2021年03月19日 10:01 リアルサウンド
2020年、地球全土を襲った(そして、いまだに収束の見通しの立たない)新型コロナウイルスの猛威は、漫画の世界にも大きな影響を及ぼしている。販売や宣伝、営業の面でもさまざまな変化を余儀なくされたが、創作の面でも、あらためて「これからの(自分の)漫画のあり方」を考えさせられた漫画家や編集者は少なくないだろう。
たとえば、2020年5月――『ゲッサン』にて『MIX』を連載していたあだち充は、以下のようなメッセージを発表した。
関連:あだち充が残したキャリア集大成的作品『H2』 古賀春華が物語の中心から外れていった理由とは?
“「MIX」連載休止のお知らせ
1970年代「ナイン」
80年代「タッチ」
90年代「H2」
2000年代「クロスゲーム」
10年代「MIX」…
どれもこれも胸張って「野球漫画!」とは言いづらい作品達ではありますが、ま、何にせよ漫画家あだち充にとって一番の幸運は
この日本には甲子園(高校野球)があったという事なのです。
そのありがたい野球が、そしてほぼ全てのスポーツが日常から消えてしまいました。ライブ、中継を楽しめないぼく達も残念ですが 選手の無念さを思うと 本当にやり切れません。
人が集まる事を許さないこのやっかいな敵とどうつき合って行くのか?
社会のルールは どこまで変わってしまうのか? 先の見えないこの状況で 大歓声、大観衆の野球漫画を描き続けていいのか? 等々…
アナログ作画作業も含めて じたばた考える時間をいただければと思っております。
あだち充 2020.5”
このメッセージが発表されたのち、『MIX』はしばらくのあいだ休載することになったが(『ゲッサン』6月号から10月号まで休載)、個人的には、あだちの甲子園(高校野球)に対する想いはここまで強いものだったのかと、あらためて驚かされた。
無論、複数のアシスタントを仕事場に集めての作業が困難になったということもあるだろう。だが、それ以前に、このメッセージから伝わってくるのは、漫画を描くうえで昔から「恩」のある高校野球の選手たちがいま涙を吞んでいる――その「現実」から目を逸らして、多くの人々の胸を打つ娯楽作品など描けるものかという、ベテラン作家の真摯な態度である。
もしかしたら、このあだちの「決断」に対して、「プロとしてはいかがなものか」と思った向きもおられるかもしれない。たしかに、現実の世界でのスポーツが楽しめないなら、せめて漫画の世界だけでも……と考える読者もいただろう。あるいは、毎号、あだちの漫画が載っているのを楽しみにして『ゲッサン』を購入しているファンもいただろう。しかし、それでも、私としては、昨年の5月にあだちが下したこの決断は、「ものを作る人間」の態度としては、正しいものだったと思っている。
さて、その『MIX』のおよそ1年ぶりとなる新刊(17巻)が、先ごろ発売された(収録されているのは、休載前に描かれた3話分と、連載再開後の4話分)。
■あだち充の“本気”
2012年から連載が始まった『MIX』は、かの名作『タッチ』の続編的な野球漫画である。といっても、描かれるのは『タッチ』の時代からおよそ30年後の明青学園野球部であり、(多くのファンが期待していたであろう)上杉達也や浅倉南の「いま」の姿を見ることはできない(過去の試合のビデオの映像などは時々出てくる)。
主人公は、立花投馬(弟・投手)と走一郎(兄・捕手)の兄弟バッテリー。また、ヒロインは、彼らの妹の音美という少女だが、投馬と、走一郎・音美の兄妹は、実は血がつながってはいない。つまり、彼らはいまの両親が再婚したがゆえに家族になったわけだが、この、(投馬と音美の)「血のつながらない兄と妹の微妙な関係」というものは、『みゆき』をどことなく思わせ、そういう意味では、本作は、(『タッチ』からの影響はいうまでもなく)「あだち充作品の集大成」だといえるかもしれない(タイトルの『MIX』とは、そういう意味か)。
物語は、投馬・走一郎の中学時代から丁寧に描かれていくのだが(注・同い年のふたりは同学年である)、先ごろ発売された17巻では、高校生になったふたりの2度目の夏――甲子園への切符をかけた東東京大会がますます盛り上がっている。
先に述べたように、この巻には連載再開後に描かれたエピソードが4話分収録されているのだが、休載前と比べて、何かが(たとえば、物語のテンポやキャラクターの印象が)大きく変わったということはない。プロの仕事、という意味では、これこそまさにプロの仕事というべきだろうが、それでも、連載再開第1回目(第97話「特別だよな」)をよく読んでみれば、淡々としたキャラクターたちの会話の中にも、「高校野球」に対する作者の「特別」な想いが込められているのがわかるだろう。
いずれにせよ、この『MIX』には、あだち充の“本気”が込められている。ラブコメの要素よりもスポ根のノリが強めなのもいい。立花兄弟の挑戦から、当分目が離せそうにない。
付記:『MIX』17巻には、作者の休載中の様子を描いたエッセイコミック(『リハビリ読切 足つりバカ日誌』)も収録されているので、そちらも併せて読まれたい。
■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。