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井上芳雄が語る、独自のミュージカルのガイドブックを作った理由 「偏りはあっても僕の見方が伝わればいい」

2021年04月06日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

井上芳雄がミュージカル案内を作った“理由”

 『井上芳雄のミュージカル案内』は、昨年デビュー20周年を迎えたミュージカル俳優によるミュージカル入門書である。自らのキャリアをふり返った体験談、テーマごとに選んだベスト10作品へのコメント、舞台スタッフとの対談、ミュージカル史の簡単なおさらいや用語集など、様々な角度からジャンルの魅力を語っている。写真も多く挿入された新書であり、初心者でも気軽に手にとれるガイドブックだ。著者にこの本を書いた思いや、ミュージカルをめぐる日本の状況がこの20年でどう変化したかなどについて聞いた。(3月24日取材/円堂都司昭)


関連:【写真】『井上芳雄のミュージカル案内』(SB新書)


■“今”自分が感じていることを伝えたい


――井上さんの書籍としては昨年12月に『夢をかける』が出版され、さほど間をおかずに『井上芳雄のミュージカル案内』が刊行されたわけですが、たまたまそうなったんですか。それとも昨年からのコロナ禍が関係しているのでしょうか。


井上:昨春の最初の緊急事態宣言による自粛が明けるか明けないかくらいに今度の本のお話をいただきました。コラム連載をまとめた『夢をかける』は以前から書籍にしようといっていましたが、『井上芳雄のミュージカル案内』については、コロナでなかなか動きがとれない時期に本を作るのはどうですかといわれて、こういう時だからこそできることもあると思ったのがきっかけでした。状況が背中を押してくれたところはあります。


――ご自身の歩みをふり返った第1章を読むと、ミュージカルに目覚めた頃、ミュージカル関係の本を読み漁ったとありますが、舞台デビューから20年以上が経ち、今度は目覚めた人たちにむけて入門書を出す側になったんですね。


井上:系統だった学術的なことは書けませんけど、入門のきっかけになる本ができればと思いました。今までも本を出してきましたけど、新書サイズは初めてですし手にとりやすいんじゃないかな。僕がミュージカルに出会った30年以上前くらいは、今と違ってミュージカル関係の本はそんなに種類がなかった。だから今、自分が感じていることをお伝えできればなという気はしました。


 入門者にすすめる作品、見逃せない名作、心に響くミュージカルナンバー、演じた役のエピソードをそれぞれ10ずつ上げてコメントしたんですが、ミュージカルの歴史的な意味ではこっちのほうがいいとかいろいろ考えちゃう。結局、自分が体験したことしか書けないし、基準は自分の思いしかない。偏りはあっても僕の見方が伝わればいいということで、本当に個人的に好きな作品、僕が思ういい作品を上げさせてもらいました。


■ミュージカルを愛してくださるかたと話を共有したい


――『ミュージカル案内』と題されていますが、案内する相手はどういうイメージですか。


井上:全方位のつもりではありますが、特にミュージカルを見始めた人ですかね。おすすめ作品にしても、できるだけ映像にもなっているものを選ぶようにしました。舞台芸術はこれがいいよといってもその時に上演されていないと観られない難しさがある。それは良さでもあるんですけど、この本ではミュージカルに興味を持ち始めた人に対して、今は映像を見る方法はたくさんあるから、そこから広がっていくほうがいいと考えたんです。また、詳しい人にも面白いと思ってもらえるように、本の後半では舞台のスタッフに話を聞きました。インタビューに関しては、演者など前面に出る人に話を聞くことのほうが多いわけですけど、それ以外にもたくさんの人たちが働いて舞台を支えている。その点、今回対談させてもらった振り付け家、歌唱指導、演出助手については、ミュージカルに詳しいかたでも聞いたことがない話が多いんじゃないか。そこらへんは考えながら企画しました。


――後半の対談パートでは、東宝の舞台がかつての座長公演からミュージカルへシフトしたという話など、なるほどと思って読みました。


井上:そこでも話していますけど、商業演劇は商業という言葉がお金儲けに結びついちゃうような響きだから学問になりにくいというか、東宝50年史みたいなものはあっても、歴史を追いかけてまとめることがあまりないでしょう。でも、自分のように現場に携わっていると、確実に世代交代や方針転換の大きな節目はあって、それは1本1本楽しんでいただくお客様には関係ないことかもしれないですけど、ミュージカルというジャンルを愛してくださるかたと話を共有したい思いはあります。知らないうちにそうなっているとか、知らないまま終わっちゃったということが商業演劇だと多いので、そこは残したいという気持ちがありますね、ずっと。


――そういう意味では、ミュージカルのいろんな面に気を配ったバランスのいい本だと感じました。


井上:こんな作品があるのかとか、歌唱指導っていう仕事もあるんだとか、とっかかりはどこでもいいんですけど、ミュージカルを知ってもらうきっかけになる本を出せたらいいなと思っています。もちろん1冊1冊のクオリティは大事ですけど、同時にいろんな人の目に触れる機会を増やすことも、自分にできることの1つかな、チャンスさえあればやらせてもらいたいなと考えています。


■『エリザベート』成功の理由の1つは……


――この本では、宝塚歌劇団によって日本で初上演されてから今年で25周年を迎えた『エリザベート』が、2000年に東宝で初めて上演された際、ルドルフ役(皇太子。主人公のオーストリア王妃エリザベートの息子)に選ばれ、井上さんがデビューした経緯が書かれています。東京芸術大学音楽学部声楽科に在学中、宝塚で同作を演出した小池修一郎氏の講義を受けたことをきっかけに、同じく小池氏が演出する東宝版『エリザベート』のオーディションに参加し、役を手にしたわけですが、課題曲は「ミルク」だったとか。これはルドルフではなくルキーニ(狂言回しの役割。東宝版初演では高嶋政宏)の曲ですよね。


井上:そうなんですけど、コーラスがたくさんある曲なのでアンサンブル(本書巻末のミュージカル用語集によると「役名のない登場人物。1人が何役も演じることもある」)のオーディションの曲だったんです。ルドルフという役は前半出てこないんですが、初舞台だしそれでは緊張するだろうと配慮されて「ミルク」を歌う群衆の1人で出ていたんです。ほかの数シーンにも僕は出ていましたけど、それは舞台に慣れるためで僕の後にルドルフを演じた人もそうです。


――なるほど、そうだったんですね。日本で人気の演目になった『エリザベート』は繰り返し上演され、井上さんは後にトート(「死」。エリザベートを愛する死神的存在)も演じています。ウィーン発のミュージカルである同作は英語圏では上演されていないそうですね。


井上:ウィーン・ミュージカル自体が英語圏で成功していないんです。オーストリアなどの史実をもとにした演目が多いんですが、アメリカ人はヨーロッパの歴史にそこまで興味がないのかもしれません。下手したら歴史の授業みたいになっちゃう題材ですが、『エリザベート』のミヒャエル・クンツェ(脚本・作詞)&シルヴェスター・リーヴァイ(作曲)は、トートのような存在や狂言回しなどを登場させ、『モーツァルト!』もそうですけど、いろいろな趣向を入れています。物語のフォーカスのあてかたがたぶんブロードウェイと違うんでしょうけど、逆に僕たち日本人はそれが好きなんだと思います。


――私は井上さんがルドルフ役の時とトート役の時に拝見しましたが、DVDで観たウィーン版とより耽美的な小池演出は異なるし、K-ポップ・スター的にトートを短髪で演じた韓国版ともイメージがかなり違いました。


井上:その国の文化を反映しているところはあるので、小池先生が独自の日本版といっていい『エリザベート』を作ったのが、成功の理由の1つだと思います。


■ミュージカル俳優は、半分アスリート?


――いろいろ演じてきた経験談で興味深かったのは、コメディの主役の大変さです。観客には軽々とやっているように感じられても、実はシリアスな役以上に負担が大きいという。


井上:ミュージカル俳優って歌いながら踊るから半分アスリートみたいなところがあって、凄い運動量なんです。だから、若い人が活躍する場が多い。昔ながらのミュージカル・コメディの場合、主役が出ずっぱりのものが多いから本当に体力勝負みたいなところがあります。僕はミュージカルをやりたかったとはいえ、そんなに体を動かしたいとか鍛えているタイプではなかったから、やりながらミュージカル用の体力をつけていく感じでした。


――今は筋トレなどは。


井上:まぁ、時間があればジムへ行ったりしますけど、基本的に全然好きじゃないというか、しょうがないから動かしてる(笑)。まず歌が好きなところから始まったので、体を動かすのは大変です。


――ダブルキャストの稽古の大変さも書かれていますね。


井上:僕がミュージカルを見始めた頃は『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』くらいで、ダブルキャストなんてほとんどありませんでした。逆に今は、ある程度大きい作品はダブルキャストじゃないほうが珍しいくらい。体力的な負担の問題もあるでしょうけど、一番は何回もリピートで観劇してもらうためですし、今は当たり前になっていますね。


<つづく(インタビュー後半は4月7日に公開予定)>


(取材・文=円堂都司昭)