2021年03月20日 08:41 弁護士ドットコム
午後8時までの時短営業が終わったあと、その飲食店の厨房は「第二のピーク」を迎える。2升(20合)炊きのジャーは米で満ち、テーブルには各種おかずと弁当パックが所狭しと並ぶ。
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東京都北区、JR赤羽駅から歩いて5分ほどのカフェ「ソーシャルコミュニティ めぐりや」は、1月に緊急事態宣言が発令されてから毎晩、無料のお弁当をつくり続けている。
店先に順次並べられる40個ほどの弁当や防寒具、カイロなどは気が付くとなくなっており、見えづらいホームレスの人や生活困窮者の姿を可視化している。
無料弁当を通じて、顔見知りになった「常連」の中には、支援者とつながり、ホームレス生活を抜ける見通しが立った人も出てきた。
「困っている人は固定じゃない。緊急事態宣言が明ければ、今度はうちが困るかもしれない。やれる人がやれるときにやる。お互い様という気持ちが大事なのかなと思います」(店長)
“共助の最前線”を取材した。(編集部・園田昌也)
めぐりやではもともと、2020年6月から月1回、おにぎりをつくって、近隣の赤羽公園付近で寝泊まりするホームレスの人たちに配っている。
店長の橋本弥寿子さん(68歳)によると、きっかけは1、2年前から野菜などを買いに訪れるようになった90歳手前の元ホームレスの女性。店の常連からは、“ばあちゃん”と呼ばれて慕われている。
「ばあちゃんは面倒見が良くて、公園に住んでいる人たちに、食べ物を届けたり、自転車カバーを縫ってあげたりしているんです。
『いつか店で炊き出しをやりたいね』という話をしていて。いきなりは難しいから、TENOHASIさんが池袋でやっている炊き出し会に話を聞きにいったんです」(弥寿子さん)
まずは実態調査から、とアドバイスされ、おにぎり配りをはじめた。
「地元の区議さんや、うちでやっている『子ども食堂』に来る子どもたちが同行してくれることもあります」(弥寿子さん)
2020年12月末からは、店先に食料やカイロなどを出すようになった。
そんな矢先、転機となる事件が起きた。年明けすぐ、顔見知りのホームレス男性が亡くなったのだという。
「一匹狼みたいな人で、おにぎりも絶対に受け取らなかった。でも毎日、見かけていましたし、ばあちゃんを通して、様子は聞いていたんです。
押し付けてでも何か食べさせるべきだったのかな、なんて思うこともあって…」(弥寿子さん)
1月7日に緊急事態宣言が出てからは、営業が早く終わるのを利用して、本格的に弁当をつくるようになった。店の定休日でも、弁当作りは1日たりと休まなかった。
息子の哲男さん(42)はこう説明する。
「うちじゃ、あまり効果はないかもしれないけど、農家の人も困るだろうから、仕入れ量は減らしていません。夜も暇になるし、少しでも人助けになるならと。
大きな店ならそれでも足りないのでしょうが、正直な話をすると、うちの規模だと1日6万円の協力金は多いというのもあります」
無料とは言っても、夜はまだ寒い。
「弁当はすぐに冷めてしまうし、嫌いなものが入っているかもしれない。ここまで取りに来るのって、結構ハードル高いと思うんですよ。それくらい困窮しているんじゃないかなって」
気軽に手にとれるよう、弁当は店の外。いたずら防止や弁当が冷めないよう、店をあとにする午後11時半ごろまで、弥寿子さんの夫でオーナーの保憲さん(68)が少しずつ外に並べていく。
提供が始まる午後9時半ごろになると、すでに遠くで待ち構えている人もいる。毎日のように来る「常連」もできた。
「少しずつ話すようになった人もいれば、最初から身の上話をしてくれた人もいます。見知った人が急に来なくなって、何かあったのかなと心配になることもあります」(保憲さん)
弁当のほか、地域住民が寄付した防寒具やカイロなども一緒に提供する。取材したときは、防寒具を選んでいた30~40代くらいの女性と出くわした。
「こっちのコートはどう? さっき着てみたけど暖かいよ」。保憲さんが試着を手伝う。
人目を気にしてか、試着もせずに持って行き、翌朝返しに来る人もいるという。親しげに声をかけるのはそのためだ。
持ち帰るコートが決まると、女性は「ありがとうございます。助かります」と一礼して、足早に去って行った。
50mほど行って、歩度をゆるめた女性の後ろ姿を見ながら保憲さんが言う。
「女性も多い。子ども服ももらわれていったから、小さな子ども連れもいるみたい。DVで夫から逃げて来たという人からお礼の手紙が届いたこともありました」
当初はホームレスの人を想定した取り組みだったが、続けるうちに若い女性や学生、求職中と思しき人たちなど、幅広い層が困窮していることが見えてきたという。
こうした活動が注目され、2月21日に近隣の赤羽公園であった食品の無料提供会「北区フードバンク」(主催は民間)に声をかけられ、飲食店として唯一参加した。用意した50食分の無料弁当は30分でなくなった。
活動は口コミで広まり、新たに弁当を求めに来た生活困窮者もいる。ある高齢女性は、病院で話を聞いて、今ではめぐりやの無料弁当で毎食をしのいでいるという。
それぞれに事情があるから、複数個持っていくからと言って、とがめることはない。“自助”をしていることは痛いほど分かっているからだ。
3月に入って嬉しいこともあった。
「赤羽からホームレスの人が2人減りそうなんです」(哲男さん)
どちらも無料弁当を通して、少しずつ話をするようになった男性だ。地元区議や支援者につなげ、一人は住居を確保することができた。もう一人も約20年という路上生活の末、ついに生活保護を申請した。
「本当に人それぞれ、いろんな事情があるんですよ。生活保護があるじゃないかと言っても、何度も断られて、役所不信になってしまった人もいるし、扶養照会で親や子どもに知られたくないという人もいるんです」
無料の弁当は、日数をかけて受け取った人の心をほぐし、専門家のアドバイスに耳を傾けるきっかけをつくった。“共助”から“公助”への掛け橋と言えるかもしれない。
ただ、哲男さんはこうも考える。
「“公助”は申請主義でしょ。知らないとできないのに、広報の仕方は家があることが前提になっていますよね。
しかも、『自粛してください』『自分で努力して下さい』というメッセージばかりで、『生きていてください、生き延びてください』というメッセージがあまりにも少ないように感じます」
たとえば、扶養照会について言えば、このほど厚労省の通知が改められ、家族との音信不通の期間が「20年間」から「10年程度」に短縮されるなどした。しかし、路上生活者に情報は届いていない。
昨年こんなこともあった。
「“ばあちゃん”が新しくホームレスになった人を連れてきたことがあったんです。それで、10万円の特別定額給付金の話になって。
後日、役所に確かめたら、住所が店でも受け取れると言うので、書類を送ってもらおうとしたんですが、肝心の本人と連絡がつかなくなっちゃった」
“公助”はないわけではない。ただ、市井の心意気や活動がなければ、当事者が利用までたどり着くのは難しい。
めぐりやの活動を知り、食材などの寄付を申し出る人も増えている。店のツイッターを見た沖縄の人から毛布の提供があり、段ボール2枚で寝ていたホームレスの人に届けたこともあった。
「保管場所に制限もあるし、呼びかけはしていないんです。みんな自主的。コロナ禍で、いい事なんてまったくなかったけれど、『寄付文化』だけは根付いてほしいですね」(哲男さん)
緊急事態宣言は3月21日の期限で解除される見込み。飲食店の営業時間は当面、制限がかかるようだが、めぐりやの無料弁当も「完走」が見えてきた。
「顔が分かる人が増えたから、情が湧く。やめるという話はしていますが、悲しい顔をされます。毎日はできなくても不定期とか、できることはないかとは考えています」(哲男さん)
橋本さん一家が活動を続ける中で、何度も頭をよぎった言葉がある。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治)
「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」(相田みつを)
そうした世の中をつくる政治の働きが起こることにも期待しているという。