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【3/29~4/4の運勢】4月1週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2021年03月29日 08:01  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

2021年上半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

2021年上半期の運勢 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

井戸掘り人として

今週のおひつじ座は、誰かとのあいだで「井戸」を掘っていこうとすること。

『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』のなかで村上春樹は、自身にとって転換点となった『ねじまき鳥クロクニル』について、「『井戸』を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、僕は惹かれたのだと思うのです。」と語っています。

この本の別の箇所で、河合隼雄は「昔の夫婦というのは、ただいろいろのことを協力してやって、それが終わって死んでいって、それはそれでめでたしだった」けれど、「いまは協力だけではなくて、理解したいということになってきている」と述べた上で、「理解しようと想ったら、井戸掘りするしかしょうがないですね」と言っています。

たぶん「井戸掘り」というのは、能動的に掘っていくというより気付いたら掘り始めていて、やがて不安になったり怖気づいたりしているもの。大抵の人はそこで投げ出すけれど、まれにそのまま掘り続けてしまうという事態がある。あなたも、そんな井戸掘りにいつの間にか精を出している自分に気付いて、不思議な気分になっていくかも知れません。

続きはこちらから 今週のおうし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

夢を担う

今週のおうし座は、さまざまな力加減に思いを馳せていくような星回り。

「平凡な言葉かがやくはこべかな」(小川軽舟)に出てくる「はこべ」とは、道ばたなどによく自生している、春の七草の一つ。きっと作者も何の気なしに道を歩いていて、道ばたの陽だまりに思いのほか濃い緑の草を見つけたのでしょう。

それがほころぶように小さな白い花を咲かせている。こんな身近な場所で、これ以上ないほど慎ましく、春が来たことを告げているのだと、作者はそこで改めて気付いた。やっと巡ってきた春を喜び、それを歌に残してきた先人たちや、その系譜の切っ先に立っている自身の姿を、そっと「はこべ」に重ねてみせたのかも知れません。

四季は繰り返される一方で、人生という時間は後戻りすることなく進んでいく。それは無情な現実ではあるけれど、だからこそ、永遠に循環する時間の海に浮かぶ束の間の夢として私たちの傍らにあり、それを大事に感じることができるのだとも言えます。あなたも野辺に咲く「はこべ」に自身のささやかな喜びを重ねてみるといいでしょう。

続きはこちらから 今週のふたご座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

塩に導かれて

今週のふたご座は、みずからを自由にしていこうとするような星回り。

現代では「自由」と言えば、拡大する格差のなかでの残酷な自己責任論や、その表裏としての強烈な上昇志向という文脈・その不可能性において、使われることが多いのではないでしょうか。その点、17世紀の哲学者スピノザはそれとは異なる観点から「自由」ということを考えており、例えば主著『エチカ』の冒頭で次のように述べています。

「自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されると言われる。」

スピノザは人は自分に与えられた(身体的・精神的)条件をあらかじめ分かっている訳ではなく、さまざまな”実験”を繰り返しながら学んでいくことで、少しずつ人は自由になっていくのだと考えたのです。あなたもまた、まずはみずからの本質が踏みにじられている状態(「強制」)から脱していくことを最優先にして動いていきたいところ。

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illustration by ニシイズミユカ

問い返す勇気

今週のかに座は、みずからのアトモスフィアを溶かしていくような星回り。

春のうららかな日に、たったりひとり槍投げの練習をしている。「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」(能村登四郎)はただそれだけのことを詠んだ句ですが、槍を投げては拾い、投げては拾うそのうしろ姿は、どこか胸を打つものがあります。

それにしても、数あるスポーツの中でもどうしてよりによって「槍投げ」などという孤独でストイックな競技を選んだのでしょうか。おそらく、本人もどこかでそれを不思議に思っているのでしょう。その証拠に「槍投げて槍に」という字余りにやり切れない倦怠感が滲み出ている。

ただ、そうした倦怠感も含めた作中主体全体を「春」という季節が包み込んでいるようにも感じられます。あなたもまた、みずからの遣る瀬無さをおおらかに包んでくれる何かに気が付いていくことでしょう。

続きはこちらから 今週のしし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

頭ではなく手先で物語ること

今週のしし座は、すっかり分離してしまっていた頭を手元とを繋げていくべし。

自然を扱うとき、「エコ」とか「環境」などと“概念”で言ってしまうようになったのは一体いつの頃からなのか。少なくともレオナルド・ダ・ヴィンチやパウル・クレー、狩野派の絵師たちであれば、同じことを精緻な観察とそれを実現するだけの“技術”=手技でもって目の前に具体的に示してみせたはず。

近代人は「自然」と言うと、「ネイチャー」だとか「母なるもの」だとか、そこに何かしらの“本質”があるものとすっかり思い込んでしまう訳ですが、自然を扱うだけの技術を持っていた人たちからすれば、自然とは例えばフラクタル図形のような破片の集積でできていて、いわばデジタルだった訳です(デジタルの語源は「指」を意味するラテン語)。

流動している織物のような自然を同じく異質の織物としての感覚器で触れた境界面で作り出される造形のひとつひとつこそが自然であって、それは「自然」という翻訳語が明治期に入ってくる前は山川草木という固体を言い表していたこととも繋がっているのでしょう。あなたも“指”や“手”から離れたところで何かを語ろうとするのではなく、あくまでそれを運用する“技術”の中で語っていくべし。

続きはこちらから 今週のおとめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

童心にかえる

今週のおとめ座は、自分のなかに眠っていた皮膚感覚を呼び覚ましていくような星回り。

「幹にちよと花簪のやうな花」(高浜虚子)は、作者が亡くなる前の最晩年、85歳の春の作。花は桜。低い胴の部分から直接、小さな花柄がでて、小さなピンで留めるくらいの花簪(はなかんざし)のような花が咲いていたのでしょう。ここで注目すべきは、桜と作者とのあいだの距離の近さ。

掲句の「花かんざし」は七五三など小さな女の子が身につけるそれを思わせますが、花を見て人間の身体に直接身に着けるものを連想するというこの何気ないプロセスは、自然を対象化してあくまで“景色”として遠くに眺めているような意識からは決して出てきません。

その意味で、掲句は木肌を人間の肌と地続きに感じ取るような、ある種の皮膚感覚が意識の深いところから露出してきた句なのだとも言えるかもしれません。あなたも対象を遠くにやってそれを他人事のように眺めるのではなく、ごく身近な自分事のように感じていくことがテーマとなっていきそうです。

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illustration by ニシイズミユカ

黙ってそこに佇むべし

今週のてんびん座は、出会いの場所としての<声>を体験していくような星回り。

お通夜の席で死んだ人の悪口を言ってはいけない、とよく言われますが、これは五感のうち聴覚だけは最後まで残るから、なのだそう。だから、臨終の床にあるときには、なおのこと声をかけてやることが大切になり、たとえ意識は失われようと、声の波長だけは伝わるということもあるのかも知れません。

日常においても、他者の出す音や声を聞くことで、私たちは孤独を癒している訳ですが、声というものは聞こうとしてはじめて聞こえてくるものでもあるのではないでしょうか。昔、ユダヤの詩人は「人の口の言葉は深い水のようだ、知恵の泉は、わいて流れる川である。」(箴言18章4)と歌いました。

砂漠地帯に年間を通して流れる川はないようですが、雨季の一時的な豪雨のときのみに水が流れる「涸れ川(ワディ)」というものがあり、詩人は言葉はそんな涸れ川の下にある水のようなものだと言っているのです。心があるならその水は、湧き出て流れる川となる。あなたも、そんな風にひとつの川となっていくのを実感していくことができるはず。

続きはこちらから 今週のさそり座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

虚実の反転

今週のさそり座は、思いがけず自分なりの“リアリティー”が深まっていくような星回り。

「桜咲きつめたき肌の人を診し」の作者・北垣一柿は無季俳句の論客で、三井鉱山田川鉱業所の病院長を歴任した人。桜が咲きはじめて、暖かくなってきた或る日の診察での実感を句にしたのでしょう。病人は熱があるのもいたはずですが、開放療法をやっていたので逆に肌がつめたい者もいたのかも。いずれにせよ、作者の手は鋭敏にそれを感じとった。

それまであたりに漂っていた陽気とは対照的な、思わずハッとさせるほどの患者の「つめたさ」に作者は一気に現実に引き戻された訳ですが、作者にとっての現実とは、きっとどこまでも白く透きとおっていて、青味さえ帯びて冴えている病人の肌のようなものだったのではないでしょうか。

1909年生まれの作者の妻は、東条英機の夫人の姪であったそうですから、戦後は損な立場にあったはずで、もしかしたらここにもそんな社会上の不利が影のように差していたのかも。あなたもまた、おぼろげに感じていた現実が意外な角度からスッと到来することになるかも知れません。

続きはこちらから 今週のいて座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

こちら愛、応答せよ!

今週のいて座は、「能動的な主体」というモデルを超えたところで為すべきことを為していこうとするような星回り。

『プリズン・サークル』とは、日本の刑務所を取材して撮られたドキュメンタリー映画。そこでは受刑者同士の対話をベースに犯罪の「原因」を探りながらその更生を目指す「TC(Therapeutic Comunity=回復共同体)」というプログラムが導入され、受刑者たちは自分たちが犯罪を起こすに至った、さまざまな経緯や背景を共有していきます。

いわば運命に巻き込まれて行為させられた“被害者”としての自分を見つめるプロセスなのですが、最終的にはみずからの意思に基づいて起こした犯罪の“加害者”としての自分を見つめることに。人は加害者であるが被害者であり、被害者であるが加害者であるという、近代的な考え方においては両立しえない正反対の命題が両方とも肯定されていきます。

特に、自分を何か運命としか言いようがないものの“被害者”と捉えると、普通は「責任逃れ」と非難されてしまう訳ですが、自分がやってしまった問題行動をひとつの現象として客観的に研究していくと、不思議なことに、次第に本人は自分の行動の責任を引き受けられるようになっていく。こうしたアプローチは、今のいて座にとって非常に大きな示唆を与えてくれるように思います。あなたもまた、自分が報いるべき事態に心から向きあっていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

運命と岐路

今週のやぎ座は、どこか誰かに自分だけが分かる“特別なしるし”を見出していくような星回り。

春は猫にとって求愛の季節。「恋猫に颯(さ)とたてがみのやうなもの」(いのうえかつこ)は、そんな春の風物詩を描いてみせた一句なのでしょう。「たてがみ」は馬の背にあって、走るとなびいて馬の美しさを際立たせるものですが、それに類するものが「恋猫」にはあると言うのです。

「恋猫」とは雄の猫であり、これから目当ての雌に逢いに行くのでしょう。面白いのは、作者がそれをすっかり雌猫の立場になって見ているという点。「たてがみ」の発見は恋のなせるわざであり、こんな恋猫こそ自分の前へ現れてほしいと願うこころこそが、恋猫を登場させたのだということなのかも。

得てして、自分にとって特別な相手であることを示すしるしというのは、初めて見かけたにも関わらずそれとすぐに分かるものだったりしますが、その意味で掲句は作者が春の宵のなかで夢想した特別な出逢いの情景なのだとも捉えられるのではないでしょうか。あなたもまた、自分に与えられていた自分への約束を不意に思い出していくことでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

ひとりの格闘者として

今週のみずがめ座は、時代と格闘する者に〇を付けていくような星回り

坂口安吾は戦争中、肯定的なことも否定的なこともわずかしか書かきませんでした。その代わり戦争が終わってすぐに『白痴』を発表。これは終戦間近の裏町を舞台に、主人公である映画演出家の独身男のもとに、知的に障害のある女性がころがりこんできたことがきっかけで一緒に暮らすようになり、空襲があるとうろうろと逃げまわる、その奇妙な日常について描いた作品でした。

「やりきれない卑小な生活だった。彼自身にはこの現実の卑小さを裁く力すらもない。ああ戦争、この偉大なる破壊、奇妙奇天烈な公平さでみんな裁かれ日本中が石屑だらけの野原になり泥人形がバタバタ倒れ、それは虚無のなんという切ない巨大な愛情だろうか。破壊の神の腕の中で彼は眠りこけたくなり、そして彼は警報がなるとむしろ生き生きしてゲートルをまくのであった。生命の不安と遊ぶことだけが毎日の生きがいだった。」

これはある種の自虐でもありましたが、戦争に反対もしなければ、便乗や肯定も決してせずに距離を取っていたという点で芯が通っており、やはり坂口安吾は真の意味で知識人的であったと感じます。あなたもまた、既存の思想に埋没したり、流行のそれへと安易に逃げてしまうのではなく、自分なりの仕方できちんと時代と向きあっていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

花に触れる

今週のうお座は、おのれを失いそうなほどのやさしさに打たれていくような星回り。

恐ろしげな棘(とげ)をつけた薊(あざみ)の葉を見ると、その紫色の花までウニの針かなにかのように見えますが、しかしよく見れば針ではなさそうで、そっと触れてみたら案外やわらかだった。「ふれてみしあざみの花のやさしさよ」(星野立子)の大意としてはそんなところでしょうか。ただし、そのやわらかだったというところを、「やさしさよ」と表現してみせたところに作者の独創があります。

言われてみれば、やわらかというのとはずっと違った、もっと触れた瞬間の複雑な感じの出ている言葉で、作者の鋭敏な感覚とやわらかな情緒をもって初めて発見し得たのでしょう。

その意味で、情感を歌いあげることに傾きがちな女流俳人にあって、写生を押し通し、結果的に並みいる男性俳人のなかでも自由にその翼を拡げていった作者の真骨頂がここによく現れているように思います。あなたもまた、モノであれ人間であれこれまで生きてきた中でいちばん繊細に触れてみることで何かが開けていくのを実感できるはず。

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