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『進撃の巨人』は時代とシンクロした作品だったーー評論家3名が徹底考察【前編】

2021年04月03日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『進撃の巨人』1巻(講談社)

 『別冊少年マガジン』(講談社)にて11年半にわたり連載された『進撃の巨人』が、4月9日発売の同誌5月号でついに完結する。人を食べる「巨人」が存在する世界で、壁に囲まれた都市や人類と巨人の戦いを描いた本作は、伏線が張り巡らされた緻密な構成と時代性を反映した壮大なストーリーで、日本のみならず海外にも熱狂的なファンを生み出した。作者の諫山創が「『いつ終わるのか』と急かされ続けての晩年でした」とコメントした本作は、果たしてどのような結末を迎えようとしているのか。


 「リアルサウンド ブック」では『進撃の巨人』連載終了の知らせを受け、批評家の渡邉大輔氏、映画ライターの杉本穂高氏、漫画ライターの倉田雅弘氏による座談会を開催。前編では、作者・諫山創の作家性を考察するとともに、実社会の問題が作品に与えた影響、時代性を反映した巧みなストーリー展開など、作品の魅力を語ってもらった。(編集部)


『進撃の巨人』は時代とシンクロした作品だった

渡邉:私は映画批評やアニメ批評をやっていますが、2015年に発売された雑誌『ユリイカ』の「マンガ実写映画の世界」という特集(10月号)で、ちょうどこの年に実写映画版が公開された『進撃の巨人』を取り上げて論じたのですね。『進撃の巨人』は、一度その時に原作をかなり読み込みました。確か当時はちょうどヒストリアの名前が明かされ、物語の展開が大きく転調していく時期に当たっていて、その後、いわゆる王政編、そしてマーレ編へとどんどん話が複雑化していきますね。このあたりで、初期からの一般的な読者がどんどん脱落していくフェーズがいくつかあったと思うんです。かくいう私も、コンスタントに雑誌連載を追っているわけではなかったので、久しぶりに読んだら、「あれ? なんか新連載始まったのかな。話どうなってるんだ?」みたいに感じることもありました(笑)。


 このこととも関連しますが、いわゆる長編連載漫画の読書体験、メディア経験にありがちなことですが、リアルタイムでコンスタントに作品を読んでいる場合と、しばらく離れていたりして何年か分の物語を改めて一気に読んだ場合とでは印象が異なると思うんです。今回、『進撃』を読み直して思ったことは、『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』、『風の谷のナウシカ』などここ四半世紀くらいのさまざまな名作コンテンツを髣髴とさせるようなモチーフが随所にちりばめられつつ、一方で、東日本大震災(3·11)以降の日本や世界の社会状況とも物語が絶妙にリンクしていたように見えるという両面性です。


 例えばすでに指摘もあるように、物語の前半部分は巨人=津波や放射能というような2011年の震災を非常に思わせる設定が目を引きます。ところが一転して後半、壁の外の秘密や物語の世界観が明かされていく局面になると、今度は2010年代後半の私たちの社会で話題になった排外主義やポピュリズム、歴史修正主義、反出生主義や安楽死の問題などと結びつくテーマやモチーフがどんどん出てくる。そういう意味において、『進撃の巨人』はすごく時代とシンクロしていた作品だったんだなと改めて思いましたね。


 ただ一方で、さらにこの作品がすごいと思ったのは、このように「時代と添い寝」するような連載当時のその都度の時代の空気感を的確に取り込みつつも、物語の内在的なまとまりもちゃんとあること。巧妙に張られた伏線が後半でしっかり回収されていったり、ストーリーテリング自体もものすごく緻密です。つまり、リアルタイムの時代性を反映していながらも、ストーリーもまたすごく巧妙に緻密に作られているという二重性。この両面がすごくうまくいっているところが『進撃』のすごさです。


杉本:そうですね。諫山先生はインタビューで、結末はもう当初から決まっていたと話されているので、かなり計算して緻密にストーリーを組み上げているんでしょう。これぐらい長く連載していると、大抵どこか設定が破綻すると思うんですけど、『進撃の巨人』はほとんど破綻がないですよね。


渡邉:そうなんですよね。特に、キャラクターのコントロール能力は抜群にすごい。これだけの長期連載になると、たいていキャラの性格設定などが徐々にブレてくることがありますが、『進撃』ではアルミンやミカサ、ハンジなど、それぞれのキャラに明確に性格的な特徴や能力的な長所があてがわれながら、それが後半でもまったくブレず、言動の論理が一貫している。これはやっぱり漫画家、あるいはストーリーテラーとしての能力の高さを証明しています。


杉本:例えば、少年ジャンプの長期連作作品では、登場初期の印象から大きく変化してくキャラクターがよくいますが、『進撃の巨人』のキャラクターにそういう印象は抱かないですよね。キャラクターのバックグラウンドまで含めて、大変によく練られていて、誰一人として類型的なキャラクターではない、深みある人間として描かれていると思います。


『進撃の巨人』27巻(講談社)

倉田:登場キャラクターの性格に一貫性があるというお話がありましたが、エレンがラスボスになるという展開はどう思いましたか?


杉本:相当に勇気がある展開というか、作り手としてよくそんなことできたなと思いましたね。ただ、エレンというキャラクターを深く考えると、これはこれで一貫性があると思いました。


倉田:そうなんですよね。エレンの最初の発言を忠実に守っていくと、確かにこの展開しかないよなと。1つの区切りとしてマーレ編で物語のフェーズが変わった気がしています。実際22巻で海に辿り着いたところがラストでもいいと、諫山先生がインタビューでお話されていましたし。


『進撃の巨人』22巻(講談社) 『進撃の巨人』23巻(講談社)



杉本:マーレ編が始まる23巻は、エレンたちがほとんど登場しないんですよね。全く別のエピソードが始まったのかと最初は困惑しました。ライナー陣営に物語の視点が移るわけですけど、これまでのエレン陣営で語られた物語を別視点で語り直すつもりなのかと最初は思いました。実際にマーレ編はエレンが侵略者として振る舞ったりと、ライナーやベルトルトが行ったことを反復しているわけですけど、この悲劇の反復が作品全体にとって重要な要素になっています。


渡邉:私もマーレ編は困惑しました(笑)。倉田さんがおっしゃったように、エレンの言動は一貫しているし、最終的にああなってしまう必然性があります。あと、この漫画は回想シーンの比重がすごく多いのも大きな特徴ですね。この点からも、やはり諫山先生の中である程度、最初からプロットが決まっていたんですかね。


杉本:プロットはおおよそ決まっていたのだと思います。読者を惹きつける物語で重要なのは、情報のコントロールです。諫山先生は、読者にどのタイミングで、どの情報を見せるかのコントロールが抜群に上手い。最初は、エレンたちと同じレベルで何もわからない状態で始めて、徐々に世界の謎が解けていく。世界を知る過程を楽しませてくれるわけです。この世界をある程度知ったところで、マーレ編で一気にひっくり返されるので衝撃も大きい。キャラクターの過去についても、一つの回想シーンで一気に見せずに、小出しにして、なぜその人物がこのような考えに至ったのか説得力があります。


倉田:杉本さんの話を受けて思ったんですけど、マーレ編以前の『進撃の巨人』は、ファンタジー・神話としての作品だったと思うんです。それがマーレ編になって、歴史・ドキュメンタリー要素の強い作品になった。世界の謎を解くというファンタジーだったものが、マーレ編以降、その世界の現実をどう生きるかという話になって、すごくリアリティーが増した。


渡邉:非常にいい喩えですね。というのも、特に『進撃の巨人』は物語初期の頃、「新しいセカイ系」みたいに批評・評価されていたふしがあったと思うんですよ。セカイ系のように、巨人が跋扈する世界の背景や歴史が一切描かれず、謎として提示される。でも後半、特にマーレ編の前後あたりから、完全に物語が転調して、この話の背景や歴史が明かされていく。セカイ系ではなくなっていくわけです。むしろ、まさに倉田さんがおっしゃったように、「社会」や「歴史」というセカイ系が描かないとされる中間項をドキュメンタリーのように描いていく方向に転調していった。


杉本:おっしゃる通りで、この作品が普遍的な世界の歴史を描いているのでは、という気になってきますね。色々な人が指摘していますが、マーレとエルディア人は、ナチスドイツとユダヤ人の関係を彷彿とさせますし、パラディ島編での戦いは、日本の幕末、開国派と鎖国派の戦いにも見えてきます。島の未来のためにいざ開国してみたら、さらなる地獄が待っているなんて、明治から昭和初期の日本みたいです。ただの空想ファンタジーではなく、人の歴史のドキュメンタリーが描かれているような感覚になります。


倉田:連載が始まった2009年頃に比べて、東日本大震災以降、どんどん現実世界がシビアになっていき、ある種の切迫感・緊張感みたいなものが熟成されていったのがここ10年くらいだと思っています。僕は諫山先生の考え方や世界の捉え方が、時代に合わせてアップデートしていったのが連載にも表れているんじゃないかなと思いますね。


渡邉:ここで私たちが言っていることに対して、どこまで諫山先生が自覚的なのかわからないですけどね。あと、後半は人類史の話になってくるじゃないですか。そうすると、これも2010年代後半に流行っていた、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』とか『ホモ・デウス』を思い出す(笑)。やっぱりその時、その時のトレンドとシンクロしているのがよくわかります。それと同時にやはり作家としての諫山先生も、変化していったように思いますね。【後編に続く】