2021年03月24日 10:01 リアルサウンド
「カレーは読みもの」。読後、胸いっぱいに広がったこの言葉をつい声に出して言いたくなったのが、第2回「日本おいしい小説大賞」を受賞した『私のカレーを食べてください』(幸村しゅう/小学館)。本作は、カレーに人生を捧げた少女が織りなす、愛おしく痛快な青春カレー小説である。
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表紙を彩るまばゆいばかりのイエロー。飯テロレベルにおいしそうなカレーのイラストに描かれるのは、キーマカレーに3片のお肉がプカプカ浮かんだチキンカレーのあいがけプレート。一目見て、カレー好きの胸がざわざわ躍った。「これは、おいしくて面白そう」。手にして読んで、その予感は的中した。
■「あなたは、これから別のところで暮らすのよ」
物語の主人公・山崎成美は、両親の離婚と育ててくれた祖母の失踪を経て、小学生で天涯孤独の身となり、児童養護施設に引き取られる。
施設に行く前の晩、成美は学校の担任の先生から一皿のカレーを振舞われる。子どもにはちょっと敬遠されそうな、スパイスが香り立つ本格的なカレーだ。
”スプーンを握りしめた私は、口を大きく開けてカレーライスを頬張った。次の瞬間、口の中がカーッと熱くなった。あたふたしている間に鼻の奥に刺激が抜け、ごくんと飲み込むと、熱が出たときのようにどっと汗が噴き出した”
辛いだけではなく、食欲を一気に目覚めさせ、後を引いてやまない初めてのスパイスカレー。この衝撃は子ども時代の成美の舌と心に強烈に焼き付き、のちに目指すカレーの原点となり、人生の支えとなる。
■「何なのだ、何なのだ、このカレーは一体何なのだ!」
施設を出て調理師学校に入学した成美は、一人暮らしを始め、料理の道に進むことを決意する。目指すは、幼い日に食べた「先生のカレー」。記憶に残る香りを頼りに試行錯誤するが、どうしても同じ味の再現に至らない。若い上に外食体験とも遠い生活を送っていた成美には、カレー経験値が圧倒的に不足していたのだ。
未熟な味覚を育てるべく、名店と名高いカレー店をひたすら食べ歩く成美。実直な性格が、好きなカレーへの集中力と探究心を高めていく。
カレーを食べ終わり、口の中に味が残っているうちに、酸・苦・甘・辛・鹹(かん・塩味)の味覚を示す五角形と、スパイスの比率や感想などを、毎回ノートに漏らさず記録していく。
時には食べ過ぎてトイレにこもる羽目になりながら、研究を重ねるにつれ、成美のカレー感覚は着実に研ぎ澄まされていく。そしてある日、近所の喫茶店から漂ってきたスパイスの香りをキャッチする。
その店こそが、本作で重要な舞台となる喫茶店「麝香猫(じゃこうねこ)」。蔦の這う古びた店で食べた一皿のカレーに、成美は胃も心も揺さぶられる。
”まず、軽快なフットワークでスパイスが鋭いジャブを放った。玉ねぎの甘さを感じた直後、小気味よい辛さが口の中を縦横無尽に駆け抜けていく。
硬めに炊かれた米粒が、旨みの強いルーをしっかり受け止めていた。
四口目は、嗅覚を最大限に研ぎ澄ませた。
カレーを口に入れた瞬間、ガラムマサラの風味がふわりと膨らんだ。自己主張し過ぎず、かといって謙虚過ぎず、鼻の奥から爽やかな香りがスッと抜けていく。
口に残ったほのかな香りは、麦の穂を揺らす風のようにざわざわと食欲を掻き立てた。
何なのだ、何なのだ、このカレーは一体何なのだ!”
ナイフのように研ぎ澄まされた成美の五感が「麝香猫」のカレーにストン! ストン!と刺さったかのような、鋭い味の描写にお腹が鳴る。
成美は「麝香猫の味をモノにする」という新たな夢に向かって歩み始めるが、順風満帆に行かないのが人生だ。後半では、ページをめくる指が固まってしまうほどの重大事件が起きる。しかし、運命に翻弄される成美を見ていると、逆境こそが自分を強くしてくれたことを思い出す。初心を忘れず、前を向いて進むことでどんな暗がりにも希望の光がさすものだ。成美の生き様を通して、作者からそう語りかけられたような気がする。
スパイスカレーを武器にした成美がイキイキと蘇る怒涛の終盤では、目頭が熱くなり、爽やかな涙がスーッとあふれた。
主人公の人生を彩る名脇役たちも印象深い。施設仲間だったトロ子。バイトの草野くん。カレー好き弁護士・トヨエツ。このトヨエツ、若かりし頃はさぞイケメン、しかし今は歯に衣着せぬ性格の中年。「おまえの売りは何だ?」と成美を鼓舞し「私にはカレーしかありません!」と言わしめる。職業柄なのか、人の心を見抜いて気づきを与える巧さが光る。
いつの間にか私の脳内では、成美もトヨエツも勝手に配役が決まり、自由きままに演じ始めていた。こんなにも全キャラクターが立体化し、顔と声を持つ物語は久しぶりだ。ぜひ「朝の連続カレー小説」としてドラマ化されてほしい。動く彼らが見たい。
■印度カリー子さんレシピ「トロ子と食べた豚の角煮カレー」
巻末には、人気料理家・印度カリー子さんのオリジナルカレーレシピが付いている。読後の爽快感は冷めぬまま「トロ子と食べた豚の角煮カレー」を作ってみた。
シナモン、クローブ、カルダモンにスターアニス。パチパチと弾けるスパイスや、さまざまな食材が渾然一体となって、カレーは初めて成り立つのだ。スパイスカレーを食べながら、またしても我が身を振り返る。私の人生も、一人きりではけっして立ち行かなかった。
読んでほっこり、食べてニンマリ。黄色い表紙にビビッときた方は、ぜひ、このカレーストーリーを味わってみてほしい。きっと続編(と書いて、おかわり)を期待してしまうこと請け合いだ。