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『新世紀エヴァンゲリオン』映画の後は漫画版を読むべき? それぞれの結末に込められた想い

2021年04月02日 13:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『新世紀エヴァンゲリオン』はマンガではどう描かれていたのか

 エヴァンゲリオンのアニメーションが完結した。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見た人なら分かるラストシーンから、これで終わりなんだといった気分が世間に満ちている。ここで気になるのが、タイトルに付けられた反復記号だ。2007年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』なり、1995年放送開始のテレビシリーズに戻って見返すのだという意味にも取れるが、そこに、愛蔵版が刊行中の貞本義行による漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』(KADOKAWA)も含めることで、エヴァンゲリオンという物語が26年がかりで示したかったものが、よりくっきりと見えてくる。


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 1995年10月4日に第壱話「使徒、襲来」が放送されるより9カ月も前に、『新世紀エヴァンゲリオン』というテレビアニメは誰が主人公で、どのようなロボットが登場して、何と戦うかが明らかにされていた。エヴァンゲリオンのキャラクターたちをデザインした貞本義行が、放送に先行して漫画版の連載を、「月刊少年エース」で始めたからだ。


 父親に呼ばれてやって来た碇シンジという少年が、怪獣と呼ぶには異形の化け物に襲撃された街で、スポーツカーを運転する美人だがヘンな所のある葛城ミサトに助けられ、連れて行かれた謎の施設でこれもロボットと呼ぶには異質なデザインの、巨大な人型の兵器に乗って戦えと命じられる。


 久々に会った父親からのいきなりの命令に驚くものの、断れば目の前にベッドごと運ばれてきた重傷の少女が、代わりに乗せられるとあってシンジは気概を見せ、自分が乗ると決断する。『機動戦士ガンダム』でアムロ・レイがガンダムに乗り込んだ瞬間にも似た、新しいヒーローが誕生する描写に、自分を重ねてヒーローになる願望が満たされた人も少なからずいただろう。


 テレビアニメが始まって、動きやセリフ、音楽や効果音が付く中で、改めて使徒と呼ばれる化け物の迫力や綾波レイの可憐さ、ミサトの愛嬌に触れて、エヴァンゲリオンの世界にハマり込んでいったファンを、衝撃の展開が待ち受けていた。シンジが次々と騒動に巻き込まれていく中で、心を壊し、迷いを吐露し、絶望にうちひしがれた挙げ句、内面の世界で自問自答する結末に、最初の彷徨を繰り広げていた漫画版のシンジの未来が見えてしまった。


 だからといって、読む価値を失ってしまったかというと、漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』は社会現象にまでなったアニメの世界や、キャラクターたちに触れられ、物語の謎に迫れるアイテムとして人気を高めていく。レイやアスカの姿をじっくり眺められるだけでも嬉しい上に、シンジやゲンドウが何を考えていたかが分かりやすく描かれていたのも良かった。


 テレビシリーズの第弐拾四話「最後のシ者」に登場しては、即退場となった渚カヲルも、漫画版ではずっと早くネルフに合流して、シンジとの交流を深めていく。苦悩するシンジを理解者といった雰囲気で慰撫したアニメ版とは違って、漫画版のカヲルは遠慮のない言動でシンジを苛つかせる。


 3月26日に刊行された愛蔵版の第5巻で、シンジがカオルの胸をつかんで「前歯全部折ってやる」と脅す場面など、テレビシリーズでも新旧の劇場版でも想像ができない振る舞いだ。碇シンジというキャラクターにあり得た可能性のひとつが、漫画版『エヴァ』には描かれているのだとも言える。


 振り返れば漫画版のシンジは、有名になった「逃げちゃダメだ」のセリフも吐かず、綾波の代わりにエヴァに乗って戦おうとする熱血少年だった。アスカに「気持ち悪い」と言わせた『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』のシンジをいったんリセットし、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の中に再生させては、『破』『Q』を経てどん底から立ち直らせた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のシンジが、反復記号を受けて今一度、エヴァンゲリオンの世界を歩んだ姿と言えるかもしれない。


 テレビアニメに戻るのではなく、漫画版に戻るべきだと言うのは、そんな理由からだ。漫画版の物語自体は、テレビアニメの大筋をそのままたどっていく。テレビ放送版の「終わる世界」「世界の中心で、アイを叫んだけもの」へとは向かわず、旧劇をなぞった描写へと進んでいく。そこでもアニメとの違いが生じている。ネルフの中、戦略自衛隊に囲まれたシンジを最初に救うのは、ミサトではなく銃を手にしたゲンドウなのだ。


 テレビアニメや旧劇では、すれ違いの果てに自分の望みがかなわず朽ち果ていくゲンドウが、漫画版では主体的に自分の願いを語り、シンジと向き合い彼の父というよりは、碇ユイの夫という自分の心情について吐露する。そうしたゲンドウの立ち位置が、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のゲンドウと重なると感じる人も、見た人の中にはいそうだ。


 そんな父親との対峙を経て、自分を確立したシンジが漫画版で選びとる道も、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を強く意識させる。これが2013年に発表されたことで、新劇の結末が変わったのかもしれないと思ってしまうほどに。妄想でしかないが、少なくとも先行していた旧劇とは違う、希望を感じさせる結末を、共に描こうと思ったのではないかと感じ取れる。


 庵野秀明総監督が選んだ道が、新劇場版のラストシーンであるのなら、企画当初から関わっていた、というよりDAICON FILMの時代からの僚友である2人は、共に同じようなベクトルで、エヴァンゲリオンという物語を混沌の渦から引っ張り上げ、光明の中を歩ませようとする物語を紡いだことになる。


 その2つのエヴァンゲリオンも、やはり違ったものになっている。どちらを正解としたいかは見た人がそれぞれに判断すべきだが、せっかく『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見終わって反復記号へとたどり着いたのなら、漫画版まで戻って読み、テレビアニメを見て旧劇を見て『序』『破』『Q』を見て、4月26日に出る漫画愛蔵版第7巻の結末を読んでから、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見て欲しい。繰り返して何度でも。


(文=タニグチリウイチ)