よくいうのは『マイ・フェア・レディ』、『オクラホマ!』、『サウンド・オブ・ミュージック』のようなクラシカルなもの。どんな役でもやってみたいですけど、僕は全然違うタイプの人物になるのが好きっていうタイプでもないんですよ。そういう技術もないし。逆に自分みたいな役をやってみたいですね。ほとんど俺だな、みたいな(笑)。だったら本人じゃないかって話になっちゃいますけど、でも本人ではない、みたいな役だったら面白いですね(笑)。


――初舞台から20年以上が経ち、ミュージカルをとり巻く状況もかなり変わりましたが、一番変わったのはどんな点ですか。


井上:ポピュラリティを得たことでしょうか。演劇自体が未だにマイナーな世界ではあるんでしょうけど、そのなかでミュージカルは頭一つ出て観客も増え規模も大きくなった。日本では、2.5次元ミュージカルも盛んです。世の中への浸透度が30年前とは全然違う。『オペラ座の怪人』、『ライオン・キング』、『レ・ミゼラブル』など何作かは知っているというかたが増えてきた感じはしますね。


――「FNS歌謡祭」とか代表例ですけど、テレビの歌番組にミュージカルの曲が出てくることが珍しくなくなりましたものね。


井上:ディズニー作品も含めてミュージカル映画がどんどんヒットしたのも大きいと思います。日本の国民性がちょっと変わってきたというか、歌ったり踊ったりするのがあまり恥ずかしくなくなってきたような。


――下の世代は自分たちの頃と違う印象ですか。


井上:より自然に歌ったり踊ったりしている気がします。僕たちの頃までは、タモリさんじゃないけど「急に歌うのは変だ」みたいな人はたくさんいましたけど、今は以前ほどではない。ミュージカルを受け入れてくれる土壌が広がっているんじゃないかな。


■ミュージカル界にcovid-19がもたらした影響


――そうした変化は喜ばしいですが、本では最近のミュージカル上演は飽和状態になっていてコロナ禍を経て今後は淘汰にむかうのではないかと、シビアな認識も示していますね。


井上:そう願っているわけじゃないですけど、コロナの影響が始まった去年のその直前までは本数も多いし、そのわりにすぐミュージカル俳優が増えるわけではない。お客さんも倍倍ゲームでは増えないから、供給が多くなりすぎたのではないかとみていました。結果的にコロナ禍で上演が制限される状況を経て適正値というか、なにが適正値か僕にもわからないですけど、残るべきものは残るという風にならざるをえないんじゃないか。そこには健康的な新陳代謝の面もあるでしょう。でも、今、演劇は自粛の期間を経て再開し始めているけれど、以前通りではなくて固定ファンのいる役者や人気の演目にお客さんが集中して、初めて上演される作品や知名度はないけど面白いものに行きにくくなっていると思うんです。しばらく前まで緊急事態宣言が出ていたわけで、気軽にちょっと観に行くというのはまだ難しいでしょう。そういう意味では選択肢が狭まってしまう不安はありますね。


――昨年はデビュー20周年でしたが、井上さんもいろいろ影響を被ったんですよね。


井上:舞台が2作くらい飛びましたし、記念コンサートも延期になりました。今はこまつ座のお芝居(『日本人のへそ』)に出ていますが、その後は去年から今年へ延期されたコンサートがあります。そのうち仙台公演は、先日の東北の大地震の影響で中止になってしまいましたが……。6月からはストレートプレイで『首切り王子と愚かな女』が控えていますし、基本的にずっとなにかしら舞台をやっている毎日です。それはもう変わりません。


■ミュージカルは現実からジャンプする力が強いジャンル


――漠然とした聞きかたになってしまいますが、ミュージカルの楽しさとはなんでしょう。


井上:今はマスクが手離せないし、人と距離をとらなきゃいけない現実の重さがしばらく続くんでしょうけど、そんな毎日のなかで日常を忘れ別世界に飛べるのが、物語や芸術の良さの1つだと思います。別の国や別の時代へ、ストレートプレイでも行けるんですが、ミュージカルは現実からジャンプする力が強いジャンルだと思うんですよ。日々生きているなかで伝えたい感情や思いをなかなか伝えられない。でも、物語があって音楽があれば、日頃しない伝えかたもできるというか、吐露しやすいかもしれない。そういう意味でミュージカルは、日本人にむいているんじゃないか。歌で伝えるというのはリアルではないですけど、そこが逆に心の壁の硬さをぶち破るエネルギーになる。だからミュージカルはいいなと思いながらやっています。


――井上さんが本で上げた「入門者にすすめる作品 BEST10」には『ウエスト・サイド・ストーリー』における人種差別、『キンキー・ブーツ』でのLGBTQなど、社会的テーマを含んだ演目も含まれています。なかには悲劇的な結末の作品もあるとはいえ、歌と踊りのあるミュージカルは華やかですし、希望のある描きかたをしているのがいいなぁと思います。


井上:歌と踊りだけとっても魅力的だし、でも気づいたらちゃんとしたテーマがあって伝えるべきメッセージもある。楽しんで観ていたら、いつの間にかそれを受けとっていたというのは理想的です。あまりにもシリアスなものだと、自分に余裕がない時にそこに入りこむ気になれないとか、頑張っても1回観るのがせいいっぱいだったり。その点、ミュージカルはリピートもできるし、敷居が下がる意味ではたくさんの人に観てもらえるんじゃないかなと思っています。


(取材・文=円堂都司昭)