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地毛証明書は「茶髪えん罪」を生む? 「髪が明るい=グレ」という価値観のおそろしさ

2021年03月29日 10:11  弁護士ドットコム

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髪の毛が黒以外の色や、くせ毛の生徒に対して、都立高校の半数近くが「地毛証明書」の提出を求めている。


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共産党・東京都議会議員団が、都教育委員会に対して情報公開請求したところ、全日制の都立高校177校のうち、全体の約45%にあたる79校が「地毛証明書」を提出するよう求めていることがわかったという。提出が任意であることを文書で説明しているのは、79校のうち5校だった。



公開された証明書には、過去に染色や脱色をしたことのない生来の頭髪であることを問うものや、カラースケールで髪の色をはかり、スケール番号が記載されるものもある。地毛であることの証明として中学時代や幼少期の写真の提出を求めることもあるようだ。



「髪の染色などを禁じる校則は学校の裁量権の範囲内」とする判決が2021年2月にあったが、地毛証明書の提出も問題ないのだろうか。学校問題に詳しい高橋知典弁護士に聞いた。



●地毛証明書は「頭髪指導における免罪符」

——地毛証明書とは一般的にどのようなものなのでしょうか。



地毛証明書は、「染髪禁止」などの校則があり、頭髪指導を実施する学校において、明るい色の髪の毛が、おしゃれのためにしている「染髪」ではなく、「地毛」であることを証明するために、学校側が生徒の保護者に提出を求めるものです。



単に保護者が出せばいいものから、子どものころの写真などの証拠が要求されるものもあります。



地毛証明書が提出されることで、髪の毛が明るかったり、強めのパーマがかかっているように見えても、地毛であるとして、校則違反とせずに、生徒を頭髪指導の対象から外すことができます。



いわば、頭髪指導における「免罪符」といえるでしょう。



●「生徒に負担をかけ、証明方法としても不出来なもの」

——時代遅れとの声がある一方、いまなお提出を求める学校が少なくないようです。



地毛証明書がこれほど多くの学校にいまだに存在しているのは、頭髪指導について厳しい校則や指導を残している学校が同じだけ存在しているという点にあると思います。



——地毛証明書は人権侵害との声もあります。



地毛証明書は、個人の特性を疑うことから始まり、また、特定の体質を持っていることを社会に対して証明することを強いています。個人の身体的な特性を証明することの負担は、他の事例で見ればわかりやすいです。



たとえば、「肌の色の証明」「男性・女性であることの証明」「髪の毛が薄いか剃っているのかの証明」などの身体的な特性を疑ってくる人に対して、対外的に証明しなければならないとなれば、かなりの負担でしょう。



また、地毛証明書の意味が本当にあるかも疑わしいところです。たとえば、地毛証明書は、地毛の証明のために、幼いころの写真を出すように求める場合があります。



しかし、そもそも写真は、10数年後の地毛証明のために撮っているわけではありませんから、近くで見ると明るいといった髪の色がわかる写真が都合よくあるとは限りません。



髪の色は、プールに入ったり、日光に長く当たることで明るく変色するといわれていますし、年頃になって長い髪にしてみることで、初めて髪の色が明るく見えることに気がつく子もいるでしょう。



——幼いころの写真からでは、そういった変化などを読み取れないということですね。



私自身も、髪質がいわゆる「天然パーマ」でした。



思春期にこのことをコンプレックスに感じていましたが、実際に地毛証明の中には、ウェーブか地毛かを聞くものもあり、コンプレックスに感じる人にとって、「天然パーマであることを証明しろ」などと言われるのはひどく不快なことです。



さらにいえば、私は、幼いころ、短い坊主頭にしていたので、高校生のころに、ウェーブが地毛か証明しろと問われても、幼いころの写真は証明の役には立たなかったでしょう。



このように、地毛証明書は、生徒に身体的な特性を証明させようとする点で、生徒側に負担があり、しかも証明方法としても不出来といえるでしょう。



——今回は都立高(公立)についてでしたが、私立の場合だと異なる考え方もあるのでしょうか。



校則を作るうえで、私立だからこそ、その学校の「建学の精神」が尊重されるという点で公立との違いがあるとされています。そのため、私立のほうが、校則に関する裁量も広いと考えられます。



ただし、当然ではありますが、たとえば地毛の茶髪を黒髪に染めさせるようなものは違法となるでしょうし、証明を求めることにも、人権侵害的な要素が含まれており、校則の運用、取扱には注意が必要だと考えられます。



●「髪が明るい=グレている」に説得力はあるのか



——先日、髪の染色などを禁じる校則は「学校の裁量権の範囲内」との判断を示した大阪地裁判決(2021年2月16日)がありました。



大阪地裁の判断は、これまでの裁判所での判断をそのまま踏襲するかたちでおこなわれたものといえます。



茶髪に対する社会一般の認識に変化は認められるものの、華美な頭髪を制限することで、生徒に学習や運動に注力させ「非行防止」につなげるという点で、校則には合理性があるとの判断のようです。



——髪の染色などを禁じる校則にもとづく頭髪指導も依然として合理性が認められるのでしょうか。



頭髪指導は、簡単にいえば、「グレ始め」を早期に判別し、その後の非行を回避するために役に立つといわれます。



生活指導の原則としても、重大な非行問題になってから指導を始めるのではなく、指導が容易なもっと早い段階で始めるべきだといいます。大人に対して反抗したいという欲が出てきた初期の兆候として頭髪に注目し、生徒指導につなげようという考え方です。



もちろん、髪を染めたことを校則違反にしないとしても、髪の色が変わったことは生徒の大きな変化ですから、声かけをおこなうなど、本人の内心に抱えたものがないかを知ろうとすることは、今後もおこなうべきでしょう。



しかし、あくまで私は、校則違反を理由とする頭髪指導をおこなうべきではないと考えています。



たとえば、他のより直接的な反応として、授業を妨害するような態度や出欠席の状況、友人関係のやり取りにいじめのような要素がないか、服装の乱れ、教員に対する対応の仕方、ロッカー等の共用物の使用状況などの観点から、指導をおこなうべきことだと思います。



この頭髪指導が機能する前提として、「髪の毛が明るい=不良の始まり、グレている証」と考えることになります。髪が明るいのは「グレている証」と考えられている社会で、地毛が明るい子は、学校で、地域社会で、どんな周囲の目にさらされて生活するのでしょうか。



さらには、なんであの子は髪が明るくていいのか、先生の贔屓(ひいき)ではと疑われることもあるでしょう。それに対して、いちいち地毛証明書を生徒や地域社会に見せて歩くのでしょうか。



先に見たとおり、そもそも地毛証明書自体が、正しく、本人の特質を証明できるとは限りませんから、「茶髪冤罪」とでもいうべき言いがかりを受けた生徒もいることでしょう。



その生徒からすれば、わけのわからない不完全な校則や指導のせいで、自分の髪の色を否定され、髪を黒に染めるために勉強や運動にあてることのできる時間を費やすわけですから、むしろ学校生活の無駄が増えることになります。



そして何よりも、なぜ「髪の毛が明るい=グレている証」といえるのかという価値観自体を振り返る必要があります。教員を含む大人は、生徒からその価値観や話し方、振る舞いを常に見られています。



茶髪の教員もいる中で、「髪の毛が明るいのはグレている証だ」と、不甲斐ない根拠しかない校則を生徒指導という強制力で必死に守らせようとする姿は、むしろ学校の権威を失わせているのではないでしょうか。



裁判の結果にかかわらずに、生徒指導の説得力の問題として振り返るべきでしょう。