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毒親に絶縁され17歳で上京、男にだまされ続けた女性を救った「謎のオジさん」

2021年04月04日 10:11  弁護士ドットコム

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昨今、ネット上にあふれている「毒親」とは、過干渉や暴言、暴力、あるいは一切かまわないなど、身体的、精神的に子供に悪影響を及ぼす親を指す造語だ。


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子供を溺愛していた親が、ある出来事をきっかけに「毒親」へと豹変。それが子供のトラウマとなるケースも少なくないという。



九州の地方都市で生まれ育ったユミ(仮名)も、ある事件が原因で両親に疎まれ、家庭内で孤立。17歳で単身上京して以来、孤独と葛藤の中で生きた彼女が、ある男性との出会いで、心の支えを取り戻したという。



「あの人との出会いがなければ、今も自分を大切にできない、不安定な人生を歩んでいるに違いありません」。信じることのできる人の存在は、孤独の中の一筋の光りかもしれない。(執筆家・山田準)



●家庭内絶縁のきっかけとなった事件

今年30歳になるユミは、家族、特に母親が豹変した中学生時代のある事件を、努めて明るく話し始めた。



「中学の時、学校の校舎裏の物陰で、初めて付き合った男の子と性的な行為をしているのを、先生に見つかってしまった。それで親が呼ばれ、大問題になってしまって。狭い田舎の地方都市だから、すぐにうわさが広まりました。あの事件以来、特に母親の態度が一変したのは忘れられません」



ユミは三人姉妹の末っ子。中学1年のころまでは、姉二人よりも成績は優秀で、両親に溺愛されていたという。教育熱心だった両親にとって、勉強のできた三姉妹、特に三女のユミは自慢の子供だったのだろう。



だが、中2で初めて同級生の男子と交際すると、徐々に成績が下降。事情を知らない両親は必死に叱咤激励したというが、「淫行事件」が発覚すると、両親のユミへの期待は嫌悪へと一変したという。ユミ自身も、そんな親の激変に反発するかのように、生活はより乱れていった。



「とにかく地方の狭い町で世間体を気にする親だったので、特に母親は私への憎しみがもろに言葉や行動に出るようになりました。父親はほぼ無視状態。二人の姉からも、私への不快感がひしひしと伝わってきました」



●家庭に居場所がなく、高校中退で単身上京



確かにユミの行為は、褒められたものではない。とはいえ、自分の思い通りにならない思春期の子供を攻撃、虐待、あるいは無視し、突き放す親は、今でいう「毒親」と言われても仕方ないだろう。子供は親の所有物ではないのだから……。



「何とか高校には進学できたのですが、家庭に居場所がない状況がつらくて、高2で中退し、逃げるように東京に出てきました。あれから約13年、家族とは断絶状態が続いています。ちなみに、二人の姉は、誰でも知っている有名な私立大学に進学しましたが、その後のことは知りません」



集団から絶縁される「村八分」でも、火事と葬儀だけは例外と言われるが、ユミの場合は家族の状況はもとより、冠婚葬祭などの連絡も一切ないと言うから根が深い。



そもそも、ユミの家族が、何度か転居しているユミの住所や、転々とする仕事の状況を、把握しているのかどうかも分からない。もちろん、上京して以来、家族から連絡が来ることも、ユミから家族に連絡することも、一度もないという。



●信じられる大人との出会いが心の支え



ユミの東京での職場の多くはサービス業だったという。特別な技能や学歴、資格がなく、何より保証人や頼る人間もいないユミが都会で生きていくためには、経済面を考えても、体を張った仕事を選ぶしかなかった。



ユミは17歳で上京して以来、キャバクラ、パブ、居酒屋といった飲食店や、性感マッサージ店、洗体エステ店など風俗店を掛け持ちしながら、必死に働いてきた。そんな環境下で、若くて社会経験の乏しいユミに付け込んでくる輩も少なくなかったという。



「上京して20歳過ぎまで、何度男にだまされたか分かりません。今思えば、寂しさで人恋しかったのだと思う。アパートに転がり込まれ、衣食住から小遣いまで世話したこともあるし、店の客と付き合った時は散々貢がされもしました。



中には、自転車で私のアパートにぶらりやってきて、コトが済むと、すぐに帰っていくなんて男もいました。結局は都合のいい女でしかなく、人間不信みたいな状況でした。最後は、『結局、お前も他のヤツと一緒じゃないか!』が、私の捨て台詞(笑い)。



でも23歳の時、本当に信じることができる大人に出会えたのが、私にとっては奇跡、人生の分岐点でした」



●「自分を大切にしなさいよ」

その「ある人」とは、ユミが出会った当時、60歳を超えたばかりで、両親より少し年上のKという年配者だった。ユミが勤めていた居酒屋の常連客で、いつしかプライベートでも親身に相談に乗ってくる存在になったという。



ただ、どんな状況になっても、Kさんは決して体を求めてくることはなく、まるで親のような愛情を感じた。時に自分を大切にしないユミを厳しく怒ることもあったという。それまで東京で出会ってきた男たちとは明らかに違った。



「Kさんにだけは、なぜか自分のことをすべて洗いざらい話せました。信じてもらえないかもしれませんが、出会ってから3年くらいたっても、体の関係にはなりませんでした。



年齢差は関係なく、好きになってしまい、一度私から求めたこともありました。でもKさんは『もっと自分を大切にしろ』と。親子ほどの年齢差の私を娘のように思ってくれていたのか、それとも、私がそれまで出会ってきた、体や金だけが目的の男たちと同じ、とは思わせたくなかったのか。Kさんがどう思っていたのかは分かりませんが……」



●姿を消したKさんを追って離島へ



そんなKさんと出会って4年目のある時、Kさんは出稼ぎに行くと言って、ユミの前から姿を消したという。ユミには、仕事先の離島の名称だけ告げたが、仕事内容や離島での住所、いつ帰ってくるかなど、詳細は一切教えてくれなかった。



「Kさんがいなくなって、数カ月がたつと、無性に会いたくなってしまった。それで大型のフェリーに乗って、Kさんに教えてもらった〇〇島に行きました。



でも、その島はかなり広いし、私は車の免許も持っていないから、行動範囲にも限りがあります。会いに来たと伝えたくて、何度携帯に電話しても出てくれない。私が来たことはきっと分かっていたと思います。でも応答は一切なし。結局3日間探し回りましたが、会うことはできませんでした」



Kさんは「天涯孤独の身」と自嘲する以外、自分の身の上話はほとんどしなかったという。娘のようにかわいがったユミにも話せない、あるいはユミだから話せない複雑な事情を抱えていたのかもしれない。



あくまでも推測だが、もしかしたら離別して会えない、ユミと同じくらいの年齢の娘がいたのかもしれない。あるいは、親子ほどの歳の差があるユミと大人の関係になることを望んでいなかったのかもしれない。ユミがその離島を去ってから間もなく、Kさんの携帯番号は音信不通になったという。



「Kさんは今、どこで何をしているのか。もちろん、もう一度会いたい気持ちはありますが、きっと何か事情があるのだと思う。



でも上京して以来、最後まで信じることができた大人はKさんだけ。家族とはいまだ絶縁状態ですが、頼る大人や知人、友人が誰もいなかった都会の生活で、信じられる大人が一人でもできたことは、大きな宝物です。Kさんという大人と出会えたことが、今でも私の心の支えになっています」



ユミは、Kさんに出会う前までの生活を後悔するかのように、こう言い切る。



「今は何より、まず自分を大切にして生きています。もちろん、お金や体が目的の男は相手にしません。私ももうすぐ30歳になりますし、昔のように、寂しさを紛らわすだけの、流される生き方なんて絶対にしない。これだけは言い切れます」



●派遣社員として再スタート

ユミは現在、東京の地下鉄沿線のワンルームマンションに引っ越し、派遣社員としてある商業施設で受付の仕事を任されているという。その明るい表情から、収入は減っても、心の張りというか、前向きな気持ちを感じずにはいられない。



「まだ明確な将来設計みたいなものはありませんが、まずは東京での生活基盤をしっかり作っていきたい。大事なのは、自分の意思というか気持ちの持ち方。Kさんが言ってくれた『自分を大切にする』という言葉を忘れず、頑張っていこうと思います。そしてできることなら、私を変えてくれた恩人でもあるKさんと、いつか再会したい」



九州の地方都市から単身東京に出てきて13年。苦い経験も少なくなかったが、ユミは今、前を向いている。



私事で恐縮だが、30年ほど通う新宿の雀荘の名物ママも、30代で裸一貫、麻雀店の経営に乗り出したという。以来、40年以上も新宿でたくましく生き抜き、コロナ禍で経営難の今でも、2店舗を切り盛りしている。



ユミが、新宿の雀荘のママのように、大都会でたくましく、幸せに生きていくことを願ってやまない。